3・病院

Aは真っ白な部屋の中で目覚めた。病院である。

 彼のベッドの横で、女が椅子に座って本を読んでいた。アポロドロスのギリシャ神話だった。

 女は目覚めたAに気づくと、本を膝に置き、Aに語り掛けた。

「おはよう。貴方は一週間前に事故に遭って意識を失っていたの。命に別状はないけれど、頭を強く打ったみたいだから、記憶に障害が残っているかもしれないわ。私の事覚えてる?」

「いや、覚えてない。」

「そう。まあとりあえず朝食の時間よ。食べて。じゃないと始まらないわ。」

 ナースが台車を押してきた。ナースはAの前で止まると、無言で机に食事を置き、去って行った。

 おかゆとわずかな沢庵だけであった。

 Aはまず沢庵を口にしたが、ほとんど漬かっていないのか生の大根の様な味がした。おかゆは冷めており、しかも何の味付けもされていなかった。

「まずいな。」

 思わずAは口にした。

「病院だもの。仕方ないわ。」

「確認なんだが。」

「何。」

「事故した時、俺は車に乗っていたか。」

「いいえ。貴方は歩いていたのよ。」

「そうか。それなら問題ないな。いつも通りだ。」

「何の話?」

「いやいいんだ。」

 Aは渋い顔をしながら、おかゆを口に運んだ。

「ところで、だ。俺が食事を終えたらどうなると思う。」

「どうって……」

「当てよう。君が俺を殺そうとする。」

「あら、どうしてそう思うの。」

 女は微かに微笑んだ。

「君のポケットは妙に膨らんでいる。それに、君はそれを本で隠した。」

「成程。けれど、殺すなら貴方が気を失っている時にやってしまった方がよかったのでは?」

「単に俺が目覚めるまで間に合わなかっただけかもしれない。さっき一週間と言ったのは全くのハッタリだ。」

「私の逃げ場が無くなって来たわね。でも、看破されてしまっては私もお手上げだわ。」

 女は両手を上げた。

 Aはおかゆを飲む。

「さっきから、えらく不味そうに食べるわね。残したらどう。」

「いやそれは主義に反するんだ。」

「そう。不自由な人ね。」

「いやこれは自らが自らの為に課したルールだ。この点においては私は不自由ではない。」

 Aは沢庵の最後の一枚を口に放り込み、おかゆを口に流し込んだ。

「その本にシーシュポスの話は載っているか。」

「ええ載っているわ。もう読んだわよ。」

 Aは目を瞑り、呟いた。

「俺はシーシュポス。山を登り始めると、俺は転げ落ちる。昼は決して来ない。何度も何度も朝が来る。世界が課すルール、俺はその重みに耐え続ける。」

 女は首を傾げたが、Aの油断したらしき様子を見てポケットから注射を取り出し、Aの首筋に突き刺した。

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