4-7 ~瀬戸際の選択~
「……!」
耳元でジャナルが何かを叫んでいるのが分かる。が、何を言っているのかは分からない。
活動し始めたウイルスは、あっという間にイオの身体を蝕んでいった。
身体が熱い。息が苦しい。何も見えないし、聞こえない。
ああ、自分は死ぬんだ。イオはゆっくりと薄れゆく意識の中でそれを悟った。
ジェニファアもこんな感じだったんだろうか。あいつは意識を操られてたから恐怖も何も感じなかったのかもしれないが。
しかし、どうしてできなかったのだろう。あいつらのやり口が汚いとはいえ、ジャナルを殺さなければ自分が死ぬというのに。それしか道がなかったというのに。ちっとも覚悟ができなかった。
強いて言うなら自分が弱かったからか。メテオスやジピッタにも直接的に逆らう事もできず、ようやく暗殺を決意しても土壇場で良心の呵責と生理的嫌悪に襲われ、屈した結果がこのザマだ。救いようがない。
けれども山ほどの後悔をしているのに反して、イオは心のどこかでその結果に安心していた。何故かは分からないが、そう思った。
お前はどうあがいてもまともな人間だと思うよ
いつぞやのトム先生の言ったことは、間違いじゃなかったのかもしれない。
あの人は、きっと俺以上に道を踏み外すことのないまっとうな人間だ。メテオスたちと違って。
というか、あくまでも自分の手を直接汚すようなことをしない卑怯者のメテオスたちが異常なんだろうけど。
……
…………そういうことか。
ずっと妙に引っかかっていた、メテオスたちがやたら回りくどい手段を用いていたのは何故かという疑問。
あいつらは、自分たちの犯行をバレることを良しとしていない。
つまり、この件に関しては学園側は関与していない。トム先生がいたらこんな所業すぐに止めに入るだろうし、むしろトム先生がいないこのタイミングで仕掛けてきた。
そして間違いなく、約束を果たしたらウイルスから解放されるのも大嘘。用済みになったらイオは確実に消されてすべての証拠を隠滅させる。
最適解は、公に全てを打ち明けるべきだったのだ。ジェニファアの件が判断力を大きく狂わせた。
伝えなければ。この最悪にもほどがある陰謀と悪事のすべてを。
それが今やるべきことなんだ。
だが、現実は非情だった。口を開こうとした途端に意識が一気に遠くなり、そのままイオの思考は停止した。
ジャナルの方はほとんどパニック状態だった。
長年の付き合いの友人が前振りもなく自分の命を狙ってきた挙句、目の前で死にかけている。パニックにならない方が無理な話だ。
「イオ! しっかりしろ! おいってば!」
吐血の量が激しく、身体がひきつけを起こしている。一刻も早く助けなければならない。
ジャナルは普段着ている赤いジャケットの内ポケットから黒い筒を取り出した。打ち上げ花火と同じ仕組みの非常灯で、いざという時のために常備している。
「火、火をつけないと。ん?」
気配を感じて彼は振り返り、背後にいた人物を見て驚愕した。
「アリーシャ」
そこには凍りついたように立っているアリーシャがいた。フォードが挙げた場所を巡り、ようやくここへ辿り着いたのだ。
「アリーシャ! 頼む、お前の魔法で応急手当を! 早く! このままじゃイオが死んじまう!」
アリーシャの視線は倒れているイオに注がれたまま、動こうとしない。
「……彼が、イオが犯人なの?」
「そんな事言ってる場合かよ! 今は」
言ってからジャナルははっとした。
アリーシャの目の前で倒れているイオは、彼女にとっては親友の仇なのだ。自分の親友を不幸な目に遭わせた人間を誰が助けようと思うか。それはジャナルにだって分かる。痛いほどに分かっているから犯人探しにも協力した。
しかし、ジャナルはこうなってしまうまでカーラ達の懸念を楽観視しすぎていた。
「頼む、お前の気持ちも分からなくはないが、こいつを死なせるわけにもいかないんだ!」
「……っ! ピースオブフォース、起動っ!」
アリーシャの手に
「どいつもこいつも勝手なんだから! ここで見捨てたら私が悪者になるじゃない!」
杖の先から淡い光が放たれる。周囲の空間がバチバチと音を立てながら歪み始める。
「いい? これは妥協じゃないからね! ……
空中に何枚もの羽が舞い、全身が真っ白な天使……というには妙に手足の長い不気味な体型だが、アリーシャが使役する召喚精霊の一つ、
癒しの光はジャナルが切り裂いた肩の傷をゆっくりと塞いでゆく。それを見てジャナルはほっと一息をついた。しかし。
「……どういう事? 傷は塞がっても回復する気配がない!」
アリーシャがイオのそばへ駆け寄って様子を見るが、イオは依然として大量の汗をかき、吐血を繰り返し、一向に良くなる気配がない。
「魔力が弱いんじゃないのか?」
「違う。弱いんじゃない。魔法そのものを受け付けない! こんなのって」
これには途方に暮れるしかなかった。回復魔法を受け付けないとなると、医師や治癒師(ヒーラー)に見せても助ける事ができない。
「けどなんで魔法が効かないんだ! まるでカニスの言っていたノン何とかっていう薬……あっ!」
ジャナルが何か思い出したように叫んだ。
「その薬だ! 魔力を弱める薬! 栄養剤に入っているとかいう! 確か昼に飲んでた!」
「ノンウィザーの事? 確かに栄養剤に入っているけど、あれくらいの量ならせいぜい催眠術程度の魔法しか防げないし、数十分で切れるって。天使級の魔法を受け付けないとなると、原料のままかなりの量を飲まないと。一体どこでそんなものを」
が、常識がどうあれ、現実にイオの身体は回復魔法を受け付けず、死へと急降下しつつあるかなり危険な状態である。
「せめて苦しんでいる原因が分かれば」
考えろ、考えろ。冷静にかつ急いで考えろ。2人は必死で考えるが、対処法が見付からない。見付からないから無力感に襲われる。
「っくしょう! 何でもいい、とにかく何とかなる力があれば!」
この時、2人は気付かなかったが、ジャナルの右手がわずかながらに光を放っていた。だが、その光が何かアクションを起こす前に、第三者の存在がそれを打ち消した。
「縁起でもない事を言うな、人間」
「あんたは?」
顔を上げると、いつの間にか
「面と向かって話すのはこれが初めてだな、小僧。わが名は『制する魔女・テンパランサー』。見ての通りの魔女だ」
「魔女ぉ? どう見ても魔族だろ? ってもしかしてお前がイオを!」
ジャナルがジークフリードを片手に、制する魔女に斬りかかろうとする。
「待って、ジャナル!」
「なんで止めるんだよ、アリーシャ! 魔族は昔から人類の敵なんだぞ!」
「いいから止めるっ!」
渋々それに従うジャナルを見てから、アリーシャは制する魔女に向き直った。
「なんであんたがここにいるのよ? いなくなったんじゃなかったわけ?」
「たわけ。私に魔力を供給してくれるお前がいなくなったら私はいつ目覚めるか分からない眠りに強制的についてしまうだろうが。短時間でお前の魔力がひどく消耗しているから来て見れば」
魔女は冷ややかにイオの方を見下ろした。
「悪性のウイルスだな。ノンウィザーの粉末で効果を相殺しようとしたようだが……免疫力が極度に低下している」
「ウイルス? 助かるのか?」
ジャナルが叫んだ。
「ずいぶんとぬるい脳の持ち主だな。この小僧は。こやつはお前を殺そうとしたのだぞ」
「けどっ!」
ジャナルもアリーシャも何故イオがジャナルを殺そうとしたのかは分からない。一方的な立場から見れば、助ける義理などないのかもしれない。だが、それでも友人は友人。見捨てられるほど彼らは非情になりきることはできなかった。
「あんたなら助けられるの?」
アリーシャが魔女にきいた。
「助けたいのか? 重ねて言うが、こいつはお前の友人を殺そうとしたのだぞ。それでもか?」
「まあ、ジェニファアの事だってあるのは確かね。けど」
彼女は少しだけジャナルの方を見た。それからイオの方を見た。
「けど、ここでイオが死んだらジャナルやカーラ達が悲しむ。そうなったらきっと私は後悔する。人の苦しみを軽々しく背負えるほど、私は強くない」
「サンキュ」
ジャナルの顔から笑みがこぼれる。アリーシャの言葉が純粋に嬉しかった。
「人間特有のきれいごとだな。もっと冷静に現実を見たらどうだ」
そうはいうものの、魔女は嫌そうな顔はしていなかった。むしろジャナル達に向けられた視線は、人類の敵である魔族とは思えないほど穏やかだ。
「あら、私は冷静に現実を見ているつもりだけど。で、手は貸してくれるんでしょ」
「契約だからな。別にこやつが生き延びた所で私が損する訳でもない。今からわが力でノンウィザーの「効力」とウイルスの「繁殖力」を抑えるからその間に魔法で回復させろ」
魔女が左手をイオの身体にかざし、念を込めるのを見てアリーシャはすぐに
悪しき力のみを抑え、回復能力だけを促進させる。それも魔族と天使という正反対の属性を持つ生命体のコラボレーションだ。後にも先にもこんな荒業は見ることはできないだろう。
だが、順調だと思っていたのもつかの間、アリーシャの身体が変調をきたしはじめた。高レベルの天使と魔族を同時に使役しているのだ。
その上、数十分前には召喚術の中でかなり扱いの難しい
「アリーシャ!」
よろめき、倒れかけるアリーシャをジャナルは寸前の所で受け止める。
それでもアリーシャは構えた杖を握ったままそれを離そうとしなかった。
ここで倒れたら全てが台無しだ。絶対に失敗は許されない。
「大丈夫か?」
「んなわけないでしょっ! 突っ立ってる暇があったら魔力還元で支援しなさいっ! それくらい授業で習ったでしょ?」
「そ、そうか! 気が動転していたっ!」
ジャナルが杖に手を伸ばす。
魔力還元とは、体力と精神力を魔力に変え、術者の不足分の魔力を分け与えるという戦闘支援技術の一つであった。
杖にジャナルの魔力も加わり、アリーシャは再び安定を取り戻す。
だが、ジャナルはあくまで戦士科の生徒で、魔法そのものは使えない。適正というものもあるが、アリーシャのように正式な魔術の訓練をしていないので、単純に魔力が2倍になるわけではない。どちらかというとないよりはましといった程度であった。
イオの方はというと、回復しているのかどうかかなり微妙だ。呼吸はしているので少なくとも生きている事は分かるが、それもどちらに転ぶか予測がつかない状態だ。
(力がっ、吸い取られるみたいに抜けていく! 魔法ってこんなに力を使うもんなのかよっ!)
魔術師の杖は容赦なくジャナルの力をむさぼってゆく。だが、人命がかかっているのだ。やめるわけにはいかない。
(くっそぉ。助かってくれよ、イオ!)
ジャナルはこれほど自分の力の無さをもどかしく感じた事は無かった。ピンチになったことは幾度もあったが、それでも心の中でどうにかなるとたかをくくっていた。だが、今回ばかりはそんなものは通用しない。
(俺にもっと力があれば!)
この際贅沢は言わない。どんな代償だって払ってやってもいい。この後どうなっても知らない、何でもいい。
(頼むからなんか奇跡でも起きてくれ!)
杖を握り締める力が強くなる。より脱力感を感じたが、そんな事に構っていられなかった。
「ジャナル?」
いち早くその異変に気付いたのはアリーシャだった。
ジャナルの身体から膨大な魔力があふれ出ている。あふれ出た魔力は光の波動となり、空気中に散開している。どれだけ修行を積んだ魔術師でもこれだけの魔力は持っていないだろうといえるくらいの力。一言でいうなれば、それはありえるはずが無い異常だった。
「バカな。死への恐怖だけが引き金ではないのか! 小僧、手を離せ! 下手に覚醒したら!」
魔女の制止が終わらないうちに、周囲は光に包まれた。
夜。
ジャナルとアリーシャは気がつくと学区内の病院にいた。妙なエネルギーを感じたというヨハンがカーラをつれて森林公園へ向かうと、倒れている3人を発見したのだという。
アリーシャの方は軽い魔力の欠乏症で一晩眠れば治るらしいが、ジャナルはそれプラス戦いで負った傷の数がひどいので数日間の通院を言い渡された。
そしてイオの方は、医師の話によると一命は取り留めたが危険な状態である事には変わらないと宣告された。
ジャナル達に専門的なことは分からないが、イオは体内の至る所で内出血や筋肉麻痺を引き起こしていたらしい。今の所判断がつかないが最悪の場合は脳に障害を起こし二度と目覚めないという事もありうるという話だった。
「なんで、あたいたちがもっと早く見つけていれば」
「無理を言うな。一個人の言動に責任など持てん」
「けどっ!」
ヨハンの冷静な言葉に、カーラは唇をかみ締める。
今日の昼まで普通にバカ話をしていた仲間が急に行方不明になり、見つかったと思えば生死の淵を彷徨っている。そんな事誰が予想できようか。まだまだ世間的には少年少女と言える彼らにはあまりにもショックが大きすぎる現実だった。
「アリーシャ」
カーラ達が帰った後、ジャナルは廊下の窓から外を眺めながら、後ろのソファに座っているアリーシャがに声をかけた。
「ん?」
返事はしたものの、ジャナルはこちらを見ようともせずに続けた。
「まさかお前が魔族を使役できるなんて、な。法律でも禁止じゃなかったっけ?」
「別にそんな法律は無いけど、まあ、規制されなくても実行する人はまず居ないでしょうね。魔族と人間は相容れないものだから。まあ、説明できなかったことは悪いと思ってたけど」
「……あの魔族、俺の秘密を知ってた。多分、俺よりも」
沈黙が流れた。
アリーシャは何か言おうとして、言えなかった。彼女自身、魔女の事をよく分かってはいないからだ。
「なんか今日は疲れた」
返事が来る前に、ジャナルは愚痴をこぼした。相変わらず窓の外を食い入るように見ている。そして、深いため息をついた。
「なんかとてつもない事件だったなー。そのくせ真実は闇の中、だしさ」
無理しているのが見え見えだった。実際ジャナルの声は震えていたのだから。
そして彼は頭を横に数回振ると帽子を深く被り直す。
「なんでこんな事になっちゃったんだよ!」
突然、糸が切れたかのようにジャナルが激昂した。
「ジェニファアが刺されて、イオが失踪して、居なくなったかと思ったら今度は俺の命を狙ってきて、訳がわからねえよ!」
握り拳が窓枠を打ちつける。金属製の桟の上に涙が数滴落ちてきた。
「俺はなんであいつに殺されなきゃならないんだ? なんであいつがあんな目に遭わなきゃならないんだ? それなのになんで俺は何も知らないんだ?」
悔し涙を流しながら「なんで」を繰り返すジャナルに、アリーシャは何一つ答える事はできなかった。
「ちくしょう、こんなの納得いくかよ」
泣きながらも、ジャナルは決意していた。この事件の真相を追うことを。自分の身に何が起きているのかを知る事を。
それが全ての結末へ続く、ターニングポイントだった。
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