Side B Track 1

「本日もリムジンバスをご利用頂き、誠にありがとうございます。このバスは羽田空港行きです。途中、京成津田沼駅を経由いたします」


 JR津田沼駅を定刻で発車したバスは、駅前のロータリーをくるりと一周し、京成の津田沼駅を目指す。運転席に座る山中は、ハンドルを握り続けて三十余年のベテランだ。人生の半分以上をバスの運転手として暮らしている。


 ものの五分程度で京成の駅に到着する。バス停に滑り込みながら、山中は待っている乗客の数を確認した。多い。二十人、いや二十五人はいるか。

 バスを停車させ、開扉ボタンを押すと、山中は軽やかにステップを降りる。

 眠たそうな顔を向けている面々に向かって、いつもの決まり文句を叫ぶ。予約をしている人から乗車ができる。大きな荷物はトランクで預かる。云々。

 全ての荷物と乗客をバスの中に収容した時には、出発予定時刻を五分近く過ぎていた。


「発車します」

 アナウンスを掛けるのと同時にアクセルを踏む。

 目的地の案内、シートベルト着用の要請、携帯電話の使用に関する注意などのアナウンスをし、最後に予想所要時間を乗客に告げる。

「現在のところ、湾岸線西行きに目立った渋滞はありません。羽田空港第二ターミナル到着は八時四十五分、第一ターミナル到着は……」

 もちろん最後には、交通状況によっては延着することもある旨の但し書きを忘れない。

「狭い車内ではありますが、どうぞごゆっくりおくつろぎください」という決め台詞でアナウンスを終え、運転に集中し始めたところで無線から声が聞こえる。


「コントロールから山さん、どうぞ」

 声で正司だとわかる。


――あの若造、名前で呼ぶなと言っているのに


 特定のバスを無線で呼ぶ時は、出発地とそれぞれのバスに振られた三ケタの数字の組み合わせで呼ぶことになっている。つまり、山中の運転するバスの番号は「398」なので、「津田沼398」というのがコールサインだ。

「こちら津田沼398。どうぞ」

「えー、現在午前七時四十分。天気は快晴。今のところ湾岸西向きは渋滞なし。二タミ到着予定は何時ですか?」

「八時四十五分です。どうぞ」

「それは標準でしょ? 俺は山さんの勘を訊いてます。どうぞ」


 標準というのは、標準到着予定時刻のことだ。通常乗客に案内する時間で、どんなに遅れてもこの時間には着くだろうという、いわば安牌だ。実際には優に二十分は早く到着することも多い。


 山中は一瞬躊躇した。イヤホンをしているので無線の内容が乗客に漏れることはない。正司もヘッドホンをしているはずだ。しかし、他のバスの運転手には筒抜けだった。会話が聞かれているだけでなく、我々が話している間は他の交信ができなくなる。あまり正司のペースに呑まれていては、顰蹙ひんしゅくを買うというものだ。


「京葉はどうだ?」

 心なしか早口になる。

「え?」

「京葉道路の混み具合は?」

「京葉は、えーと……」

「幕張402、コントロールどうぞ」

 三つ目の声が唐突に割り込み、ほら見たことか、と山中は半分は自分に向かって言う。

「あ、はいはい、げんさん、どうぞ」

「市川を先頭に花輪まで渋滞だ」

「はい?」

「京葉は渋滞してる」

「あ、はい。えっと、十四号も渋滞がひどいので、そのまま京葉を行ってください」

「了解」

 そこで一瞬無線の会話が途切れる。


「コントロールどうぞ。こちら津田沼398」

山中が呼びかける。「湾岸はこれから東京港トンネル手前で渋滞する。到着予定は八時四十五分だ」






※作中の設定、会話はすべて完全なフィクションです。

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