第9話 ロンドンは蒸気のなかに
アイリーンはホームズに鋭い目を向けた。
「これから、私が調べたことをお話しします。宜しいかしら」
その時、窓の外で大きな爆発音がした。
三人は急いで窓際に駆け寄る。
通りの向かいでは石畳が割れ、そこから凄まじい勢いで蒸気が吹き上がっていた。爆発に巻き込まれたのだろう、数人の男女が這うように避難しているのが見えた。
「高圧送気管が破裂したようだな」
ホームズがぽつりと言った。
ロンドンの中心部には巨大な蒸気発生装置が設置されている。テームズ川の水をくみ上げ、石炭によって加熱する。それを地下に埋めた送気管により、市内各地に供給しているのだった。テームズ川に設けられた水門も蒸気圧により上下し、かの国会議事堂の大時計、通称ビッグベンもこの送られた高圧蒸気をタービンに通し、歯車を介して文字盤の針を動かしているのである。
各家庭でもその蒸気を利用し、調理や暖房に利用している。だが、そこまでの高圧力は必要とされないため、高圧送気管から枝分かれしたところで減圧弁によってその圧力を落としていた。
市街のあちこちに設置された煙突から蒸気が噴き出しているのはそのためである。『霧の都ロンドン』は『水蒸気の都』でもあるのだ。
「さすがに老朽化が進んでいるのかな」
ワトソンの言葉にハドソンさんが異をとなえる。
「そんな筈はありません。数年前に工事をしたばかりですよ。その時は、この辺りも長い間蒸気の供給が止まって、母がぼやいていましたもの」
やがて大きな音を立てながら蒸気自動車が駆けつけた。現在ではもちろん馬車が主流なのだが、彼らは蒸気省の作業員らしい。車から大きな工具を取り出し、道路脇の鉄板を取り除くと、その中に工具を差し込みグルグルと回し始めた。
それと同時に噴出する蒸気も収まっていった。
時を置かず、再び爆発音とともに地響きが伝わった。そしてそれは何度も繰り返された。少し離れた区画での事故なのだろう、窓からはその様子を伺う事は出来ない。
だが明らかに意図的なものだろうと云う事は、容易に想像がついた。
「ごめんなさい、ホームズ。もっとお話したかったんだけれど」
アイリーンは緊張した顔で立ち上がった。
「この続きはまた今度ね」
彼女は階段を降りると玄関前に停めた車に乗り込んだ。馬車ではない、小型の蒸気自動車だった。盛大に蒸気を吹き上げ、アイリーンの車は走り去った。
☆
疲れ切った表情の若い刑事がベーカー街を訪れたのは翌日の午後だった。
「温水が使えないので、冷水でシャワーを浴びましたよ」
そう言うとドイル刑事は鼻をすすりあげた。
彼が伝えてくれたのは先日来の爆発についてだった。
送気管の破損が4箇所。
遠方まで蒸気を送ろうとすればどうしても圧力が下がってくる。再度、高温高圧の過熱水蒸気にするための中継所も1箇所が破壊されていた。
「つまり連続爆破事件という訳です」
冴えない顔で、刑事はひとつ大きなくしゃみをした。
ホームズとワトソンは顔を見合わせた。
「これは君の仕業じゃないよな、ホームズ」
「たぶんね」
どこか自信無げにホームズは首を振った。
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