紙とペン、それから純愛

城崎

「相楽優姫さん」

「……はい」

「僕と結婚してください」

さわやかな笑顔を振りまきながら彼は、私との間にあるテーブルの上に1枚の紙とボールペンを置いた。薄目でその紙に書かれている字を見ると、書かれていたのは『婚姻届』という文字。綺麗な字で、彼の欄は記入が済んでいる。

「と、突然過ぎませんか」

「今日で貴方は20歳ではありませんか。もう立派な成人女性です。私としては貴方が16歳の時にお迎えに伺いたかったのですが、当時は優姫さんのご両親が認めて下さらなかったものですから」

「……今、ウチの両親はなんと?」

「是非、と」

16歳の時に承諾しなかったことを喜ぶべきか、現在知らぬ間に同意していたことを嘆くべきか悩み、嘆くことに決めた。帰ったら……この場を逃れ、無事に帰れたら、なにか一言ぐらい言わなければ気が済まない。

「大丈夫です。心配はいりません。あなたは、僕のそばに居てくれればいいのです」

彼の声色が一層優しくなる。

「そばに……」

「ええ、そばに」

彼の言葉は、まさに文字通りだろう。彼の家は有名な資産家であるし、何より彼自身が有能なビジネスマンだ。どうして私なんかを好いているのだろうと思うくらいには、才能が有り余っている。この書類に同意をした途端に、私は本当に彼のそばにいるだけで彼の手によって存在を肯定し続けられるだろう。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが」

「何なりとどうぞ」

「私の趣味とかって、どうなるんですかね?」

私の言葉に、彼は少し困ったような表情を浮かべる。

「『甘NUTS』の活動を見守っている件ですね? 残念ながら、僕としては僕以外の男性へ目移りされているのは大変困ります。出来れば、その熱量を別のことへと向けていただきたいのですが」

彼のことだから、絶対にそう言うと思っていた。だからこそ、数回にわたって考えたことがある。甘NUTSの活動を取るか、生活を取るか。しかし自らの生活は甘NUTSの活動、そしてその活動を通じて知り合った友人らで成り立っている。

「私、もちろん祁答院さんにも散々救われてきたんですけど、同じくらい、甘NUTSにも救われたんです。今更、彼らを応援するのをやめることは出来ません」

考えた末の結論を、堂々と口にした。これで彼との関係が終わってしまっても仕方がないと、半ば諦めたような気分になる。

「そうですか……」

彼ら俯き、何かを考えるように口元へと手を当てた。眉の下がった、悲しそうな表情。あぁ、ここまでは予想通り。彼は諦めてくれるだろう、そう思った。

「ではこうしましょう。私が『甘NUTS』に入ります」

思っていた。

「うん?」

「幸いにしてダンスも踊れますし、歌も歌えます。顔も、優姫さんにかっこいいと言われるくらいなので悪くはないでしょう。体型に関しては専門のトレーナーがいるので問題はないでしょうし、年齢も彼らとは大差ありません。父に掛け合ってみます」

あまりの内容に、私は言葉を失った。彼はスマートフォンを少しタップした後、耳に当てる。

「あぁ、父さん。お願いがあるんだ」



数日後、彼は瞬く間に世間の『アイドル』となった。その忙しい活動の合間を縫って、私と結婚式の予定について話し合っている。

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紙とペン、それから純愛 城崎 @kaito8

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