紙とペンと宇宙漂流

コーチャー

漂流船のウメとピエール

「エネルギーの貯蔵が約七十万時間しかない」


 低くて渋い声が聞こえる。だが、私にはそれが気に食わなくて仕方がない。声の主はそんなことなど気づかないらしく涼しい顔で情報端末を操作している。彼の名前はピエールと言って私の同僚である。


「八十年もエネルギーがあるなら十分じゃない」


 私が呆れたように言うと彼は東洋風の黒髪をかきあげてこちらを見た。


「ウメ、八十年分ないのだよ」

「そうよ。八十年あるのよ」


 人類が外宇宙に飛び立ったのが三百年前、それから人類は老化遅延処理や人造臓器によって長寿を手に入れた。人生、百四十年時代なんて言われる時代だ。そういう意味ではピエールが言うように八十年という歳月は耐えられないほどではない。


「君は惑星アルシャトに帰還する気があるのか?」


 ピエールが私をたしなめるようにゆっくりと語りかける。だが、それは私の気分を害するだけで、毒でしかないことを彼は知るべきだった。


「帰還できるわけないじゃない。私は死ぬの。この大きな鉄の塊を棺桶にしてね」

「短気はいけない。確かに我々の探査船は亜光速エンジンを損傷している。だが、バサード・ラムジェットでの通常航行は可能だ。希望を捨ててはいけない」


 私と彼の乗る外宇宙探査船ハルケーは人類が居住可能な惑星を捜索中に亜光速エンジンが故障し、この広大な宇宙を漂流しているのだ。つまりハルケーは外宇宙探査船からランクダウンして外宇宙漂流船になったのである。


「希望? どこにあるの?」

「これを見て欲しい。私が試算した航路計画だ。九十六万と五十時間でこの船は惑星アルシャトに到達できる。そのためには十六万時間に相当するエネルギーを捻出しなければならない。私は酸素還元装置、汚水ろ過装置をカットすることを提案する」


 彼が差し出した情報端末を見て私はため息をついた。

 案としては素晴らしい。希望を諦めない宇宙開拓者精神そのものだ。だが、ひとつ大事なことがそこには含まれていない。


「食料はあと二年分しかないのよ」

「ウメ。安心して欲しい。私はだ。エネルギーがあれば食料の必要はない」

「ピエール。私はよ。食料が必要よ」


 私は正真正銘の人間である。生体機械は目に埋め込まれたナノデバイスくらいである。つまり、呼吸もすれば、ご飯も食べる。睡眠だって必要だ。その私が彼の提案を受けるとどうなるか。簡単である。


 死ぬのである。

 酸素還元装置が停止すると約三日で船内の酸素濃度は十七パーセントを下回り、さらに三日後には十パーセントになる。こうなると私は酸欠で死ぬ。汚水ろ過装置の停止は飲料水が枯渇だ。生物である以上、水がないと四、五日であっさりと天国に迎えられる。


「知っている。だが、君の存在がどれだけエネルギーを浪費しているか理解してもらいたかったのだ」


 無駄にいい声で言われてもいい気分になれない言葉に私は自分の血圧が上昇するのを感じた。きっと同じ人間同士であればあの憎々しい顔に拳を打ち込まずにはいられなかっただろう。


「それはどーも。何事においても高性能で理性的、そのうえエネルギー浪費の少ないロボット様と違ってすいませんでした」

「ウメ、それは褒めているのか。もし皮肉をこめてロボットを差別しているのならロボットの人権を認めた宇宙ロボット基本憲章にいちじるしく反することになる。同僚としていまのは聞かなかったことにするので気をつけて欲しい」


 人類が宇宙の飛び出て可住可能な惑星を見つけるまで続いた『六千光年の流浪』ののち人間はロボットにも人権を認めた。それが宇宙ロボット基本憲章である。これに違反すると差別主義者として人権監視団体が主催する更生プログラムが待っている。


「冗談よ。ジョーク。高等な会話テクニックです。これでいい?」

「なるほど、さきほどの言葉はジョークであり、皮肉や悪意を込めたわけではない、というわけだな。ならば差別とは言えない。ただ一言、同僚としていうなら君のジョークは恐ろしくヘタだ。円滑な人間関係のためにアルシャトに戻ったら会話教室に通うことをオススメする」

「いい話をありがとう。で、ピエールはこのエネルギーを浪費するだけで役に立たない私にどうしろというのよ」


 私が尋ねるとピエールは無慈悲に口を開いた。


「君にはすぐにコールドスリープに入ってもらいたい」


 コールドスリープ。この言葉にいい印象を持っている人間は多くない。外宇宙進出に必要な技術として西暦二千二百年頃に実用化されたこの技術は別名人食い冷凍庫。宇宙開拓時代の初期にはこの設備で死ぬ人間が一番多かった、というのだからひどい話である。


 それは現在では少しマシになったものの死亡事故は多い。


「私はあなたのジョークの方がよほど下手だと思うわよ」

「ジョーク? 私はジョークを言っていない」

「そう、なら素敵ね。私は最悪の気持ちだけど」


 私はピエールに文句を言ってから自室に戻った。雑然とした部屋の中から私は紙とペンを取り出すとピエールが待っているコールドスリープ室へと向かう。


 室内ではピエールが棺桶みたいな機械を操作していた。私は適当なコンソールの上に紙を広げるとペンを握った。人生で紙に何かを書くというのは三度目だろうか。一回目は小学校の歴史教育で、二回目は外宇宙調査官になった日に書いた契約書だ。


 昔は些細なことでも紙に書き留めていたそうだ。情報を紙に記録するというのはひどく労力がかかる上に電子媒体よりもはるかにかさばる。今の時代、そういうことを好むのは一部の金持ちか、契約書とか昔ながらの手続きだけだ。


 私は紙に向かい合ったまま何を書こうかと思案した。


「ウメ、何をしているのですか?」

「遺書を書いておこうと思ってね。でも何を書いたらいいか分からない」

「どうして紙に? 電子媒体に記録しておけば問題ないはずだ」

「いまから九十六万と五十時間も通常航行するんでしょ? 帰る頃には私の端末もあんたも旧型どころか骨董品って言われるレベルじゃない。読み取りの規格も変わってるだろうし、それなら紙に書いておけば言語が変わってない限り伝わると思ってね。でも遺書を渡す相手がいないのよね」


 父はもういないし、母はもっと前にいなくなった。戦争だった。外宇宙に飛び出した人類の目下の問題は居住可能惑星が余りにも少ないということ。そして、食料の枯渇だ。このせいでいつもどこかの星系で戦争が起こっている。


 それをなくしたいと外宇宙調査官になったというのについていない。


「君は死なない」

「だと嬉しいわ。でも目が覚める気がしないのよね」


 私は苦笑いをして一気にペンを走らせた。

 そして、書き上げた遺書を封筒に入れるとピエールに渡した。


「私が死んだら開けて、その通りにして頂戴」

「ウメ。何度も言うが君は死なない。我々が見つけた居住可能惑星の情報を母星に伝えるんだ」


 私たちは今回の調査で居住可能な惑星を見つけていた。母星に情報を送ろうとしたとき、ピエールが船体の異常に気づいた。そこからは絶望へとまっしぐらだった。まぁ、人生なんてそんなもんだろう。戦争で死なずに済んだ。それだけでマシというものだ。


「できれば最高なんだけど、私ってわりと悲観的なのよね。こんな冷たい棺桶に入って目を閉じたら、そのまま死んでるイメージしかないわ」


 そう言って私はコールドスリープマシーンに横になった。つるりとした樹脂の器に入ると、本当に棺桶に入った気がした。小さな機械音で蓋が閉まる。一瞬だけピエールが見えた。ロボットらしい無表情な彼が悲しげな目をしていた。


 減圧と同時に一気に温度が下がる。

 ここは寒い。それが私の最後だった。





 目覚めはひどく不愉快だった。


 けたたましく鳴る警告音にノイズだらけの駆動音。私は動かない頭のままコールドスリープの器から這い出すと、様々な場所でエラーを示す赤いランプの灯りを見た。


 私は慌てて操作用のコンソールを起動させた。エラーの多くは耐用年数の超過を示すものですぐに対処を必要とするものはなかった。私は安堵とともに自分が眠っていた時間を確認した。


 経過時間。九十五万と十時間。


 表示された時間はピエールが提案していた時間と少しズレがあった。私は何か問題が生じたのだと判断して艦橋へ向かった。船内は時間の経過で劣化し、照明が切れていたり、自動ドアが手動ドアに変わっていた。艦橋へのドアを強引に開けるとピエールが座席に座っているのが見えた。


「何があったの。随分と早い目覚めなになったけど」

「早起きは早起きは三文の徳だ」と、いつものふてぶてしい声が帰ってくるかと思ったが返事はなかった。私は彼のそばに立ってその理由を理解した。ピエールは全ての機能を停止していた。


 彼の座席周りを見ると私の書いた遺書がぽつん、と置かれていた。ただ違うのは私の書いた遺書という文字が二重線で打ち消されて『ウメへ』と私宛の手紙になっていることだった。


 私は黄色く黄ばんだ手紙の封を切るとなかを読んだ。そして、ピエールがなにをしたかったかを知った。率直に言えば、外宇宙探査船ハルケーは壊れてなどいなかった。だが、惑星アルシャトで大きな戦争が起きていた。私たちが亜光速航行で帰路についていれば間違いなく戦争に巻き込まれていたのだ。ピエールはそれを避けるためにエンジンの故障を偽装した。


 私は目覚めたときに息ができることを驚くべきだった。酸素還元装置が停止していない。それは私が起きることを前提にしていたのだ。だが、装置が動くにはエネルギーが必要だ。それはどこから捻出されたのか。簡単なことだ。


 ピエールのエネルギーが使われたのだ。彼は最初から私を生かすために動いていた。私は手紙を丁寧に折りたたむと「もう動かない彼にありがとう」と言った。


 そして、彼の手紙に書かれた小さな願いを叶えることを誓った。

 いつか私たちが見つけた惑星に埋葬して欲しい。

 それは私が遺書に書いたことと同じであった。

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