7・事務所
「おい、何時まで女と抱き合っていやがる。早く起きろ。」
Aを起こしたのは、白スーツ姿の坊主頭の男であった。額に傷があり、明らかに堅気の目ではない。
「一時間後にはカチコミだ。朝飯を食って準備しておけ。」
男は机にカップ麺を二個置き、部屋から出て行った。
酷く散らかった部屋だった。ベッドと机の他、床に様々な物が転がっていた。衣服や雑誌、ビールの空き缶やコンビニ弁当の空き容器等ゴミも多数ある。
「どうなっているの。」
Aの隣で目を覚ましたのは、藤原舞である。
「やっぱりついてきちまったか。」
「ここは何処なの? さっきの男は? あらいやだ、わたし裸じゃない。服を取って頂戴。」
Aは立ち上がって床に転がっている、脱ぎ散らかされている女物の衣服を拾って舞に渡すと、自分も同じように転がっている男物の衣服を身に着けた。二人とも黒のスーツ姿になった。
「説明は後だ。まずは朝食だ。」
Aは部屋の中にポッドがあるのを見つけ、男が置いて行ったカップ麺にお湯を注いだ。
「さっきまで私達、列車の中にいたわよね。」
「ああ。だがその列車は事故にあって俺達は死んだ。」
「死んだって――、じゃあ私達はどうなってるのよ。」
「いいか、状況はこうだ。まず朝食を食べる。次に何らかの方法で死に至る。すると全く別の朝を迎える。これが何度も繰り返される。朝食、死、朝食、死、これを何度も何度も繰り返してきた。さながらシーシュポスのように。」
「意味がわからないわ。あなた、一体何回繰り返してきたのよ。」
「さあね。百を超えた所で俺は数えるのを止めた。」
「原因はわからないの。私元の生活に戻りたいわ。」
「なら戻れるだろう。あんたがついて来たのは多分好奇心からだろう。前にもついて来た奴はいたが、ちゃんと元の生活に戻れたよ。」
「そう、ならいいのだけれど。」
「いいか。まずは朝食だ。丁度三分経ったぞ。」
「私カップ麺も初めてなのだけれど。」
「何、最初は誰にでもあるもんだ。」
Aは蓋を開け、机の上に置いてあった割り箸を割り、麺をすすり始めた。豚骨ラーメンだった。
舞もAを見習って、割り箸を割り、麺をすすり始めた。
「なんて濃いのこれ。ひどい味だわ。」
「そうかい。」
「夕食ならまだしも、起き抜けに食べるにはきつすぎるわ。」
舞は箸を置いた。
「ねえ、何故まず朝食なの。もしかしたら、食べなければ死ぬことはないんじゃない。」
「それは駄目だ。必ず酷い事になるんだ。もう三度試したが、三度ともそうだった。」
「酷い事って。」
「一度目は軍隊にいた時に試した。配給を拒否してたらそれに気づいた上官に命令された。食べろってな。それでも拒否したら、やがて複数の男に取り囲まれ口を強引に開けられて、乾パンをねじ込まれたよ。むせてもお構いなしだった。
二度目は女房とおぼしき女と一緒の食卓に着いた時だ。優しそうな女でな。まさに温かい家庭ってやつだ。この女なら大丈夫だろうと思って、今日は体調が悪いからと朝は止めとくと言ったんだ。するとその女、ひゅっと表情が暗くなって、なら栄養を取らなくちゃと言ったんだ。それからいくら気分が悪い、食欲がないと拒否しても栄養、栄養の一点張りで、聞いちゃくれない。終いには何かやましい事があるの、私への愛が無くなったのなどと見当外れの事を言って、食べなきゃ殺すと包丁で脅してきた。だが俺もその時には死ぬのは怖くなくなってて、頑張って食べることを拒否した。すると女は俺の手を包丁で刺して机に固定して動けなくすると、何かスープの様なものを無理やり流し込んできた。何のスープか分からなかったが、とてもじゃないが飲めた味じゃなかった。俺は本当に気分が悪くなって吐いちまったよ。すると女は発狂、奇声を上げながら俺を滅多刺しにしたとさ。
最後はホームレスになった時さ。今度は誰も命令してくる奴なんかいない。俺は炊き出しにも寄り付かずにその辺をぶらぶらしていた。段々と空腹が襲ってきたので俺は橋の下で寝っ転がって耐える事にした。すると、橋の下の鉄骨を、鼠が走っているのが見えた。何でそんな所を走ってるのかは分からなかったが、俺は暫くそいつの様子を見ていた。すると、俺の頭上辺りの鉄骨にその鼠が来た時だ。地震が起きたんだ。そこそこ大きな地震でな。上から例の鼠が降ってきやがった。俺が驚いて口を開けちまった瞬間、その鼠が上手いこと俺の口の中に入りやがった。防ごうとしてすぐに口を閉じちまったのが運の尽き。口の中でキュッと悲鳴が聞こえて、すぐに血の味やら、泥の味やら、色んな最低の味が口の中に広がったよ。最低の朝飯って訳だ。
どうやら俺が朝飯を食わないようにしても、世界が俺に何らかの朝飯を食わそうとしてくるらしい。それも、最低のやつをな。」
舞は青くなって慌ててカップ麺を啜った。鼠を食べるよりこのドロドロの濃いスープを飲んだ方が遥かにマシだと舞は思った。
二人が食べ終えた所に、先の白スーツの男が入って来た。
「作戦会議だ。来い。」
Aは舞に目配せした。二人は立ち上がり、白スーツの後に続いた。部屋を出ると、ひどく狭い埃っぽい廊下がそこにあった。白スーツの男は手をシャツに入れ、猫背姿でずんずん歩いた。
同じく狭い階段を降り、更に進んで扉を開けるとそこは大広間。ピアスを幾つも開けた男やら、金髪の男やら、ガラの悪そうな男達が鮨詰めになって立っていた。
部屋の中は煙草の煙で充満しており、思わず舞は鼻を覆った。
白スーツの男は他の男たちをかき分け棚の前に立つと、大きな紙面を取り出し、部屋の中央にある机の上に広げた。
「皆、集まってくれ。」
男達がぞろぞろと机に周りに並ぶ。
「いいか、よく聞け。馬鹿なお前らでも分かるように説明してやる。一度しか言わないからよく聞けよ。昨夜このホテルに橘組の若頭が一人で泊まったという情報が入った。奴が止まっているのは最上階の一〇〇六号室。高級ホテルからの景色はまさに天国だろう。今日、俺達は奴をこの天国から地獄へ叩き込む。どうやら奴は手下を二、三人しか連れてきていないらしい。警備は手薄だ。必ず殺れる。段取りはこうだ。まず、車でホテルに向かう。運転手は乗員を降ろしたら、一旦この公園の駐車場まで退避。」
「なあ兄貴、誰が運転手なんだ?」
太った男が口を挟んだ。
「それは後から説明するから黙ってろ。」
「すまねえ兄貴。」
「ええと、車が退避したら乗員全員でホテルに乗り込む。で、入れ違いにならないよう表口と裏口に見張りを一人立てる。残りの全員でエレベーターホールに向かい、1人見張りを立てて、最上階に向かう。最上階のホールにも二人見張りを立てる。この二人は失敗した時に退路を確保するためだ。残った全員で奴の部屋を襲い、うまくいったら携帯で車を呼び、全員で脱出だ。わかったな。」
それから、白スーツの男は男を順々に指差して、各自に役割を与えた。Aと舞は最上階のエレベーターホールの確保だった。さらに各自に一丁ずつ拳銃が与えられた。
「よし行くぞ。車に乗り込め。」
男達がぞろぞろと部屋を出ていく。Aと舞は無言でそれに着いて行った。
駐車場は建物の地下にあった。広い空間の中に、黒い車が何台も置かれていた。Aと舞が車の後部座席に乗り込むと、運転席にサングラスをかけたポロシャツの男が、助手席には丸々太った大男が乗り込んできた。後者の男は先に口を挟んだ男である。
サングラスの男はキーを車に差し込み、エンジンをかけた。エンジンが始動し、振動が四人に伝わる。車は排気ガスを吐きながら、ゆっくりと加速していった。
地下駐車場を出ると、サングラスの男は別の仲間の車の後ろに、ぴったりと貼りつけた。
「なあ、お前ら。昨日は随分と楽しんだんだろうな。」
サングラスの男が口を開いた。
「黙って運転しろ。」
Aは後ろから運転席を蹴りつけた。
「おおっと。あぶねえだろ。事故っちまうぜ。……あーあ、死ぬ前にゃいい女を抱きたかったなあ。」
「今日は死なないさ。なんてたって若林さんの作戦だぜ。」
太った男が言った。
「全く、お前は若林さんが好きだからな。だがな、物事に絶対なんてものはないんだ。列車が空を飛ぶ。地底から新人類が現れる。どんなことだって起こり得るのさ。今日、俺達がもし死ぬとしても、それは大したことじゃないんだ。明日には地面が無くなってるかもしれない。俺はずっと恐れているんだよ。」
「何が何だかわかんねえな。何が言いたいんだ。」
「お前の大好きな若林さんが今日死ぬかもしれねえってことさ。」
「成程、そいつは恐ろしい。だがきっとそうはならないさ。」
「馬鹿に付ける薬はねえな。さあ、もう着くぞ。」
車はホテルの前で停まった。
三人を降ろすと、サングラスの男は車を発進させた。車が走り去ると、太った男はAと舞を伴いホテルに入った。
ロビーの照明は明るく、煌びやかであった。壁は全て大理石が貼られており、床には赤いカーペットが敷かれている。
三人がエレベーターホールに着くと、そこには既にスーツ姿の男達がたむろしていた。
「揃ったな。行くぞ。」
白スーツが言った。
男の一人がボタンを押し、エレベーターを呼ぶ。
すぐにエレベーターはやって来て、扉が開いた。中には誰も乗っていなかった。
男達はエレベーターにぞろぞろと乗り込んだ。
「いいかお前ら、ぎりぎりまで銃は出すなよ。」
扉が閉まり、エレベーターは十階を目指して動き出した。
エレベーターは途中の階に止まることなく十階に到達した。
扉が開く。エレベーターホールには誰もいなかった。
「よしお前ら、静かに行け。」
男達は舞とAの二人を残し、廊下の奥へと向かった。男達の姿は、廊下の突き当りの角で消えた。
舞はひたすらエレベーターの開ボタンを押し続け、Aはエレベーターを降り、物陰に隠れた状態で廊下を見張った。
「何だかすごい所に来たわね。」
「こういうのは稀さ。前回みたいに移動中だかにさっさと死んで終わりが大多数だ。」
「あら、それじゃあなんだかつまらないわね。」
「だがもっと面白い時もある。ファンタジックな場所に飛んだりとかね。」
「ふうん。」
「帰りたくなったら、帰りたい場所を一心に念じろ。それで帰れる。」
「そうなの。じゃあ、何故貴方は帰らないの。」
「帰りたくないのさ。少なくとも、三度は自らをそう欺いた。もう帰る場所なんてないんだ。」
「なんだかよくわからないわ。」
「だろうな。家がある人間に分かることじゃない。」
「はあ。」
瞬間、連続して銃声が響いた。続いて、幾人かの悲鳴。
Aは銃を懐から取り出した。
「構えろ舞。追われて死ぬか、ここで死ぬか、どっちだと思う。」
「生き延びることもあるんじゃないの。」
「さあな。今のところ、その経験はない。」
廊下の角から男が飛び出してきた。白スーツの男だ。
「失敗だ、罠だった。」
そう叫びながら、白スーツの男は銃を撃った。だが彼の手を銃弾が掠め、彼は銃を落とした。
白スーツの男は諦めエレベーターの方に向かって走って来た。曲がり角から、別の男が現れ銃を撃ってきた。
Aは狙いを定め、引き金を引いた。
血を散らしながら、男が倒れた。
しかし、続々と曲がり角から男が現れ、Aと白スーツの男目掛けて銃弾を撃ち込んできた。
舞も男達に向かって銃を撃ち込んだが、放たれた弾丸は壁に穴を空けるだけであった。
やがて白スーツの男はエレベーターまでたどり着けずに、廊下の真ん中で背中に銃弾を受け、倒れ込んでしまった。
「逃げろ……。」
擦れた声で男が言う。そのまま白スーツの男はこと切れた。
それを見たAは銃を撃ちながら、エレベーターに乗り込んだ。
舞はすぐさま閉ボタンを押した。しかし、エレベーターの扉はゆっくりと閉まっていった。
「早く早く……」
念じながら舞はボタンを連打した。
しかし、扉が閉まりきる前に、エレベーターの中へ赤い筒が投げ込まれた。ダイナマイトであった。
「そんな無茶な。」
Aが呟いたのも束の間、扉はそのまま閉まりきってしまった。
導火線が無くなるまで、残り一秒。
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