8・地底

 歴史学者の虫夜はある日自分の家の前に奇怪な生物が倒れているのを見つけた。その姿形は自らと同じく二本の手、二本の足、そして一つの頭を持っていた。しかし、その頭にはモグラと同じような体毛を持ちながら、手足に毛は無くミミズのように滑らかであった。そして極めつけは、多種多様な色彩で飾られた布をその体に纏っていたのである。

 虫夜はその生き物が気を失っていることを確認すると、ひとまず自分の家に入れ手当することに決めた。もしかするとこの生物は歴史的な発見となるかもしれないという僅かながらの期待を胸に秘めながら。


 やがてQは目覚めた。そこは土壁に囲まれた部屋の中で、奇怪な生き物が椅子に座っているのをQは見つけた。

 その生物は人間と同じ姿形をしているのに、身体の一切に毛が生えておらず、その肌は人間というにはあまりにも青白かった。そして何より全裸であった。

「おお、起きたのか。君は何者だ。まず、言葉は分かるのかね。」

 その生物が口を開いた。Qは驚きながらも頷いた。

「なんと。君は人間なのか。」

「そうだけれど……。」

「何という事だ。君はどうやら我々が失ったものを持っているらしい。」

「失ったもの?」

「その頭の毛だよ。それと、肌の色だ。」

「はあ。」

「まだ飲み込めないようだね。ここは地底だよ。私は君から見れば、多分地底人という事になる。君は地上から来た人間ではないかね。」

「そうだけれど。」

「ああ、やはりそうか。いいかね、伝わっているか分からないが、三千年前の話をしよう。

 その頃地上は過ごしやすい、快適な環境であった。温度は程よく涼しく、水も沢山あった。だが、あの忌まわしき太陽が連日日中に照り付け始めた。空から雨が降ることは無くなり、地は干乾び、気温は日増しに上昇した。そこで人類は二つに分かれた。太陽を避け、地下の水脈の近くに潜った者達と、地上に残った者達である。時折、その二つの集団は連絡を取り合ったが、やがて地上に残った者達の消息は途絶えた。以来、我々は地下の中で暮らし続け、その命脈を現代まで保ってきたのである。地上人達は滅んだものと思っていたが、まさか生き残っていたとは。なんという発見だろう。今日、まさしく歴史が動いたぞ。」

 虫夜は小躍りした。

「私、そんな話初めて聞いたわ。」

「そうかね。もしかすると、二つに分かれた集団とは別の集団の末裔かもしれない。それか、単にその歴史が失われたのかも。だがそれは些細な問題だろう。それよりも、君はどうやってここに来たのだね。地上への道は全て無くなっている筈なのだが。」

「私、どうやってここに来たのか覚えてないわ。エレベーターに乗っていたことは覚えているんだけれど。」

「エレベーター?」

「上下に移動する乗り物の事だけれど。滑車を電気で動かす物だったかしら。地底にはないの?」

「ああ、昇降機の事か。だが地上に繋がっているものは存在しないし、君がどうやって来たのか、全く謎だな。」

「最近、こんな事ばかりなの。気を失って、気付いたら全く見当もつかない場所にいるの。」

「それは厄介だ。ううむ。とりあえず、食事にしようか。そろそろ朝ごはんの時間なのだ。ああ、そうだ。私は歴史学者の虫夜という。よろしく。」

 虫夜はそう言って立ち上がると、戸棚からコップを二つ出し、ポットから何らかの液体を注いだ上で、片方をQに渡した。

 コップの中にはひどく粘性の高い緑色の液体があった。Qが顔を近づけると、それはハーブの様な香りがした。

「クルチェの根を炊き出し、ミミズとマアムを潰して混ぜたスープだよ。トランガという。まあ飲んでみてくれ。美味しいから。」

 Qは恐る恐る口に含んだ。Qの口内に、ほとんど泥と変わらない味が広がった。うまみだのと言った、およそ人間的な味とはかけ離れた物だとQは思った。

 虫夜はQの様子を気にせず一息にそれを飲み干し、話を再開した。

「君がどうやって来たのか、それはどうやらわかりそうもない。だが君は良い所に来てくれた。というのも、今現在我々地底人は滅亡の危機に瀕している。君も人間の生存に酸素が必要なことは知っているだろう。我々地底人はその酸素をツムタプという樹の根の空孔から得ている。我々地底人はそのためこのツムタプの根の近くに集落を作り、これまで生き延びてきた。長年の研究により、このツムタプの空孔は地上に繋がっており、酸素を地底に送り込む役割を果たしている事が分かっている。だが近年、このツムタプが急速に枯れ始めたのだ。原因は全く分からない。地上で何か起きているのかもしれないが、我々地底人にそれを観測する術はない。このままでは我々は酸素を得る手段を失い、この地の底で窒息死する事になるだろう。地上人よ、教えてくれ。地上では一体何が起きているのだ。」

 Qは決死の覚悟でスープを飲み切り、吐きそうになっているところであったが、虫夜の必死な様子を見て息も絶え絶えながらもなんとか答えた。

「正直、分からない。そのツムタプがどんなものかも分からないし。けれど、近頃地上では植物の数、というかその生息範囲が狭まっているのは間違いないと思う。木々は伐採されて、地面がコンクリートで固められているんだもの。」

「おお、何という事だ。ところで君、地上はもう日照りは起こっていないのか。」

「ええ全然。普通に暮らせているもの。」

「ふむ。ならば君よ、我らを地上に案内してくれ給え。何としてでも地上に帰還し、様子を見なければ。君の来訪はまさしく大地の導き。決して無駄にするわけにはいかない。」

「でも、私、どうやって来たのか分からないのよ。」

「それは構わない。重力に逆らい、上方に向かえばやがて地上に至る。君は地上に出た後の案内をしてくれればよい。

今日の希望は上方に。酸素不足は一夜の夢。地上と地底が手を取り合いて、新たな繁栄の時代へ。」

 しかし、虫夜の思い虚しくQはこの後に起こる地盤沈下に巻き込まれてしまう

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