Side B Track 3
「お前は本当に物好きだな」
ビニール袋を両手に隣を歩く正司にむかって、山中は言った。「それともよっぽど暇なのか?」
「残念ながら、その両方だ」
仕事を終え、配車センターに戻った山中を正司が待ち受けていた。正司が電話ではなく実際に配車センターまで足を運ぶのは初めてのことだったので、山中はおやっと思った。とはいえ、元来掴みどころのない正司のことなので、特に理由があってのことではないのだろう。
「山さん、この後飲みに行ってもいい?」
山中の顔を見るなり、正司はそう言った。
「『行ってもいい?』」
「そう、山さん家に」
「俺の家?」
これには山中も面食らった。「なんでまた?」
「ここんとこ、財布が厳しいんだよ」
じゃあ飲みに行かなければいいのではないか、とはもちろん言えなかった。
「ここだ」
歩いていた山中は何の前触れもなく、一軒の家の前で止まった。こじんまりという言葉がしっくりくる二階建ての家屋だった。二十年前はどこにでもあるごく一般的な一軒家だっただろうが、周りをマンションに囲まれた現在では、「二十年前にはどこにでもあったごく一般的な一軒家」であるということがこの家を特徴づけていた。石塀の間を通り抜けると、かろうじて庭と呼べそうな猫の額ほどの芝生と縁側が目に入った。
「いい家だね」
正司以外の口から発せられたのであれば、山中はその言葉をお世辞と受け取っただろう。壁のシミの数と同じだけの思い出があるこの家は、山中にとっては大切な家だった。
「うちはマンションなんだ」
「昔ながらってのは言いすぎじゃないか?」と山中は苦笑する。「確かに古いが、二十五年そこそこだ。歴史ある日本家屋とはわけが違う」
「二十五年ってことは、僕と同世代だね」
正司が何気なく言った言葉は、青白い蛍光灯に浮かび上がる山中の横顔に影を落とした。
「人間も家も、二十五歳くらいから渋みが出るってもんだよ」と正司が無邪気に続ける。
「家はともかく、お前は十年早い」と山中に笑顔が戻る。
二人で缶ビールをちびちびとやりながら、あたりめを齧った。テレビを付けたものの特に興味を引かれる番組もなく、散々あちこちにチャンネルを回した挙句、やはり歌番組が無難だろう、ということでNHKに落ち着く。しばらく見ていると、正司の「たまには昔の曲もいいね」という言葉に、「最近の曲はよくわかんねぇな」という山中の声が重なった。
「その袋は何だ?」
番組の合間のニュースに切り替わったところで、山中は正司の横に置かれたビニール袋を指差した。確か、会社を出た時から正司はこの袋を持ち歩いていた。
「あ、忘れてた」と正司は慌てて、袋の中から白い箱を取り出す。「これ、今日の朝出勤する時にわざわざ買って来たんだよ」
「何を?」
「ケーキだよ。うちのそばに新しいケーキ屋ができたんだ。結構おいしいんだよ。ケーキ好き?」
質問しておきながら、一人じゃめったに食わねぇけどな、と答えた山中の返事は聞かずに、正司は台所に消えた。数秒で戻って来たその手には、皿とフォークが握られている。まるで我が家だな、と山中は思う。
「冷蔵庫に入れなくてよかったのかよ?」
「まぁ、入れた方がよかったよね。でも、真夏じゃないから大丈夫だよ。会社の冷蔵庫には入れてたし」
黄色い渦巻き型のケーキを山中の前に置く。
「お、これは何て言ったかな? マッターホルン?」
「惜しい! モンブランだ」
ケーキを口に運ぶ山中の様子を見つめながら、どういうわけか正司は手をつけようとしなかった。
「どうした? 食わないのか?」
「うん、ちょっとね」
立ち膝のまま、にこにこしている。
――まさか、毒……はないにしても、眠り薬とか?
そんな考えが一瞬山中の頭を過ったが、次の瞬間には山中自身がその考えを一笑に付した。
「どう、おいしい?」
「あぁ。思ったより甘くないな。ちょっとラム酒が入ってるのか? 香りがいい」
気づけば山中は夢中でモンブランを食べていた。たまにはこういうのも悪くないな、と心の中で満足する。眠たくは……ない。ふと横を見ると、正司が正座したまま顔を伏せ、肩を小刻みに震わせている。
「ど、どうした?」
泣いているのかと山中は思った。
「あまり甘くない。ラム酒が入っていて、香りがいい……一緒だ」
「え?」
「何でもないよ」
そう言って立ち上がった正司の顔は笑っていた。が、同時に、目元に光るものを見たような気がした。ゆっくりとした動作で、山中の横に腰掛ける。
「山さん」
そう言うと鞄から手帳を取り出し、さらにそこからはがき大の紙を抜き取った。写真だとすぐにわかる。
「これなんだけど」
「何だ?」
山中に手渡す。それを見た山中は息を飲んだ。
まず目に飛び込んだのは、桜だった。写真の背景のほとんどを満開の桜花が占めている。その前には一人の少女が、幼稚園児だろうか、不安そうな、あるいは眩しいような表情を浮かべて立っている。
「……どうして?」
言葉が出てこない山中は、目で正司に訴える。どうして、この写真がここにあるのかと。
正司は束の間申し訳なさそうな表情で山中の目を見つめていたが、やがて何かを決意したような笑みを浮かべると重い口を開いた。
「山さん、大切な話があるんだ」
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