4章 機械探偵、最後の挨拶

第21話 探偵の休息

 わたしが部屋に入ると、ホームズは椅子に座ったまま首だけをこちらに向けた。

「やあ、ワトソンくん。医院のほうは順調なようだね。噂には聞いているよ」

 久しぶりに会ったせいだろうか、わたしは彼に少しだけ違和感を覚えた。


 彼のとなりの椅子に腰掛けたわたしは、やっとその違和感の正体に気付いた。

「どうしたんだ、ホームズ。元気が無さそうじゃないか」

 かつての彼よりも、なんだか声が弱々しいのだ。

「ああ。最近、充電切れになる時間が早くなってね。いつもこんな状態さ」

 さすがにぼくも、もう年だよ。彼は自嘲的に笑った。


「君は働き過ぎなだけだよ、ホームズ。どこかでしばらく静養した方がいい」

 こんな時、人間なら温泉などに行って疲れを癒やすのだが、硫黄分の含まれるお湯はホームズには逆効果だろうか。


「いや、身体の温度を上げるというのは、バッテリーを活性化する上では有効なんだよ。最近天候が悪いせいで寒い日が続いているからね。なるほど、君の提案通り、暖かい温泉地で静養というのも悪くないかもしれないな」


 ハドソンさんがお茶を持って部屋に入って来た。

 この三人が揃うのは、わたしがこの部屋を出て医院を開業して以来、久しぶりのことだった。

「ですが、ホームズさんは防水加工されていませんから、お湯に浸かるのはおよしになった方がいいですよ」

 そう言って微笑むハドソンさんはすっかり妙齢の淑女といった雰囲気になっている。可憐さを残しながら、目を瞠る美しさだった。


「やはりそうですか。では、最近はやりの蒸し風呂というのはどうですか。わたしは時々入るのですが」

 ハドソンさんは難しい顔になった。


「私はそれに入った事がないので何とも申し上げられませんけれど。これもあまり長時間は良くないでしょうね……」

「うん。ぼくは、あれは好きじゃないな。入っていると眠くなるんだ。危険を感じてすぐに退散したよ」

 なかなかに、機械の身体という物は不便な事もあるのだな、わたしは思った。


「ところでホームズ。君から電報をもらって久しぶりにこの部屋を訪ねたのだが、どうしたんだい。また、なにか事件が起きたのか」

 もしそうなら、わたしは彼を止めなければならない。


「きみは、コーンウォールへ行った事があるかい、ワトソンくん」

 ホームズは意外な事を言い出した。

 コーンウォールとはイギリス南西部に半島のように突きだした地方をいう。


「ぼくは、そこの文化について研究を始めたんだが、なにぶん資料が少なくてね。これは現地で調査するしかないと思い立った訳さ」

 そこで、旧知の君が一緒に来てくれたら心強いと思ってね。ホームズは複眼を細めてわたしを見た。


「どうだろう、一緒に来てくれないか?」


「勿論だとも、ホームズ」

 わたしは即座に頷いた。


 ☆


「ところで、ハドソンさんも一緒なのですね」

「ええ。下宿人たちの行動を把握するのは大家のつとめですから」

 わたしはもう下宿人ではないのだが。


「実は、コーンウォールには叔父の工房があるんです。今回はそこに泊めてもらえる事になっているんですよ」

「ついでに、ぼくの身体も調整してもらえるらしいから、一石二鳥という訳さ」

 なるほど。ならば納得だ。



 コーンウォールの海岸線は入り組んだ断崖絶壁が続いている。荒々しく削られた岩肌に打ち寄せる波が、その度に白く砕け高く舞い上がった。

 それを見下ろしたわたしは目が眩んだ。そうだ、忘れていた。わたしは高いところが苦手なのだった。

 更に突然の強い風にあおられ、たたらを踏むわたしをハドソンさんが腕をとって引き戻してくれた。

「気をつけて下さい、ワトソンさん。ここは自殺の名所としても知られていますからね。落ちたら助かりませんよ」

「……ありがとう、ハドソンさん」

 わたしは背筋が寒くなった。


 ふと見ると、ホームズは腕組みをして何かに思いを馳せているようだ。

「どうしたんだ、ホームズ」

 うん、とひとつ頷く。


「ぼくも、こんな岬の先端に犯人を追い詰めてみたいな、と思ってね」

 できれば火曜日にね。


 ☆


 ハドソンさんの叔父が住むという家は、高い煙突を持つ大きな工場の前にあった。

「あの煙突の建物が、叔父の工房なんです」

 おおう、とわたしとホームズは声をそろえた。


「ほう、これがホームズさんか。なんと素晴らしい出来ではないか、フロリー」

 彼女の叔父で発明家のムーア・エイガー博士は、ホームズを見るなり歓声をあげた。

 えへへ、とハドソンさんも照れている。


「初めまして、シャーロック・ホームズです。そして彼は…」

 言いかけるホームズの言葉を遮って、エイガー博士は両手でホームズの頭を横から押さえた。

「ちょっと失礼するぞ」

 そう言って彼の複眼を覗き込む。

「うむ。次は口を開けてくれないか」

 言われるままにホームズは口を開ける。


「フロリー、彼には緊急手術が必要だ」

 やがて、深刻な表情でエイガー博士は言った。

 私たちは顔を見合わせた。



「これは困ったな。何処へも行けなくなってしまったぞ」

 テーブルの上でホームズは嘆いた。

 そこに載っているのはホームズの頭部だけだった。長いコードが、床に置かれたバッテリーにつながっている。身体はエイガー博士が分解、修理しているのだ。


「まあ、たまにはゆっくりすれば良い。わたしの言った通りになったじゃないか、ホームズ」

「そうなのだけれどもね。やれやれ」


 頭だけになったホームズは、大きなため息をついた。


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