9・教会

 Aと舞の二人は粗末な馬車の上で目覚めた。馬車は木々が生い茂る山道の中を進んでいた。

「お二人さん、起きましたか。もう少しで着きますよ。」

 馭者は白い髭をふさふさと蓄えた齢七、八十位の老人だった。頭には麦藁帽を被って青いシャツを着ている。

 Aと舞は馭者に何も悟られないよう黙っていた。馭者もまた黙っていた。

 空はよく晴れていた。柔らかな朝の陽光が二人の顔を照らしている。僅かに、風が吹いていた。風はAの顔に当たり、舞の長い髪の隙間を通り抜けていった。

 舞は一つ、間の抜けた欠伸をした。

 やがて木々が晴れ、隙間から大きな建物が見えてきた。教会だった。急に大気が冷たくなった。

 教会の前で馬車は停止した。馭者は無言で二人を促した。Aと舞が馬車を飛び降りると、すぐに馬車は元来た道を帰って行った。

 教会の周りには誰もいなかった。

「何処なのかしら。ここ。」

 馬車が見えなくなってから、舞が口を開いた。

「さあ。まあ入るよりないだろう。」

「そうね。」

 教会は山中にあるにしては異様に大きかった。

ゆうに数百人の人間が入れるであろう。レンガ造りの建物で、教会の扉はいかめしい鉄の門であった。

 Aはノブに手をかけ、ぐっと力を込めると、門は簡単に開いた。

 すると、教会の中から何十人もの人間の眼差しが二人に向けられた。教会は一瞬静まり返った。Aと舞は気圧され、中に入ることを躊躇した。

 だが二人に注目が集まったのは一瞬の事。教会の中にいた何十人もの人々はすぐにそれぞれの会話に戻った。

 二人は教会に入った、講堂はとても広く、数多の人間と長座椅子がひしめき合っていた。講堂の奥には祭壇があり、その場所は群衆より一段高いところにあって皆を見降ろすように建てられていた。

壁面は色取り取りのステンドグラスで飾られていた。だが外の光はほとんど入ってきておらず、教会の中は暗かった。

 Aは教会の扉を閉めた。

 二人は群衆の隙間を見つけ、椅子に座った。

 群衆は教会の神聖な雰囲気に反して各々好き勝手な事を喋り散らかしていた。

「ツムタプって何なのだろうか

「どうも学者連中もわかってないらしい

「実はそんなものないんじゃないか

「地底人がほんとのことを言う保証はないしね

「そんなことより例の井戸を作る話はどうなった

「中止だろそんなもの

「いや明後日から工事するという話だが

「地底人の要求どうするんだろうねえ

「いいか、うちの一族は金なんか出さないからね

「これは信条の問題だよ

「あんたいつも言う事が抽象的だねえ

「道路を作らないでくれなんて、認められるわけがないだろう

「要は酸素が問題なのだろう。ならそれを送る設備を作ってやりゃあいいじゃないか

「だからその金は何処から出すんだ

「そろそろ水が足りなくなる時期なんだから、作るなら早くしないと

「その通りだ

「税金から出すんじゃないか

「あくまで地底人の問題なんだから、地底人が考えるべきだろう

「そういややつら昼間活動できないって本当かい

「愛の原理でもって接するべきじゃないか

「いや民族自決だ

「なんだか噛み合わないねえ

「そうねえ

「生存可能な領域は異なっているが、道路の問題が起こった以上、実質これは生存圏の問題なのだよ。生存圏の衝突なのだよ

「ツムタプを残してやりゃいいだろ、これまで通り

「井戸が作られないとなると、今年はどうしようかしらねえ。まあ、毎年なんとかなってることだし、今年も何とかなるかねえ

「つまりどうなるんだ

「戦争だよ。皆で一致団結して、地底人と戦わなければならない。奴らは我々の生存圏を脅かす存在なのだ。道路というのは最早我らの生存に必要不可欠なものである。これを奪うということは即ち、我らを殺すという事に他ならない。既に奴らは我ら地上人に宣戦布告を行ったと見なすべきなのだ。これは我らの権利を守る為の闘争である。」

「待ってくれ。まずは話し合うべきだ。彼らの問題はまずもって酸素なのであるから、道路の敷設が直ちに問題となるわけではない。他の解決策は必ず存在する筈である。過去に袂を分かった二つの存在が再び一つになる機会なのだ。愛を持って、乗り越えようじゃないか。」

「その代案は

「その金は

「地底人は急いでいると言っていただろう。話し合う余地などどこに

「界の衝突を消せるというのかね

 平行線の議論に舞は一つ欠伸をした。Aは鼻から聞いていなかった。

「なんだか退屈して来ちゃったわ。」

「何、楽しい事ばかりじゃないんだよ。」

「まあ、そうねえ。」

 舞はまた欠伸をした。

「皆さん、ご着席下さい。」

 何時の間にか、祭壇の上に一人の男が立っていた。

「これより朝食の時間です。」

 先まで講堂を満たしていた声は一瞬の内に消え、人々はぞろぞろと近くの椅子に座って行った。

 すると、何処からか山積みのパンが入った籠を持った白いローブ姿の女達が現れ、着座した人々にパンを配って行った。

 人々はパンを受け取ると、静かにそのパンを食べ始めた。

 Aと舞は、受け取ったパンを眺めた後、周りに倣ってパンを食べ始めた。パンは何の味もしなかった。すぐになくなってしまった。

「皆さん、よくお聞き下さい。地底の静寂から突如として響いて来たあの声たちは、我らに試練を与える声。来たる滅びに向け、我らは一つとならねばなりません。愛を持ち、我らは我らの垣根を超え、天井の子らとして、一つになるのです。」

 男の声はとても柔らかいものだった。

 Aと舞の二人に、睡魔が忍び寄って行った。

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