Side A Track 2
「また買って来たの?」
夕食を終え、例のモンブランを冷蔵庫から出すと、
「別にいいでしょ?」
香夏子は口を尖らせる。
「違うよ、喜んでるんだよ。これ、おいしいよね」
「でしょ? あんまり甘くないし、ラム酒を使ってるらしくて香りがすごくいいのよね」と得意顔で評する。
コーヒー入れるよ、と夕輝が電気ケトルに水を入れ、香夏子はここ数日掛かりっきりになっている披露宴用の『自己紹介ムービー』作りに取り掛かる。
「結婚に迷いとかないの?」
沸いたお湯を注ぎながら、夕輝がおもむろに言った。
「何よ、唐突に。まるで迷ってほしいような言い方じゃない?」と香夏子がすかさず噛みつく。
「そうじゃないけど、ほら、世の中にはマリッジ・ブルーっていう言葉があるから」
香夏子のカップをテーブルの上に置き、パソコンの画面が見える位置に腰かける。「あ、今のところ文字と映像が合ってなくない?」
「そう?」と言いながら、香夏子が時間経過を表すバーを左に数ミリ戻す。
「まぁ、色々思うところはあっても、迷いやブルーな気持ちはないわ、あいにく」
そう言って、いたずらっぽく舌を出す。「あぁ、確かに映像の方が先に消えてるわね」
「この写真よりレモン
「そんな写真あった?」
「あったよ。こっちのフォルダ開いて。上から三段目の一番右。これこれ」
「あんた、すごい記憶力ね。じゃあ、私が小学校の卒業式で母親と並んで写ってるのはどこ?」
「下から二段目の真ん中だ。ちなみに中学の卒業式は、こっちのフォルダ。昔から神経衰弱は得意なんだ」
「あなたにそんな特技があるとは知らなかった」
「そう言えば、二人で神経衰弱したことないね」
香夏子が夕輝の提案通りレモンを採用する。少しの間、マウスのクリックの音だけがする。
「で?」
「で? って?」
「会話の続きだよ。色々思うところって何?」
「あぁ、そっちの話。例えば、そうね、式に呼ぶ人とか」
「と言うと?」
「まず、何の迷いもなく呼びたいって人がいるじゃない? 親友とか恩師とか」
「いるね」
「でも、もちろん式の出席者全員が親友と恩師なわけじゃない」
「だろうね」
「そうなると、今度は『呼ぶべき人』が現れる」
「『呼んだ方がいい人』、あるいは『呼ばなきゃならない人』とも言える」
「いかにも。そこがやっかいなのよ。ドックとグランピー、スリーピーも呼んだほうがいい」
「スリーピーを呼ぶなら、スニージーも呼ばなきゃ」
「そう。それよ」
香夏子が人差し指で無遠慮に夕輝の鼻先を指す。「知人たちをカテゴリー分けするわけ。『高校のクラスメイト』『中学の部活仲間』『前の会社の同僚』『高校のクラスメイトで偶然前の会社の同僚』」
「え、香夏子って転職してるの?」
「ものの例えよ」と香夏子は言う。「より多くのカテゴリーに入れば当選。でも中には、まったく同じカテゴリーに同じだけ落ちる人たちがいる。全員を呼ぶと定員オーバー。だから、やむなくどこかで線を引く。現実の世界には線なんてどこにもないのに」
「スニージーは呼ぶけど、ハッピーとドーピーとバッシュフルはごめんなさい」
「その一方で、本当は呼びたいのに呼べない人もいる」
「例えば?」と夕輝は何気なく尋ねるが、香夏子は言葉に窮した。思い出したようにコーヒーを口に運び、「とにかく、結婚っていうのは色々考えさせられるわね」と取り繕う。
「そう言えば、俺も感じたことがあるんだ」
何となくこの話は早めに切り上げたほうがいい気がして、話題を変える。
「何?」
夕輝は一枚の写真を画面に出す。白髪混じりの男性に抱き上げられた少女を、男性の肩越しに捉えている。抱きあげられたことに驚いたような表情が印象的だ。
「この女の子は、誰?」
「誰って、一人しかいないじゃない?」
「桐野香夏子さん?」
「えぇ。なんでフルネームで言われたのかわからないけど、つまり私ね」
「全然違う」
「不思議なんだけど、よく言われるのよね。確かに小さい頃はちょっと太ってたけど」
「そうだね。うん。ちょっとだけね。ほんのちょっと」
何の脈絡もなくこの写真を見せられたら、本人と気づかずに失礼な発言をして怒らせていたに違いない。夕輝はそう思いながら、そう思っていることを悟られないように、コーヒーを静かに啜った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます