12. 歌と陽だまり
研究施設のケイオス脱走、軍幹部の独断によるエネルギー生産施設爆破未遂。
首都の混乱に全責任を負うべき人物、ヤムナハ・アーブル共和院主席はサザン軍部の歩兵部隊が官邸に乗り込んできた時点で身を隠しながら様子を探っていた。
「アーブル主席の所在を言え!」
「し、知らない! 脅迫ならべ、弁護士を通さない限りは……」
「そんな悠長なことが許されると思っているのか!? 非常事態なんだぞ!」
サザン軍兵士の怒号が壁越しに聞こえてくる。
情けない高官の対応に、ちっ、とヤムナハが舌打ちした。これでは時間稼ぎにもならない。
ノトス政府の高官はフェアリスの後ろ盾を得て為政者となった者ばかりだ。今回のような急な事態への対処は荷が重い。
「ここは一度逃げて、あらためて理論を整えてから再起にかけるしかないか……」
官邸の隠し出口へ向かおうとしたとき、別の怒号が耳を打った。
「主席の場所だと? 知るか、あの詐欺師野郎など!」
側近の叫びに、つと足を止めかけるが、振り返らずに出口へ向かう。
先日まで英雄と側近や政府高官、いや国民にまで讃えられていたのに、今や詐欺師呼ばわりだ。
(詐欺師と言うならば、エイジスの皇やアナンの方が似合いではないか)
官邸に証拠を揃えてサザン軍が来た早さから、エイジスがすでにサザンと手を組んでいたとしか考えられない。土地浸潤型ケイオスへの掃討が間に合ったことにもそれで説明がつく。
知らなかったととはいえ、エイジスに救援を申し入れてしまったこととも、誤算だ。
「だが、まだやりようはある」
世論のエイジスに対する印象は悪い。そこを突いて、エイジスへ世論のヘイトを向けさせて関心を逸らせば、隠蔽工作や理論武装できるだけの時間が稼げる。官僚の誰かをスケープゴートに仕立てて、研究所の報告を鵜呑みにして決起したと言えば、まだ可能性はある。
打算をめぐらせながら、ヤムナハは官邸の外へ脱出すると、部下に手配させていた車両のある駐車場へと向かう。
しかし、すでにサザン軍部の歩兵部隊が制圧しており、車両を抑えられていた。
「ここもか……! 使えない奴らめ」
悪態をつきつつ、別の駐車場に移動する。この混乱の中だ、手薄となっている車両の一つや二つぐらいあるだろう。
まだ手はある、と自分に言い聞かせて、目を血走らせながら銃をスーツの内側から取り出す。
新たな車両が到着するのが見えた。車の中から、幾人かの護衛に連れられたコートを着た人物が降りてくる。
顔は見えないが、護衛に守られていることからサザン軍の幹部に違いない。周囲のガタイのいい兵士と比べて明らかに細身であり、組み伏せられる。
(人質にとれば、車両を奪えるかもしれない)
ヤムナハは慎重に忍び寄ると、兵士が先行し護衛の人物から離れた瞬間、コートの人物に組み付き銃を突きつけた。
「貴様ら動くな! この人物が惜しければ、おとなしく車両を渡せ!」
護衛していた兵士たちが気づいて振り向くが、刺激してしまうことに気づいて硬直する。
反応からうまくいった、とヤムナハの口が笑みに歪む、が。
「なるほど、ちょうどいいところに来てくれました」
腕の中の人物が何事かを話す。
訝しんだ次の瞬間。
ヤムナハの視界が上下に回転した。
銃を突きつけていた人質に投げ飛ばされた、と気づいたときには地面に伏せられ、銃を奪われた後だった。
「あなたのせいで、ノトスの人とサザンの人、いやオービスの人類とフェアリスがどれだけ窮地に陥ったのか。その責任をどうやって取るのか聞きたかったんです」
淡々と言いながら、抑えている人物は容赦なくヤムナハの後ろ手を抑える手に力をこめる。
みしり、と骨が軋む音とともに激痛が走った。
「ぐあっ!」
ヤムナハが首を何とかひねり見上げると抑えつけていたのはエイジス諸島連合皇国の皇、イツキであった。
「な、なぜ貴様がここに!?」
「なぜって、あなたが救援を呼んだからじゃないですか。 責任者として現場に来るのは何も不思議なことではないでしょう?」
イツキが冷たい目でヤムナハを見下ろす。
「まさか、いろんなことを暴かれても、まだどうにかできるとでも思っていませんか? 例えば人を貶める情報を流せば逆転できる、と。しかし、あなたがしたことはすでに重い。ただで済むと思わないでもらいたい」
打算を指摘しつつ、追い詰めていくイツキの言。糾弾するその目は冷気を通り越し狂気を帯びてすらいるようにヤムナハには見えた。
ヤムナハが圧倒される中、駐車場へもう一台の車両が新たに到着した。
兵士、高官等幾人もの人物に囲まれて降りてきたのは。
「アナン……」
ヤムナハがうめくように言う。
肩を怒らせ、全身で怒気を発しながらアナンが近づいてくる。
「イツキ君、すまないがこいつを立たせてくれないか?」
イツキが無言で応じると、ヤムナハを立ち上がらせる。
立ち上がったと同時に、ヤムナハは頬に衝撃を受けた。
アナンが拳を振りかぶった状態のままで言う。
「これは貴様の下らぬ妄執に巻き込まれて苦しめられたサザンおよびノトスの民衆の痛み、そして」
ヤムナハの反対側の頬にもう一発拳が入り、イツキが乗ってきた車両に激しく背中からぶつかった。
「これは、妻と娘、そして私の痛みだ」
連れていけ、とアナンが命じると、サザンの部隊がヤムナハを取り囲んでいく。
手錠をかけられ、無理矢理立たされる中。殴られた痛みで冷静になったヤムナハは先程のイツキの言葉を重い返していた。
――ノトスの人とサザンの人、いやオービスの人類とフェアリスがどれだけ窮地に陥ったのか。
今回の災厄を糾弾するなら、アナンのようにノトス、サザンの民衆を出して怒るはずだ。しかし、イツキはオービスの人類、と言い換えていた。
まるで、オービス以外にも人類がいるかのように。
(もし、ケイオス研究の件からオービスの人類と繋げて連想したならば、考えられる可能性は……)
俯いていたヤムナハが笑みを浮かべた。
ならば、せめて手向けに揺らがない事実を教えてやろう。
ヤムナハが捕縛されていく様子を注視しつつ、アナンは怒気を鎮めるために深く深く息を吐き出す。政治家として、暴力的な行動に出るのは本意ではないが、度重なる暴挙に抑えきれなかった形だ。
イツキも結果的とはいえ、裁かれる前に私刑まがいのことをやってしまったので、後ろ頭をかきながらため息をついた。
後味は悪いが、ともあれ数日に及んだノトス・サザンの事変が終息したのだ。
安堵の空気が流れていたところへ、車に乗せられようとしていたヤムナハが、顔を上げると奥歯の折れた表情でせせら笑った。
「これで勝ったと思うな! 特にエイジス! 貴様に味方はいない、これから先も、その強大な力を抱え、フェアリスと手を組んでいる間はな!」
呪いを撒き散らすように叫ぶと兵士に無理矢理押し込まれ、連れられていった。
「何を捨て台詞を……」
苦々しくアナンが呟くと、傍らのイツキを見て言葉を止める。
イツキの表情が何かを悟ったかのようでありつつも、寂しさを湛えたものであったからだ。ヤムナハが告げたことなどとっくにわかっているとでも言うように。
「イ――」
アナンが声をかけようとするが、その前にイツキは何も言わずに踵を返し、官邸へと歩いて行ってしまった。
代わりに、先行していた軍の指揮官クラスがアナンに詰め寄る。
「ゴドー主席、アーブル主席の代わりに指示を」
「あ、ああ……」
違和感を抱きつつも促され、混乱収束に向けて指示を出していく。
イツキがこの時浮かべていた表情の意味にアナンが気づいたのは、少し先のことであった。
◇
ノトス官邸内は、逮捕されたヤムナハの捜査のため軍関係者だけでなく警察隊が入り、喧噪の中にあった。
首都のケイオスによる混乱はプローム部隊によって終息したが、エネルギー精製所に影響が出てしまったので復旧指示と避難している人へのサポート、そしてヤムナハが逮捕後の処理。
数年内の様子とは珍しくノトス・サザンの派閥を越えて様々な人が官邸内を行き交っていた。
そんな慌ただしい気配の中、サザン貴族院の軍に保護されたサリは官邸の廊下の隅に膝を抱えて座り込こみながら迷っていた。
ケイトに言われたことはわかる。
心配していた家族に対して、何が起きていたのかをきちんと説明しなければいけない。
(でも、私は家族に何と言えば……)
説明するのは、恐怖を呼び起こすことだ。抵抗できなかったとはいえ、されたことを話せば軽蔑されてしまう。
いや、すでに傷つけることを言ってきてしまったのだ。もう、家族として見なされず会った瞬間に拒絶されてしまう可能性もある。
様々な不安を思い踏み出すことができず、サリは膝に頭を押し付けた。
軍服、警官服、スーツ姿、医療者、様々な服装が入り乱れる廊下へ、ひと際違和感を放つ一人の少女が白い兎のぬいぐるみ形のフェアリス、凍結状態を解除されたばかりのイリスを連れてやってきた。
少女はサリの前で立ち止まると、屈みこんで声をかける。
「お姉さん、泣いてるの?」
サリが顔を上げると、言葉のままに素直に心配する少女の表情が見え、ふふっと微笑んだ。
「お姉さん、じゃないわ。これでもおばさん、それもお母さんなの。あなたよりも年上の娘がいるのよ……」
手を伸ばし、少女の頭をやさしくなでる。
「でもね、たくさんその子を泣かせて傷つけてしまったの、私の夫も。これから会わないといけない、謝らないといけない。でもね、なんて言えばいいかわからないの」
「そっか、謝るのって気が重いからね」
サリの気持ちに共感するように、少女はうなずいた。
そして、突然、少女はある歌を口ずさんだ。
サリの目が驚きで見開かれる。
少女が口ずさんだメロディーはアイドルをしている娘の歌だったからだ。
1フレーズ歌うと、少女は言った。
「この歌を歌ってくれたお姉さんがね、言ってたんだ。気が重いときは歌って一度気持ちをリセットするのが一番だって。それを教えてくれたお母さんのことがやさしくて大好きだって。お父さんと仲がいいのを見てお父さんに嫉妬して取り合いしちゃうくらい好きだって」
やさしく微笑みながら話す少女の言葉に、目から大粒の涙がこぼれる。
「けど、そんな風にお父さんに嫉妬することもなくて、最近寂しいって。そして、お父さんが寂しそうにしてるのを見て、その場面がどれだけ大切だったのかわかったんだって」
ああ、とサリの口から嗚咽のような吐息がもれた。
(傷つけて、傷つけたのに、まだ待っていてくれますか……? 信じていてくれたのですか……?)
「お母さん!!」
遠くから声が聞こえて、サリが見ると、ユイが必死な表情で呼びかけていた。後ろからはアナンも走ってきている。
「ユイ、あなた!!」
サリが立ち上がり、ユイとアナンのもとへと駆け寄っていく。
女性の後ろ姿を見て、満足そうに少女は微笑んだ。
「ナノ、ケートスから駆け付けるってメールにあったけど、ここにいたのか」
ユイとともに官邸にやって来たハルカが少女、妹のナノに声をかけた。
「うん、イリスにお願いされたの」
「ナノは人を元気づける天才ですからね」
自慢するように言いながらノウェムが姿を現すと、照れくさそうにナノが微笑む。
ケイトとヤナギの処置を受けて封印処理から解放されたイリスだったが、サリの様子を見てどうすればよいのか、思念伝達でノウェムに相談したのである。
官邸の制圧も完了し、ケイオス討伐にも目途が立ったのでイツキと別行動をとってノウェムがナノに声をかけたという次第だ。
ハルカが視線をナノが見つめている方へと向ける。
「元気づける天才……ま、確かに、な」
この数日励まされてきたハルカが苦笑しながらナノの頭をなでる。
兄妹の見つめる先では、明るい日の光が差し込む中、アナンとユイ、そしてサリが再会を喜びあう姿があった。
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