紙とペンと密室監禁

弐刀堕楽

紙とペンと密室監禁

 男が目を覚ましたとき、目の前に美女がいた。うれしいことに彼女ははだかだった(男も同じだったが)。しかし喜んでばかりはいられない。二人はせまい部屋の中に閉じ込められていたのだ。

 部屋の大きさは、公衆トイレの掃除用具そうじようぐ入れ程度の広さしかなかった。外に出るための扉にはかぎがかかっている。そして部屋の中にあるものは『大量の紙と一本のボールペン』それだけだった。


「お互いひどい目にあったね。でも君みたいな美人と一緒ならそこまで悪い経験じゃないかも」

「バカなこと言わないでよ。それより早くここから出る方法を考えましょう」

「だけど扉は閉まってるし、どうやっても出られないさ。ああ、どうしてこんなことになったんだろう」

「たぶん私たち、誰かに拉致らちされたのよ。それでこの部屋に監禁かんきんされて……ねえ、ちょっとこれを見て。こっちの壁に何かあるわよ」


 壁のひとつに、横長のほそい切れ込みが入っていた。中をのぞくと、奥のほうにうっすらと明かりが見えた。


「どうやら細くて平たい穴が空いているようだ。どこかに通じているのかも。何か差し込んでみよう」

「あるのは紙くらいだけど……」


 男は床から一枚の紙を拾うと、壁の穴にそれを差し込んだ。


「サイズがぴったりだ。中にスルスルと入っていくぞ。もしかしたら、この穴はとなりの部屋に通じてるのかもしれないな」

「それで、次は何が起こるの?」

「さあね」


 しばらくすると、壁の穴から一枚の紙が出てきた。


「白紙ね。入れた紙がそのまま戻ってきたみたい」

「やっぱり隣の部屋に誰かいるんだ。おーい、誰かいますか?」

「返事がないわね。誰もいないのかしら」

「誰かいないと紙は戻ってこれないよ。もしかしたら隣にいる人は、何か声が出せない事情があるのかもしれない。そうだ。ちょうどそこにボールペンがある。何かメッセージを書いて送ってみよう」

「なんて書くの?」

「『そこに誰かいますか?』っと。これで送ろう」


 男が紙を穴に入れる。紙はすぐに戻ってきた。


「見て。あなたが書いた文字の下に『YES』って書いてあるわ」

「よかった。僕たち以外にも人がいたんだ。もっと色々と聞いてみよう」

「ねえ、次は私にやらせて」


『私たちはいま隣の部屋に閉じ込められています。だからお願い。どうか助けに来て』

『NO』

『どうして? もしかしてあなたも部屋から出られないの?』

『YES』


「ダメね。この人もお手上げみたい」

「そのようだね。だけどそれにしても、この人はさっきからYESとNOしか書かないね。なぜだろう?」

「さあ、わからないわ。……いえ、ちょっと待って。この『YES』の文字、二つともまったく同じ形をしてるわ。まるでコピーしたみたい」

「ああ、本当だ」

「わかったわ。これはたぶんスタンプよ。きっと隣の人はYES、NOの文字がられたスタンプしか押せない状態なんだわ」

「なるほど。君するどいな」

「これは私の勝手な想像だけど――たぶん、この人は指を全部切り落とされてしまったのよ。そしてのどつぶされているから声も出せない。手元にあるのは二つのスタンプだけ」

「ひどい話だな。犯人め、許せない」

「ただの想像よ。でもとにかく今の私たちにできることは、この人と会話を繰り返すことだけ。もっと情報を引き出してみましょう」

「よし、今度は僕に任せてくれ」


『あなたは部屋から出る方法を何か知っていますか?』

『YES』

『その方法を教えてもらえますか?』

『YES』

『まず何をしたらいいですか?』

『   』


しい。良いところまで行ったんだが」

「ねえ。さっきも言ったけど、YESかNOで答えられる質問じゃないとダメなのよ」

「わかってるよ。でも難しいんだ」

「はあ。何かもっといい方法はないかしら。……そうだわ。アルファベット表よ!」

「なんだって?」

「アルファベット表を作るの。伝えたい文字にスタンプを押してもらえば、文章が作れるじゃない。これで脱出する方法を教えてもらいましょう」


 二人はアルファベット表をたくさん作った。それを隣の部屋へ送り、任意の文字にスタンプを押してもらう。そして戻ってきた紙を順番通りに並べれば、相手の伝えたいメッセージが完成するという作戦だ。

 幸いにも作戦はうまくいった。戻ってきた紙をすべて並べ終えると、以下のメッセージが完成した。


 『ひ、と、り、こ、ろ、す』

 『し、ん、ぞ、う、に、か、ぎ』


「これが部屋から出る方法か。でも、どういう意味だろう?」

「……そのままの意味ね。一人殺す、心臓にかぎ

「うーん、僕にはさっぱり分からないね。もしかして並べる順番を間違えたのかな」

「……どうかしらね」

「ねえ、君。なんだかさっきから様子がおかしいよ。なんでそんな怖い顔をしているんだい? それにボールペンの持ち方が間違っているみたいだけど……」

「いいえ、間違ってないわ。これはこうやって使うのよ!」


 女はボールペンを逆手に持ち、それを振り下ろした。男の胸にボールペンが突き刺さる。


「痛い! 何するんだ!」

「まだわからないの。バカな男。私たちの心臓には鍵が入ってるの。扉を開けるための鍵が。きっと知らない間に身体に埋め込まれたんだわ。それを取り出すにはどちらかが死ななきゃならない。だからお願い。私のために死んで!」

「やめてくれ。とりあえず落ち着くんだ」


 だが、もみ合いを続けるうちにボールペンの先端が彼女ののどに突き刺さった。故意こいではなかった。愕然がくぜんとする男の目の前で、大量の血が吹き出す。女はあっけなく息絶いきたえた。


「そ、そんな……」


 男は床にくずち、嗚咽おえつらした。しばらくすると一枚の紙が目の前に落ちてきた。紙にはスタンプが押されていた。


『NO』『NO』『NO』


「ああ、わかっているさ。このままだとじきに僕たちも死ぬって言いたいんだろ? この部屋から脱出できなければ餓死がしするか、それとも犯人がやってきて殺されるかだ」


『YES』


「だが、どうすればいい? ……待てよ。まさか本当に心臓に鍵が埋まっているのか?」


『YES』


 やりたくないが仕方がない。遺体をボールペンで切り裂くのは辛い作業だった。だが、なんとか腹部に穴を開けることができた。

 遺体の中に手を突っ込むとまだ生暖かい。心臓の付近まで手を伸ばすと指先に何かかたいものが当たった。つまんで慎重に引っ張り出すと、それは小さな鍵だった。


「本当に入っているとは……。おい君、待っていろよ。すぐそっちの部屋に行くからな」


 鍵を使い、ようやく扉が開いた。部屋の外はがらんとした廊下だった。壁の劣化具合から、この建物が廃墟はいきょであることは容易よういに想像がつく。男はすぐに隣の部屋に向かった。

 しかし奇妙なことに、隣の部屋の扉には鍵がかかっていなかった。開けると中には誰もいない。

 部屋の中はかなり広かった。なんだか設備も充実している。テレビや新聞、ふかふかの椅子。テーブルの上にはクッキーまで置いてある。


「どういうことだ? 隣の人間はかなり優遇されていたように見えるが……何かおかしいぞ」


 背筋がぞっとした。嫌な予感がする。

 と、そのとき――男の背後で、バタンという大きな音が。


「なんだ?」


 扉が閉まっていた。急いでけ寄ってドアノブをひねるが開かない。完全に閉じ込められてしまった。

 異変はそれだけじゃなかった。部屋の奥から何やらゴソゴソという音がした。どうやら壁の裏から聞こえてくるようだ。そこに何かがいるらしい。


「だ、誰かいるのか?」


 おそおそる近づいていく。壁にぴたりと耳を付ける。しかし何も聞こえなかった。さっきの音は気のせいだったのか?


 ズバンッ!――いや、そうじゃなかった。


 突如とつじょ、男の目の前にするどい刃物の切っ先が飛び出してきた。壁を突き破っている。壁にできた亀裂きれつの間からギョロリと赤い目玉が光った。


「う、うわああーっ!!」


 壁をぶちやぶって出てきたのは、身のたけ2メートルを超す殺人鬼だった。血だらけの白装束しろしょうぞくに鬼の面をかぶり、手には大きなおのにぎっている。そいつは長い髪を振り乱し、男の方に近づいてきた。


「く、来るなー! 来ないでくれー!」


 むんずと首をつかまれる。男ののどがギュッとまった。苦しくて声も出せない。誰か助けて……。

 男の顔に殺人鬼の長い髪の毛がかかった。鼻腔びこうをかすかなニオイがくすぐる。どこかでいだことのあるニオイだ。はっきりとは思い出せないが、自分はこのニオイを知っている。

 だけど――男は思った。ようやく分かった気がする。自分は心のどこかで、ずっとこうされるのを望んでいたんだ……。


 そして、男は首をへし折られて死んだ。









 病院の一室で、医師と若い女性が話し合っている。

 女性が心配そうに言った。


「あれから夫の具合はどうでしょうか?」

「大事はありません。経過は順調です。いまは少し混乱していますが、明日には退院できるでしょう」

「よかった。本当にありがとうございます」

「いえいえ。それでは最後にこの書類にサインをお願いします」


 医師から紙とペンを受け取り、女性は筆を走らせた。しかし、はたとその手が止まった。彼女は困った顔をしている。


「どうしました?」

「やだわ、あたしったら。書類に名前を書くつもりがぜんぜん見当違いなことを……。『YES、NO、YES』ですって。でも変ね。なんだか急に他の文字が書けなくなってしまったみたい」

「ああ、それはですね」


 医師は笑って答えた。


「一時的な後遺症こういしょうですよ。よくあることです。なにしろあなたは、旦那さんの見ている夢の中に入り込んだのですから無理もありません。半日もすれば治りますから心配いりませんよ。サインは後日で結構です。それではお大事にどうぞ」


 女性は病院を後にした。

 病院の建物の横には、次のような立て看板が立っている。


『パートナーの裏切り行為は、いつの時代も許せないもの。当院では夢の世界を通じて、あなたの深い愛情の念を、パートナーの潜在意識せんざいいしきに植え付ける画期的な治療法を行っております。もう苦しむ必要はありません。浮気性治療のことなら、ぜひ当院にお気軽にご相談ください』

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