第12話 ロンドンはいつも霧の中
わたしたちはアパートの部屋に集まっていた。
ハドソンさんによって片付けられた部屋のテーブルには、彼女がいれてくれた
「あなたに、お詫びをしなくてはならないわね。ホームズ」
アイリーン・アドラーは肩を竦めた。
「知っているよ。どこかの王様と結婚するらしいじゃないか」
そっぽを向いたままのホームズに、彼女は吹き出した。
「いつの話よ。それは、あなたを振るための口実でしょ。大学を出たばかりのことなのに、よく覚えてるわね」
「ぼくには、忘れるという機能がないんだ」
ホームズの言葉に、そうだったね、とアイリーンは頷いた。
「あなたは、機械になる前からそうだった」
「ホームズ。君は、もとは人間だったのか」
わたしは驚いて、ホームズに問いかけた。
「それはそうだよ。きみだって最初から大人だった訳ではないだろう、ワトソンくん」
ちょっと待て。成長して大人になるのは珍しくないが、機械になるというのは聞いた事がないぞ。そんな事があっていいのか。
「あのドイルくんの正体は、このロンドンの裏社会を支配するモリアーティ教授という男だった訳だが……」
そう前置きして、ホームズは語り始めた。
「君と出会う、もう少し前の事だ。……ぼくは、奴を追い詰めることに成功したんだよ。ぼくは奴の最強の部下と決闘し、二人とも滝壺に落ち、命を失った」
「死んだ、というのか」
わたしはホームズの複眼を見た。頷くように、まぶたが降りる。
「そこで、もう一度命を与えてくれたのがハドソンさんだ」
天才発明家、フロリー・ハドソン。
「わたしだけじゃありません。他の方にも、いろいろ協力してもらっています」
照れるハドソンさん。
☆
「では、連続殺人の犯人は誰なんだ。やはりあのドイル、いやモリアーティ教授だったのか?」
ホームズは首を横に振った。
「もちろん命じたのは彼だよ。だけど実行犯は、ぼくと一緒に滝壺に落ちた、モラン大佐という男だ。実に恐るべき男でね。まさに殺人機械といったところだな」
まさか、その男が……。
「その通り。ぼくと同じ機械の身体になって甦ったのさ」
わたしは思わず、ハドソンさんを見た。
「おいおい、ワトソンくん。あいつに関してはハドソンさんは関係ないよ。あれを造ったのは、ハドソンさんの書いた設計図を盗み出した奴らの仕業だからね」
「奴らは、ぼくの犯行に見せかけて連続殺人を実行した。ぼくを追い詰めるため、そして…」
そこでホームズは言葉を切り、アドラーさんを見た。
「真の目的が彼女であることを隠蔽するためにね」
「なぜアドラーさんを?」
わたしは信じられない思いだった。こんな淑女を……。
「ワトソンさん。あなたは、いい人ですね」
彼女は静かに笑った。
「わたしは、政府の職員ですよ。しかも情報担当の。汚い裏工作も何度も行ってきました。命くらい狙われて当然です」
「それで、やつらの顛末だが」
ホームズはパイプの煙を吐き出した。
「彼女が姿をくらましている間の出来事になるけれど。機械のモラン大佐を捕らえたのは君なのだろう、アイリーン」
「まったく。素材が違うと出来上がるものがこれだけ差があるのかと、呆れたわ」
そう言って、彼女はホームズを見た。
「コカ飲料を飲ませたら、すぐに酔っ払っちゃって」
わたしは思わず吹き出した。
どうやら、ハドソンさんの作品の欠点は共通しているようだ。
「で、ぼくにお詫び、とはなんだ」
ホームズは思い出したように、彼女に問いかけた。
「そうね。それを言っておかないと」
彼女は組んでいた長い脚をそろえて、ホームズに向き直った。
「モリア-ティの、さらに黒幕がいるのは気付いているでしょう?」
真剣な眼差しがホームズを射ぬく。
「ああ。おおよその見当はついている」
「さすがね、ホームズ」
そして、彼女は宣言した。
「わたしの上司であり、あなたのお兄さんでもある、マイクロフト・ホームズ氏を逮捕しました。了解いただけるかしら」
わたしは、唖然とした。
ホームズの兄さんだと?
「ロンドンの治安悪化による政府転覆を狙った、というのだろう」
ホームズは感情を見せず、そう言った。
まあ、あの男らしくないやり口なのは気になるが……。
☆
こうして、連続殺人からクーデターにまで発展しようかという事件は終幕を迎えた。
「どうしたんだい、ワトソンくん。浮かない顔だが」
ホームズは盛大に煙を吐き出して言った。
わたしは、うーん、と唸った。
「なんだか、すとんと胸に落ちないのだよな」
ふふっ、とホームズは笑った。
「それがロンドンさ。……ここはいつも、霧の中だからね」
END
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