5・列車

Aは窓から差し込む陽光の中で目を覚ました。列車の中である。どうやら居眠りをしていたようだ。

 Aはボックスシートに座っており、対面には若い女が座っていた。

「ねえ、あなた。さっきまで随分うなされていたわよ。大丈夫? ひどい汗よ。」

「ああ、えっと。ちょっと悪夢を見てて。殺される夢だったんだ。」

「あらそれは恐ろしいわね。」

 女は鞄の中からハンカチを取り出し、Aに差し出した。

「ああ、ありがとう。」

 受け取ると、Aはそれで額の汗を拭った。上等なハンカチの様で、とても肌触りが良いとAは感じた。

「もう殺される夢は何度も見たんだが。何度見ても慣れないね。死ぬ時はやはり恐ろしい。」

「まあそれはそうでしょうね。私だって見たくないわ。――ねえ、そのハンカチ上げるわ。」

「え、いいのかい。」

「それ、私の父の会社で作ってるハンカチなの。私には無料みたいなものだから気にしないで。」

「ふうん。随分いいものに思えるけど。」

「気に入ったなら、また買ってちょうだい。ブランド名、書いてあるでしょ。」

 女が言う通り、ハンカチにはローマ字で、FUZIWARAと記されていた。

「どうやらセールスに引っかかったみたいだな。」

「まあ、それはいいの。それよりあなた、この写女の子、どこかで見てない?」

 そう言って女はAに写真を見せた。若い、十四五くらいの娘であった。どことなくこの女に似ていて、和装である。

「いや、見ていない。」

「そう、それは残念。この子、妹なんだけど、急にいなくなっちゃったのよね。一週間前位に。」

「なら、警察に任せておけばいいだろう。」

「いやそれがね、大事にしたくないからってお母さまがね。自前探偵雇って探すからって。でも、ほんとに探してるんだか。お父様はお母様が怖くて何にも言わないし、お姉ちゃんもお母様にすっかり同調しちゃって。でもそれじゃ妹が可哀そうでしょ。」

「ふうん。」

「あらいやだわ。私、喋り過ぎちゃったかしら。」

「事情は大体わかった。もし見つけたら連絡してやるよ。」

「あらいいの。優しいのね。」

「あまり期待はしないでくれ。俺もややこしい状況なもんで。ところで、朝食がまだなんだが、あんたは?」

「私、さっき初めてコンビニのおにぎりを食べたんだけど、変に味が濃くて、ろくずっぽ食べずに残しちゃったの。その余りがあるから、貴方にあげるわ。」

「なんだか貰ってばかりだな。」

「気にしないで、私が要らないんだから。」

 彼女は鞄の中からコンビニの袋を取り出し、Aに渡した。中には三つのおにぎりが入っていた。

 Aは中から一つおにぎりを取り出し、封を切った。具は昆布だった。

「世の中の人は何故そんなものを平気で食べていられるのかしら。不思議だわ。」

「これが普通なんだよ。」

「そうなの? もっと美味しいものがあると思うのだけれど。」

「これよりひどいものも沢山ある。要は慣れなんだ。慣れていないものを急に口にすると、人は戸惑うものさ。あんたみたいにね。」

「そう。じゃあ、新しいものはあまり食べない方がいいのかしら。」

「そうとも限らないさ。同じものばかり食べてりゃいずれ飽きちまう。」

「それもそうだけれど。」

「普段食べてるものに近いものを食べればいい。あんたは普段親に良いものを食べさせてもらってるんだろう。なら、それよりちょっと悪いものを食べればいい。そうやって、ちょっとずつ別のものを食べて、段々と領域を広げるんだ。そうすれば色々なものが食えるし、飽きだってこない。」

「成程。まあでも、私は冒険は少しでいいわ。概ね現状に満足してるの。」

「そうかい。」

 Aはしゃべりながら、手早くおにぎりを平らげていった。女の言う通り昆布は塩辛くて味がきつかったが、Aはこんなものだろうと思った。

 昆布のおにぎりを食べ終えると、次のおにぎりを取り出した。鮭のおにぎりである。Aは同じように封を切り食べ始めた。

「ねえ、妹のことなんだけど。出来れば一緒に探して下さらない。あなたはどうやら賢そうだし、あなたと一緒ならすぐに見つかりそうだわ。」

「それは構わないが、止めといた方がいい。」

「なぜ。」

「さっきも言ったが、俺は面倒な状況にあるんだ。」

「それってどういう意味なの。」

 Aはしゃけのおにぎりを食べ終えた。このおにぎりもまた、塩辛かった。

 最後のおにぎりはエビマヨネーズだった。

「あんた、変なものを買ったな。」

「そう? なんだかよくわからなかったから、適当に買ったの。」

「質問に答えている暇はなさそうだ。これ、好物なんだ。」

「はあ。」

 Aは最後のおにぎりをすぐに食べ終えてしまった。Aは彼女が食べたおにぎりはハズレの具だったのじゃないかと思った。

「朝食は終わった。さて、あんた名前は?」

「藤原舞よ。」

「一つだけ約束してくれ。朝食は必ず食べるように。」

「なあに、それ。」

「あんたが助かることを祈るよ。」

 二人を乗せた列車は線路に積まれた小石に乗り上げ、脱輪して空を飛ぶことになる。

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