11. 母親二人
エネルギー精製所にて、プローム乗り達が戦闘を繰り広げる少し前。
ノトス共和院官邸では、混乱が起きていた。
「精製所を囮にする作戦はどうなった!? 時間が経ちすぎているぞ!」
「やめろ、どうせ首都の混乱は収まらん! サザン軍部が乗り込んでくるという報告もある! 撤退を急げ!」
「アーブル主席はどうした!? 資料を取りに行くと言ったきり、戻らぬではないか!」
官邸内に設けられた作戦室では政治家や士官らの怒号が飛び交う。
情報伝達も指令系統もまともに機能しない状況。
ただ一つ、自身の安全を優先する意図だけが一致している。
混沌とする作戦室。そこへ、勢いよく木製の扉が蹴破られた。
「こちらは、サザン軍部である! ヤムナハ・アーブル主席をはじめ共和院全体にケイオス兵器利用およびサザン大陸侵攻の嫌疑がかけられている! 抵抗はやめろ!」
サザン軍部の兵士が銃口を向け、投降を呼びかけると作戦室内に居た者が顔を青ざめさせ、大人しく手を上げて降参の意を示した。
官邸内の各所で似たような光景が起こる中、ケイトは軍部総長のゲンが率いる精鋭部隊とともに官邸内を駆け抜けていた。
「貴様ら止まれ! 官邸内で戦闘行為は禁止だ!」
曲がり角の先で官邸内の警備をしていた共和院所属の兵士が事情を知らず、拳銃を構え呼び止める。
一瞬、部隊の他の者が躊躇しスピードを落とす中でケイトが一人素早く飛び出し、警備兵に近づいた。
「なっ!」
驚く相手に対し皇妃と呼ばれる女性が淡く微笑むと、拳銃を握っていた腕を捻りつつ床へ投げ落とし、奪った拳銃を突き付けた。
「ゴドー主席夫人の場所を教えてくださらない? 親切な兵士さん」
上品な口調かつ優雅な笑みを浮かべているが、見下ろす目に業火を湛えている。
助けを求めるように兵士が周囲を見回すが、サザン軍の兵士に囲まれさらには、他の箇所でも制圧されていく様子が見えた。
ぎりぎり、と押さえられた肩から腕に力が加わり激痛が走る。
「ぐっ!」
「ごめんなさいね、ノトスの偉い人が首都を犠牲に逃げるなんて最悪なことをしてくれたもんだから、苛立っていて加減できそうにないの」
申し訳なさそうに話すが、身体にのしかかっていく力には一切の容赦はない。
このまま無言でいれば腕一本駄目にされる。そして、扉から出てきて喚きたてる士官や政治家の姿を見て、ふつりと警備兵の中で何かが切れた。
「……この先の廊下をまっすぐ行った階段の先、左手の豪華な扉の貴賓室だ」
「そ、ありがと」
お礼を言いつつ、素早く拳銃のグリップでこめかみを殴り昏倒させる。
鮮やかすぎる手並みと度胸に誰も疑問を挟まない。下手に刺激してはいけない、と短い付き合いの中で理解した様子である。
何事もなかったように幾人かが階段の先へと向かい、
奥の貴賓室に辿り着き、慎重に扉を開けた。
中に警備兵の姿はなく、華美な調度品で整えられた部屋の様子が見てとれる。視線をずらすと、ソファに無表情で座るサリの姿があった。隣には白いうさぎのぬいぐるみが添えられている。
危険はないことを確認し、ゲンとケイトが近づきサリの様子を調べた。
目が薄く開かれているが口元が固く閉ざされており、人が入ってきても何も反応を示さない様は人形を思わせる。
ゲンが視線を向けると、ケイトがうなずき隠形してついてきていたヤナギに声をかけた。
「お願い、ヤナギ」
「わかりました」
ヤナギがサリに触れると静かに溶け込む。直後、女性の身体から深緑と濃い紫色の淡い光が発せられ、争うように明滅する。
「あぐぅっ!」
サリが苦悶の表情を浮かべ、身体を仰け反らせた。
ケイトが、サリの身体を抱いて支える。
「頑張って、負けないで!」
精神束縛を解くには、元のフェアリスと争うことになるので、身体に負担が伴うこと、そして本人の意志によって成功が大きく左右されるとヤナギから聞いていた。
同じ女性で、家庭を持つ母親。共感できることは多い。
ノトス共和院で拉致されるに至った経緯もイツキから話を受けて知っている。
きっと、家族のことを想い続けていたと信じて、言葉を紡ぐ。
「あなたの娘と旦那が待ってるんだから!」
思いが通じたのか、一瞬、サリの目に光が宿る。
「あぁっ!」
短い悲鳴とともに、紫色の光が弾き出され、壁に激突した。壁の方を見れば、黒くて毛の薄いネズミのようなぬいぐるみが転がって目を回している。
濃い緑の光を放ち、ゆっくりとその光が収まると、ヤナギがサリの身体から出てきた。同時に、サリの身体の力が抜け、ケイトにもたれかかる。
「終わりましてございます」
「グッジョブね」
やりきった、という表情のヤナギにケイトがサムズアップした。
「う……」
声をあげて、サリが身じろぎすると、ゆっくりと目を見開く。
「起きた?」
ケイトの言葉に、突然サリは、はっとすると、ケイトを突き飛ばし、テーブルの上にあった果物ナイフを握る。
「奥方!」
ゲンが咄嗟に反応して声をかける。
だが、サリは果物ナイフの先端を自分に向けると、白く細い首に向けて突き刺した。
「――――!」
一瞬時間が止まったかのような空白の後に、血が、ぽたりと落ちる。
思っていた苦しさが来ないのを感じてサリが首元を見ると、ナイフが素手で握りこまれて止められていた。
「そんなことは、させない」
ケイトが刃を握った手から血を滴らせながら真っ直ぐに告げた。
しかし、サリが首をふって、懇願する。
「お願いです、死なせてください。このような汚れた心と身体で家族の所に帰りたくないのです。死んで、やり直しを!」
「だめよ!」
そう言うと、ケイトは果物ナイフをサリの手から強引に引き抜き、サリのことを抱き締めて抑え込む。
「どうして、ですか?」
目に涙を浮かべながらサリが問いかける。
「あなたが囚われている間、旦那さんと娘さんが頑張ってきたことを知ってるのは今のあなただけよ。そして、あなたがなぜ帰れなかったのか、どんな気持ちでいたかを知っているのも今のあなただけ、それを家族に伝えないといけない」
数か月前、ユイがサリを追ってケートスに漂着してきた時、サリに関するラジオを聞いて涙している様子をケイトは直に見ていた。様々な重圧の中で気丈に振舞う健気な姿を。
ここでサリが命を絶てば、ユイやアナン達の下に戻れるだろう。しかし、拉致されている間、サリがどんな想いでいたのか曖昧になってしまう。
ユイもアナンもサリのことを信じている。だが、ここで真相がわからなくなってしまったら疑念となり、家族という関係に深い溝ができてしまう。
「話すのは辛いことだと思う。けれども、それがあなたの家族に報いることができるたったひとつの方法だから」
ユイやアナン、そしてサリ自身が救われるために。
静かに諭すと、サリの目から涙が落ちる。
ううう、と嗚咽が聞こえると声が漏れないよう、ケイトはきつく小柄な身体を抱き締めた。
◇
「地中潜行型のコアを破壊しました」
五月雨からアクアカプリスへの警戒を解かないまま、待機していると通信から少年の声が聞こえてきた。
「首都の混乱は終わった! 精製所内の兵士は抵抗を止めて動きを止めろ! 指示あるまで動くな!」
降下し、援護射撃を行ってくれたスモーキングF&Fからハヤトが、精製所内に残っている兵士に向けて行動停止を呼びかける。精製所内のコントロールルームでは暴発させることはできないとわかってはいるが、自決や友軍への攻撃など余計な行動をさせないためだ。
冷却タンクに充填されていたガスからようやく噴出が収まり、徐々に視界が戻ってきた。
エニエマが建物の上から警戒し、動けるよう武装を構えている。
五月雨も刃を向けているが、アクアカプリスが動き出す気配はない。
(官邸に通信を飛ばしているけど、連絡がない。何かあったのか?)
カエデが疑念を抱いた。その時。
「あ、ああっ!」
急にアクアカプリスに乗っていたリクから苦しげな声が各通信機に響く。
「リク少尉!? どうした!」
カエデが声をかけるが、返事はなく、苦悶の叫びが聞こえるだけだ。
突如プロームの復元状態が解除されると、リクが激しく身体をけいれんさせる。そして、身体を大きく仰け反らせると、糸が切れたように動きを止めた。
カエデ、ハヤトがプローム状態を解除してリクに駆け寄る。
「リク、リクさん!」
「おい、聞こえてるか、リク!」
2人が必死に呼びかけるが、目を見開いたままで反応しない。
突然の事態にユイがどうするべきか戸惑っていると、ファーヴェルが飛行ユニットを輝かせ、地下から戻ってきた。
尋常じゃないカエデ達の様子にハルカがユイに問いかける。
「どうしたの?」
「わからない。急に、アクアカプリスに乗っていたリク少尉が身体をけいれんさせて……」
戦闘どころではないと判断し、ファーヴェル、エニエマともに復元を解除すると、カエデ達の元へ駆け寄る。
「一体何が?」
「わからない。急に、身体を仰け反らせて、動かなくなって……怪我はないはずなのに」
今まで遭遇したことない事態にカエデも狼狽した様子で答える。隣でノインがリクの状態を確かめると、表情をしかめた。
「これは……この人は精神束縛を受けていたのです。でも、何かしらかの方法でそれをしかけたフェアリスとの接続が切れたのです。だから、精神の状態が保持できずに急な昏迷状態になったのだと思われます」
「精神束縛を受けて……? ノイン、その昏迷状態って自然に治る?」
「いえ、今指示待ちの状態で、元の意識が表に出れず自発的な行動ができないのです。この状態が長引けば、重大なストレスに精神体がダメージを受けてしまうのです」
ノインの言葉にカエデとハヤトが表情を変える。
「ノイン、それって、どうにかならないの!?」
「今から私が彼女の精神体にアクセスして、身体との整合性など再構成を試みます」
ですので、とノインはカエデとハヤトの方を向いて声をかける。
「あなた方はこのままそばにいて呼びかけ続けてほしいのです。このまま彼女が戻ってこれるように」
「わかった」
「そんなことでいいならいくらでも」
カエデとハヤトがうなずいたのを確認すると、ノインはリクの身体にもぐりこんだ。
一瞬、リクの身体が、びくん、と反応するが再び動かなくなる。
「リクさん、戻ってきてほしい、どうか……」
「リク、待っているから、だから……」
2人でリクの手を握り、願う。
その後ろでハルカとユイも突然の事態ながらも戻ってくることを願い、知らずに2人で互いの手を握り締める。
間もなく、リクの開かれた目に黒い光が宿り、徐々に焦点が定まると、深く吐息をついた。
何かに気づいたかのようにリクは顔を傾けると、傍らで手を握る、カエデとハヤトの方を不思議そうに見た。
「カエデ君に、ハヤト? どうし……たの? 泣きそうな顔してる」
リクが心配するように幼馴染二人に声をかける。カエデと、ハヤトの目に涙が溢れていく。
「ずっと、リクさんに会えなかったから、心配してたんだ」
「そうだ、まったく、心配したんだぞ」
「よくわからないけど、ごめんね……ただいま」
嬉しそうに話す二人のその頬をリクが優しく撫でた。
ノインがリクの身体から出てくると、疲れた表情で、ぺたん、と座りこんだ。
「ノイン、お疲れ様」
ハルカが声をかけると、ノインが疲れたようにため息をついた。
「再構成は完了なのです。それよりも、どうして2人は手をつないでいるのですか?」
ノインに言われてハルカとユイは手をつないでいたことに気づき、お互いハッとなって慌てて手を離した。
「ごめん」
「う、ううんこっちこそごめん」
何がごめんなのかわからないまま、とりあえず互いに謝る。
ふと、ユイが官邸の方角へ視線を向けた。
意図に気づいてハルカが自分のスマホを取り出す。
ひとまずこれで首都の危機は去ったはずだ。
ユイの母親、サリも精神束縛で囚われているなら、ノインが今行った方法で助けられるかもしれない。
(官邸には母さんが向かっているから、おそらく安全は確保できているはず……)
スマホには2件メールが届いていた。
戦闘中だったので、喫緊でない用件はメールで送ってくれていたのだろう。父のイツキからの連絡だった。
一件は、調べが済んだのでイツキ自身も官邸へ向かうということ。
そして、履歴が最新のもう一件には。
ハルカが顔を上げると、躊躇なくユイの手を握る。
「え?」
「行こう、一緒に官邸へ。経緯は行きながら話すから。カエデさん達も、良かったら後で官邸へ来てください。ノイン!」
「飛ぶのですね、了解なのです!」
戸惑うユイの手を引きながら、ハルカが走り出す。その後を黒猫の妖精がついていく。
眩い白い輝きの後に白い機体が出現すると、陽の光を受けながら、真っ直ぐに官邸へと飛び立っていった。
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