24.夏希


 もがみ荘に帰ったあと、夏希は自室で勉強を始めたが、どうにも身が入らなかった。冷房の風に慣れる前に図書館へ行こうと決意した。三教科分の勉強道具を鞄に入れ、もがみ荘を出発した。

 図書館へ向かう道中、夏希はなるべく片陰を選びながら歩いた。それでもすべての道が都合よく陰になるわけはなく、容赦ない日差しに肌を焼かれることもたぶんにあった。

 この街の図書館は小高い丘の上に建っていて、最後には長い坂道を歩く必要があった。その間には陰を作るようなものがなく、夏希は真夏の猛威を存分に味わいながら坂道をのぼった。のぼりきった頃には玉の汗が頬を伝っていた。


「あれ、東江じゃん」


 図書館の前まで来たところで、健太と鉢合わせた。

 健太はわずかに目を丸くし、


「なにしてんだお前」

「そっちこそ」

「オレは、これ返しに来たんだ」


 健太の手には一冊の新書があった。タイトルまでは見えなかった。


「東江は?」

「勉強しに」

「図書館で?」

「ああ」

「今日、休みだぞ?」

「え?」


 夏希は慌てて図書館のドアを見た。大きく『休館日』と書かれた掛札があった。


「オレ、知らなくてさ。水曜日って休みなんだな。東江も知らなかったのか?」

「いや」


 夏希は首を横に振る。

 健太は「あ?」と首を傾げ、


「じゃあなんで来たんだよ」

「今日が水曜日だってことを忘れていたんだ」


 夏希は至極真面目に答えた。


「お前、頭いいんだか悪いんだか、よく分かんねえな」


 健太は呆れた顔をしていた。夏希は「悪いんだよ」と答えて笑った。


「学校に行かね? 図書室ならまだ開いてるだろ」

「大橋も勉強するのか?」

「そのつもりでもあった。東江が一緒なら都合がいいや」


 幸いにもお互い、まだ制服を着用していた。このまま学校へ戻っても問題はなかった。


「歩きながら話そうぜ。ここじゃ干からびそうだ」


 健太が道を戻り始める。夏希もすぐに彼の横に並び、


「その本、返すんじゃないのか?」


 と、不思議そうに訊ねた。市民図書館にはブックポストがあるため、休館日でも返却することはできた。


「延滞した本はダメだとさ。張り紙に書いてあった」


 健太が本を手渡してくる。タイトルから察するに、恋愛にまつわる文言集らしかった。


「どれくらい延滞してたんだ?」

「十六ヶ月」


 健太はあっさり答えた。今度は夏希が呆れる番だった。


「気の遠くなる話だ」

「仕方ねえだろ。忘れてたんだ」

「で、なんで今頃?」

「図書館から電話かかってきてたらしくて、でも知らない番号だからって、親がずっと無視してたらしい。それでもずっとかかってくるもんだからオレがスマホで番号調べたら図書館で、まああとはご想像の通りだよ」

「はあ、なるほど」

「ブックポストに返すなってことは、なんか手続きでもあんのかね」

「一定期間、貸出禁止とかになるんじゃ? もしかしたら延滞した分だけとか」

「はっ、上等だよ。二度と使ってやんねー」


 口調こそ穏やかではなかったが、健太の表情は落ち着いていた。

 坂道を下りきると、二人はすぐに街路樹の陰に逃げ込んだ。それからしばらくは緑陰の続く道で、火照った体も優しく冷やされていった。


「大橋は、なんでこれ、図書館で借りたんだ? 似たような本、図書室にあると思うけど」


 本を返しながら、夏希は訊ねた。


「んなもん、恥ずいだろ。学校で借りるとか」

「ああ、カードに名前、残るしね」

「本当はそれ読んで、ラブレターの参考にでもしようと思ったんだ」

「田上先輩への?」

「ああ。結局、書けなかったし、書く必要もなくなっちまったけど」


 夏希は、彼が十六ヶ月も延滞していた意味が理解できた気がした。


「つまり、参考にならなかったんだ」

「東江は、猫も恋する季節って分かるか?」

「さあ」

「春先なんだとよ。本に書いてあった。オスの猫が激しく鳴いてメスを求める季節なんだと。俳人とかに好まれた言葉で」

「ああ、思い出したよ。猫の恋、やむとき閨の朧月」

「それだ。なんとか芭蕉。よく覚えてんな」

「それがどうかしたのか?」

「そんなんばっか書いてあんの。こんなん参考にしてラブレター書いたらただの痛いポエムみたいになりそうでな。途中でやめちまったんだ」


 健太は「あーあ」と大きな声を上げ、


「なんでまた、あいつと付き合っちまったんだろうな。先輩の方が絶対美人だってのに」

「実際のところどうして付き合ったんだ?」

「キスしちまったからだよ」

「それだけ?」

「それだけだ」

「風邪、よくうつんなかったな」

「それな。バカは風邪引かないってマジなのかも」

「はは」

「笑うんじゃねえよ」


 脇を軽く殴ってくる健太。夏希は痛みよりもくすぐったさを感じた。


「東江の方は、どうなんだよ」

「俺?」

「西城さんと。あれだけただの友達だってのたまってたくせして」

「俺たちは、別に」

「利乃から聞いたぜ? 付き合うことになったんだって」

「西城さんから聞いたってことかな?」

「そういう話じゃないのか?」

「いや、西城さんがそう言ってるんなら、そうなんだと思う」


 健太は歯がゆそうに顔になった。


「はっきりしねえな。一体なんなんだよ、付き合ってるのか付き合ってねえのか、どっちなんだ?」

「俺にもよく分からない。ただ、なんとなくだけど、西城さんは俺のことが好きで、俺も西城さんのことが好きなんだと思う」

「つまり両想いってことだろ? そんな持って回った言い方する必要あったか?」

「そうだな。ただ、たまに考えるんだ。俺が西城さんを好きなのは、料理とか洗濯とか送迎とか、そういうことで関わって、尽くせる相手だったからじゃないかって。本当は、西城さん自身を好きになったわけじゃない、仮にこれが別の人でも、俺は同じような感情を持ったんじゃないかって。そう思うと、素直に両想いだって言える自信がない。彼女の好きと自分の好きが一致しているような気がしないんだ」


 滔々と夏希は答えた。自然と早口になっていた。

 健太は、しばらくなにも言わなかったが、ほどなくして、


「東江の気持ちは、まあ2%くらいは分かるな」


 と、冗談めかすように言った。


「オレはさ、利乃と付き合うのはもう二度目なんだ。中一の時に一回、付き合ったことがある」

「じゃあ、一度は別れたのか」

「ああ。あいつとは幼稚園の頃からの付き合いで、なんでか知らねえけどオレなんかのことが好きで、ずっとつるんでた。小四くらいになるとほかの男子から笑われっから突き放してたこともあったけど、それでもオレのこと好きでいてくれててさ。バカだよな、ほんと」

「いい話だと思うけど」

「あまりにオレがどうしようもなさ過ぎて、放っておけなかっただけなんだよ。そういう意味じゃ、お前が利乃みてえなもんかもな」


 夏希は、あえて賛同はしなかった。

 健太は続ける。


「中学生に上がってすぐ、利乃から告られた。で、付き合うことになった。正直言うと、利乃のことはすげえ話の合う友達くらいにしか思ってなかった。女としてどうとか、考えたこともなかった」

「じゃあ、なんでOKしたんだ?」

「簡単にやらせてくれたからだよ。中学生なんて猿みてえなもんだ。それ以外に理由なんていらねえよ」


 健太はあざけるように言った。誰に対しての嘲笑かは明白だった。


「結局、二ヶ月と保たなかった。当たり前だよな、理由がそんなんなら。恋愛ですらなかったよ、付き合ってたなんて言えないレベルだった」

「それでも、繋がりはあったんだな」

「不思議なことにな。たぶん、オレが変わっちまったんだ。くそみてえに別れたあとから、無性に利乃のことが気になり出したんだ。おかしいよな、付き合う前や付き合っている時は、どうでもよかったのに、あいつがほかの男と楽しそうに話してるのを見つけると、イライラするようになった」

「どうして?」

「知らねえよ。でも事実そうなっちまったんだ。どうやら男ってのは一度寝ると、どうであれ寝た相手を気にせずにはいられないみたいなんだ。そういう呪いがあるんだ、きっと」


 健太は吐き捨てるように言った。夏希には、どこか言い訳がましくも思えたが、否定はできなかった。


「それで、無理やりにでも、別の女と仲良くしようとすんだけど、全然上手くいかなかった。その度にあいつから笑われて、少しずつ、付き合う前みたいに戻っていった。お互い、その方がいいって思ってたのかもしれない」

「なら、なんでまた、今更」

「だから言ったろ。キスしちまったからだって。ほかに理由なんかない」

「それで、大橋は納得してるのか?」

「さあ、分からん。でも、オレたちは結局、都合のいい奴と付き合うし、好き合うようになるんだよ。お互い好きなら、その好きにどんな違いがあったって、好きなことには変わらねえだろ。お前はたぶん考え過ぎなんだ、もっと色々、単純っていか、素直に考えた方がいいこともあるんだよ。オレはそう思う」


 夏希は返事に詰まった。

 健太の言葉に対して、適切な反論を見出すことができなかった。ただ受け入れるように黙り込むことしかできなかった。

 学校への道のりは海岸通りに差しかかっていた。木陰もなくなり、強い日差しがまたジリジリと肌を焼き始める。

 そうした時、健太が「おい!」と、向かいの車道の脇を指差した。


「見ろ、ありゃ、とんだ猫の恋だ!」


 そこには、血だらけの三毛猫が倒れていた、そのそばで、無傷の白猫が鳴いていた。夏希は血の気が引いて青ざめた。健太も似たような面持ちだった。

 三毛猫はかろうじて生きていた。しかし出血量からして時間の問題にも思えた。

 二人はすぐにスマホで対処法を調べ、野良猫でも動物病院で診てもらえることを知った。二人は急いで最寄りの動物病院へ向かった。血まみれの三毛猫は夏希がタオルで包んで抱きかかえた。白猫も結局ついてきたため、途中から健太が抱いて運んだ。


 十分ほど走った末、二人はショッピングモール近くにある滝山たきやま動物医院に駆け込んだ。待合室はそれなりに混んでいたが、三毛猫の容態から緊急性ありと判断され、すぐ治療室に移された。

 治療の間、二人は待合室で待機となり、受付嬢の指示に従って個人情報を用紙に書き込むことになった。二人で話し合った末、夏希が書いて提出することにした。


「はい、それじゃあ少し待っててね。きっと大丈夫だと思うから」


 用紙を確認すると、受付嬢は戻っていった。白皙の美人だったが、はにかんだ時の顔にはまだわずかなあどけなさが残っていた。夏希たちよりは年上だが、紗英よりは年下ではないかと思った。


「ありゃたぶん、ここの奥さんだな」


 懐にいる白猫を撫でながら、健太が小声で言った。夏希にはよく分からなかった。


「なんで?」

「名札が滝山だった。偶然とは思えん」

「それはちょっと、推測の域を出ないな」


 待合室の冷房は適温かもしれなかったが、炎天下の中を疾走してきた夏希にとっては肌寒かった。汗もすっかり冷え、背筋に悪寒が走るほどだった。何度も診察室のドアを見つめて、その数だけ目を逸らした。悪寒は次第に強くなるようだった。

 しばらくしてドアが開かれ、夏希の名前が呼ばれた。どれくらいの時間が経ったかは数えていなかった。健太は白猫の面倒を見るため、待合室に残るようだった。

 夏希が一人で診察室に入ると、三毛猫の姿はどこにもなく、パソコンが置かれた机のそばに獣医らしき男性が立っているだけだった。長身で端正な顔立ちをしていて、医療ドラマに出ていてもおかしくないような風貌だった。


「ああ、そこの椅子に座ってくれる?」


 獣医の指示に従い、夏希はぽつんと置かれていた丸椅子に腰を下ろす。獣医の名札にはやはり『滝山』とあった。


「ええと、車道の脇に倒れていて、血まみれだったんだって?」


 思いのほか低く渋い声の滝山に、夏希は「あ、はい」と頷き、


「あの、猫は?」

「ん? ああ、治療室だよ。手当て中。出血は酷いけど命に別状はないから安心していいよ」


 夏希は胸を撫で下ろした。心の底から安堵していた。


「その、ありがとうございます」

「車道ってことは、やっぱり車か。轢き逃げされたのかもしれない。見た目ほど派手にぶつかっていないみたいだし、運転手気づかなかったかなぁ」


 夏希の感謝が聞こえなかったのか、滝山はパソコンの画面を眺めながら呟いていた。それから「よし」と、ようやく夏希と目を合わせ、


「ほかのお客さんも待ってるから手短に話そう。君の愛護精神には感心するし、あの猫も感謝していると思う。もちろん僕も、一獣医として感謝している。ありがとう」

「あ、いえ。そんな」

「だが、ここからは現実的な話だ、東江夏希君」


 スイッチを切り替えたように、滝山は声色を鋭くした。


「あの子は野良猫らしいが、それで君は、これからのあの子についてどう考えている?」

「どうって」

「あの子は左の後ろ足を骨折していたが、二ヶ月も安静にさせていれば完治するだろう。問題はそのあとだ。君はあの子の面倒を見ていこうと考えて助けたのか?」

「それは、いえ、考えてなくて。とにかく助けなければと」


 夏希は小さな声で答えた。どうしてか弁解するような口調になった。

 滝山は「そうか」と冷たく言って、


「こうして野良猫を助けた場合、君が取れる選択肢は主に三つある。君が飼うか、飼ってくれる人をさがすか、元の場所に帰すか。現時点で君はどれが適切だと考える?」

「それはやっぱり、野良だから、元の場所に」

「そうすると、またこういう事故が起きてあの子が負傷するかもしれない。そしてそれは、君のような善人が気づかない場所で起きるかもしれない」

「じゃあ、飼えと?」

「それは極論だ。断っておくが、どれかが正しい選択であるわけではないよ。どれを選んでも正しく、あるいは間違いでもある。これはそういう問題だ。助けたからには責任が生じる。その点について君がどこまで考えていたのか、僕は知りたかったんだ」


 手短に話すと言いながら、滝山は常に小難しい言い方をする男だった。しかし言わんとすることは夏希にも理解できた。


「更に現実的な話をすると、今回の治療代のこともある。野良ということで多少の融通はできるが、それでも高校生の君にとっては小さくない負担だろう。しばらくここで面倒を見ることになるから入院費もかかる」

「ただ助けるだけなのは、中途半端だってことですか?」

「無責任という言い方もできるかもしれない。これからあの子は長い時間、人間の庇護のもとで生活することになる。そうすれば懐いて、すんなり元の野良に戻るわけにもいかないかもしれない。仮にそういう愛着が生まれれば、それを受け入れるか拒絶するか、必ず選択を迫られる。そこまで考えて行動することも重要だろう」


 夏希は頷くように俯いた。返す言葉が見当たらなかった。


「まあ、今すぐ決断することはない。あの子が全快するまでは時間がかかるし、その間にどうするか考えればいい。治療代も、今日中でなくとも、まずは親御さんと相談してみて」


 滝山はまたよどみなく言いながら、手元の用紙を眺めた。

 すると、「ん?」と声色を変え、


「君の住所って、もしかしてもがみ荘かい? 下宿してる?」


 と、不思議そうに訊ねてくる。夏希は「そうですけど」と答えた。


「そうか。はあ、なるほどね」


 滝山はわずかに口元を緩ませた。それから部屋の奥に続いている通路に出て「ケイコー」と女性の名を呼んでいた。

 現れたのは先ほどの受付嬢だった。二人はなにかを話し合っていたが、夏希にはよく聞こえなかった。

 しばらくすると、滝山が戻ってきて、


「とりあえず、今日はもう帰っていいよ」


 そう夏希にうながした。


「え、でも」


 と、夏希が戸惑うと、


「治療代の話は直接、西城にするから。大学の後輩なんだ、彼女」


 と、滝山はパソコンを操作しながら答えた。紗英のことか、と夏希は解釈して、途端に頬の緊張が緩んだ。


「でも、あの子をどうするかは、ちゃんと考えておくんだよ」


 その言葉は、これまでで一番優しい声音でできていた。夏希は「はい」と頷いて、診察室をあとにした。

 待合室に戻ると、すぐ受付に呼ばれた。今日は支払いの必要がない旨を教えられた。そのさなか、受付の奥に賞状のような紙が飾られているのが見えて、そこには『滝山たきやま正幸まさゆき』という名が記されていた。夏希は思わず笑いそうになった。

 健太のもとに行くと、「どうだった?」と訊ねられた。夏希は「大丈夫だった。混んできてるし、外で話そう」と答えて、二人で病院をあとにした。白猫は健太が抱えたままで、ずっと大人しかった。

 ゆっくりと道を帰りながら、夏希は三毛猫の容態や今後について話した。健太は一通り黙って聞いていたのち、


「死ななくてよかったな。それが一番だ」


 と、安心したように言った。夏希も「うん、よかった」と、心の底から同意して、


「その猫はどうしよう」

「利乃に相談してみようかと思う。あいつも猫飼ってるから。ただ猫エイズとかもあるし、難しいかもしんねえけど」

「猫エイズ?」

「猫だけがかかるエイズってのがあるらしい。利乃が言ってた」


 得意げに言う健太だったが、それ以上のことは知らないようだった。診察代の割り勘を取り決めてから、猫の話は一段落した。

 それからちょうど、ショッピングモールの脇を通り過ぎたあたりで、


「東江、スポーツショップができたって知ってた?」


 と、健太が思い出したように訊いてきた。

 夏希はかぶりを振って、


「どこに?」

「ここのモールの中」

「スポーツショップなんて俺、ほとんど縁ないし。西城さんの方が」

「そう、それだよ、西城さん。告白されてたんだ、今日」


 夏希は足を止めた。健太が嘘をついているようには見えなかった。


「オレさ、西城さんと掃除場所一緒だろ? それで、見たんだよ。橋爪が西城さん口説いてるところ」

「橋爪?」

「E組の、水泳部の奴。確か部長になったって」

「ああ」

「あいつが、西城さんと話してて、一緒に新しくできたスポーツショップに行こうって誘ってたんだ」

「それだけ?」

「まあ、そんだけだな」

「それって告白?」

「似たようなもんだろ。どう考えてもあれ、そういう意味で誘ってたよ。間違いねえって」

「そっか」


 夏希はふたたび歩き始めた。こういう時の適切な答え方が分からず、しばらくだんまりしていた。


「東江はそういうの、気になんねえのか?」

「大橋、さっきの本、少し借りてもいいか?」


 健太に質問されたのを機に夏希も口を開いた。会話は成立していなかったが、健太は「これか?」と先ほどの新書をポケットから取り出し、


「少しってどれくらいだ?」

「数日でいい」

「バカ言うなよ。十六ヶ月も延滞してんだぞ。もう明日にでも返さねえと」

「十六ヶ月も延滞してるんだから、もう数日くらいどうってことないだろ」


 夏希は強気に言った。健太は呆れたように溜め息をつき、


「なにに使うんだ?」

「ちょっと、参考にするだけ」


 健太がわざとらしく頭を抱える。


「こんなの参考にしたらポエムになっちまうぞ」

「それなら、そこに載ってない言葉で書けば、逆にまともになるんじゃないか」


 あっけなく答える夏希に、健太は乾いた笑いをこぼし、本を手渡してくる。


「お前、西城さんとキスしただろ」

「したよ」

「あっそ。短い倦怠期だったな、この夫婦は」

「倦怠期だったのか?」

「知らねえよ」


 健太が肘で小突いてくる。その拍子に抱きかかえられていた白猫が眠たそうに鳴いた。

 日差しはいっそう強く、彼らの行く道を眩しいほどに照らしていた。





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