第4話 まだらの紐(その2)

「まずは落ち着いて下さい、ストーナさん。それからお話を伺いましょう」

 ホームズはティーカップを差し出した。

「申し訳ありません、取り乱してしまって……」

 ヘレン・ストーナというその女性は頭を下げた。近くで見ると、髪に白い物がまじり、最初の印象より少し年嵩のようだった。


「殺されるというのは穏やかではありませんね」

 事情を聞かせていただけますか、ホームズは促した。

 彼女の話を要約するとこうだ。

 彼女と彼女の姉は、母親の再婚相手であるロイロット博士と暮らしていた。

 その母親が亡くなり、義父のロイロット博士は遺産を受け継いだ。だが、姉妹が結婚する場合には、遺産の何割かを彼女たちに渡さねばならなかったのだ。


「ところが数年前、結婚が決まったばかりの姉が急死したのです」

 彼女は顔を伏せた。

 へえ、ソファの後ろに隠れていたハドソンさんが声をあげた。

「……、ハドソンさん何してるんですか」

「え、だってホームズさんが失礼なことを言いだしたら、これで止めようと思って」

 私の前に、レバー付きの箱を差し出した。

 ハドソンさんも、最近はこの装置ではホームズを操縦できなくなった事に気付いていたが、まだブレーキとしてなら使えるらしかった。


「と、云うことは」

 ハドソンさんがストーナさんの手をとった。

「あなたも結婚が決まったから、命を狙われているんですね」

 なぜか、すごく嬉しそうにハドソンさんは言った。

「おめでとうございます」

 どっちに対しておめでとう、なのだ。


「え、ええ。ですが、姉の死因は分っていないのです」

「ほう、なんと」

 ホームズが身を乗り出した。

「外傷もなく、毒も検出されなかったそうです。もちろん病気などではありません」

 うんうん、と何度も頷く。そう来なくてはいけない、小さく呟いた。

 ホームズといい、ハドソンさんといい、事件が好き過ぎるような気がする。

「わかりました。お宅へ伺って、調査をしましょう」

 ホームズは力強く、彼女の手をとった。


 ☆


 ストーナさんが帰って間もなく、階下でハドソンさんの悲鳴が聞こえた。

 私はドアノブに手をかけ、気付いた。

「ホームズ。どうしたんだ、その歩き方は?」

 彼は足を上げず、そろりそろりと移動している。確かに機械だから、あまり足を上げるとバランスを崩すのだろうけれど。

「知らないのか、ワトソン君。これはニッポンの『バリツ』で用いられる歩き方なのだよ」

「バ、…バリツ?」

 その基本の歩き方で、すり足と言うのだそうだ。


「とにかく急げ!」

 そういう私の前で、ドアが勢いよく開いた。入って来た巨漢に、私は撥ね飛ばされた。そして私の上に、ハドソンさんが突き倒される。


 鋭い金属音と共に、ホームズが一瞬で間合いを詰めた。

 男の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。

「ホームズさん、駄目です! 手を出してはいけません」

 ハドソンさんの一声で、ホームズは動きを止めた。

 ぎぎぎ、と軋み音をたて、床に倒れたハドソンさんと私を振り返る。


「なんだこの若造は」

 どうやらこの男には、ホームズがただの若造に見えているらしい。ホームズをどん、と突き飛ばし、暖炉の前に歩み寄った。

「娘に何を言われたか知らんが、余計な手出しはしない方が身のためだぞ」

 そう言うと、ロイロット博士は暖炉から鉄の火かき棒を取り上げた。かなりの太さのそれを易々と折り曲げる。恐るべき怪力だった。


 私は唖然として、彼が部屋を出るのを見送った。

 スカートを払ってハドソンさんが立ち上がった。ポケットから、両側に小さな重石のついた長い紐を取り出す。

 それを勢いよく回し、今まさに階段を降りようとしているロイロット博士の足元に投げつけた。

 狙い違わず、その紐は博士の両脚を絡め取った。


 階下に向けて転がり落ちていく悲鳴を聞きながら、ハドソンさんは腰に両手をあてた。得意げにふん、と笑う。

「やられた借りは自分で返さないとね」


 ☆


 私とホームズは旅行鞄を持って、馬車に乗った。

「では、三人さまだね」

 馭者が声を掛ける。

「ハドソンさん…。家を空けて良いんですか」

「住人の行状を把握するのは大家のつとめですよ、ワトソンさん」


 私が振り返ると、旅装のハドソンさんはにっこり笑った。




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