4・山小屋

Qが茂みの上で目を覚ました時、既に夜が明ける前であった。

 夜露に濡れたQの身体はひどく冷たくなっていた。

 家から持って出た筈の荷物はどこにもなかった。

 辺りは深い森の中。幾つもの植物が生い茂り、人の存在を示すようなものは何処にもない。

Qは途方に暮れながらも立ち上がり、歩き始めた。

 家を出てからどれくらい経ったのか、ここがどこなのか、一切の事がQには判然としなかった。

ただQの胸中には、家から逃れたいという思いだけがあった。

 木々の根に足を取られ、枝葉に身体のあちこちを傷つけられながらQは歩いた。

 やがて視界が開け、Qはみすぼらしい小屋が一軒建っているのを見つけた。

 Qは縋るような思いで扉を叩いた。

 扉から光が漏れ、中から熊のように毛むくじゃらの、大きな男が出てきた。

「誰だいこんな夜更けに。おや、女の子じゃないか。どうしんたんだいこんなにぼろぼろで。」

 険しい顔で出てきた男はQを見るとさっと表情を変え、ひどく不安気になった。

「それがあまり覚えてないんです。気づいたら森の中で倒れていて。」

「ふうむ。車にでも引かれたかな。おいかあちゃん、来てくれや。」

 大男が奥の間に声を掛けると、でっぷり太った肌の浅黒い大きな女が出てきた。

「なんだいあんた……。おや女の子じゃないかい。」

「どうも記憶が曖昧らしい。たぶん車にでも引かれたんだろう。」

「そりゃあ大変だ。とりあえず中にお入り。」

 Qは促されるまま小屋の中に入っていった。

 部屋の中はひどく狭く、またすえた臭いがして、Qはとても不潔そうだと思った。

 粗末な木製の椅子にQは座らせられると、大女がQの身体を念入りに調べ始めた。

「あんたは見るんじゃないよ。どれ……おや頭に大きなたんこぶがあるねえ。ちょっと氷を持ってきておくれ。ああ、身体中切っちまってるじゃないか。あんた消毒液だよ。足も擦り剥いているじゃないか。全くぼろぼろだよ。ああ、絆創膏も頼むよ。」

「待ってくれかあちゃん。そんなに一偏に言わないでおくれ。覚えられないよ。」

「わかったよ、救急箱持ってきな。」

 男が慌てて救急箱を持ってきた。

 女はガーゼと消毒液を取り出し、Qの身体をやたらと拭っていった。

「あんた何処から来たんだい。家族は。」

「家は捨てちゃったの。」

「おや家出かね。それならもっと準備してきた方がよかったんじゃないかね。こんなに何も持ってないんじゃ、危ないじゃないか。家なんてものは何時でも出られるんだよ。」

「今日出たかったのよ。」

「そうかい。思い立ったが吉日ってやつかね。」

 Qの身体のあちこちに、絆創膏が貼られた。

「あんたお腹空いてるんじゃないかい。体も冷えちまってるし、まだ早いけど、朝食にしよう。ちょっと待ってるんだよ。」

 やがて女は机の上に食器を並べ、器の中に温めたスープを注ぎ、大皿の上に三つパンを置いた。

 三人が食卓に着くと、夫婦は何も言わずにすごい勢いで食べ始めた。パンのカスが床に落ち、スープがこぼれようと二人は気にしなかった。Qは呆気に取られた。

「遠慮しなくていいんだよ。お食べ。」

 声を掛けられQは我に返り、パンとスープを食べ始めた。

 パンは固く、乾涸びていた。Qは噛み切るのにかなり苦労しながら食べた。スープはどうやらコンソメスープの様であったが、ひどく味が薄く、具もわずかにキャベツが浮いているだけであった。

 Qが初めて出会った粗末な食事を平らげる頃には、他の二人はとうに食事を終えてしまっていた。

 Qは急に眠気を覚え、大きなあくびをした。

「ああ、まだ早いからねえ。おいで、少しお眠り。」

 Qは寝室に案内された。いつから洗っていないのか、ベッドのシーツはひどく黄ばんでいて、きつい汗の臭いがした。

 Qは不快感を覚えながらも布団に入ると、激しい倦怠感がやってきて、すぐに眠りに落ちた。

 これは、山小屋が列車に押しつぶされる直前の話。

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