7.昼食


 居間で文庫本の小説を読み終えた夏希は、掛け時計の針が十二時を回っていることに気づいた。座椅子から立ち上がり、シアターラックで流していた音楽を消して、台所へ向かった。

 シンク下の戸棚を開き、即席ラーメンが入った袋を取り出す。千春の実家から仕送りされているとんこつラーメンで、こちらの地域では販売されていない銘柄だという。千春はこの即席麺以外のラーメンは絶対に食べない。少なくとも夏希は、ほかのラーメンを食べている千春を見たことがない。


 夏希は目分量で鍋に水を入れ、クッキングヒーターで沸騰させる。もがみ荘は木造のレトロな外装に反してオール電化のため、ガスは一切使われていない。夏希は入居した当初こそガスコンロとの違いに戸惑うこともあったが、慣れてくるとIHの方が便利で掃除も楽なことに気づかされた。

 沸騰が確認できたら熱を弱め、麺の塊を投入する。しばらくしたら塊を裏返し、麺が均等にほぐれやすくなるまで待つ。

 この間に食器棚からどんぶりを取り出し、その中にあらかじめ、スープの素である粉末を入れておく。

 本来であれば麺を解きほぐしてから鍋の中に入れる粉末だが、どんぶりの方で溶かした方が鍋が汚れにくい利点があると千春から教わった。


 クッキングヒーターを止め、麺をほぐしていく。千春は固めが好きらしいが、夏希にはよく分からないため、いつも大体パッケージ裏の時間を守りながら作っている。このラーメンならば約三分が目安らしい。

 麺とお湯をどんぶりに注ぐと、前もって入れていた粉末が綺麗に溶け、お湯が白濁のスープへと変わっていく。麺とスープを絡めさせるように混ぜてみると、とんこつの風味を帯びた湯気がふわりと立ちのぼった。

 しかしこれで完成ではない。このラーメンにはローストポークの香りを引き立たせるためのオイルが付属しており、食べる前にかけておく必要がある。


 以前、夏希がかけ忘れたまま千春に差し出した際、一瞬で気づかれて怒られたことがあった。結局、肝心のオイルはすでにパッケージと共にゴミ箱の中に捨ててしまっていたため、更に怒られた。今でも根に持たれており、千春からは『第四次オイルショック』などと揶揄されている。

 そうして、夏希が確実にオイルを投入し終えた頃、階段の方から物音が下りてくる。


「うー」


 猫背になった千春が食堂に現れた。

 表情は普段の素っ気なさとあまり変わらないが、心なしか顔がやつれてげっそりしているようにも見える。


「今できたとこだよ」


 と、夏希がラーメンをテーブルまで運ぶと、


「ちゃんと入れたと?」


 案の定、千春がそう訊ねながら席に着く。


「見れば分かるんじゃない?」

「うん、入っとぉね」


 千春は箸を受け取り、「いただきます」と手を合わせてからラーメンを食べ始める。


「ちょっと薄い」

「そう?」

「また目分量でしよぉやろ」

「そうだけど」

「だけんダメっちゃん」

「西城さん量りながら作ってたっけ?」

「せんよ。せからしか」


 夏希は苦笑いを浮かべた。

 それからまた台所へ向かい、自分の分のラーメンを作り始める。


「ねえ、どこも行かんと?」


 食堂の方から、千春がそう訊ねてきた。


「行かないと思う。予定もないし」

「ゴールデンウィークなのに?」

「西城さんだって」

「私のことはよかと」

「大橋からは誘われたんだけどね」

「行けばよかったとに」

「そうかもね」


 またラーメンを作り終えた夏希は、鍋を流し台に移して軽く水ですすいだ。

 それからどんぶりをテーブルまで運び、冷蔵庫から麦茶、食器棚からコップを二つ取り出す。


「大橋、田上先輩を誘うって言ってた」

「は? 部活以外で繋がりあらすと?」

「ほぼない。大橋も無理だろうなって言ってた」

「どういう意味?」

「最初に俺を誘ってきて、俺が断ったから、じゃあ誰を誘えばいいんだってなって。俺が田上先輩誘ってみたらって言ったんだ」

「あーね」


 夏希も席に着き、「いただきます」と手を合わせる。


「ごちそうさま」


 入れ替わるように、千春がラーメンを食べ終わった。それから用意された二つのコップに麦茶を注ぎ、


「はい」


 と、一つを夏希に差し出してくる。夏希は「どうも」と会釈して自分のもとへ引き寄せる。


「それで、誘えらしたと?」


 と、千春が話題を戻す。

 夏希はすすったラーメンを飲み込んでから、


「分からない。ただ、川田さんには、悪いことをしたかもしれない」

「は? なんで」

「大橋が、田上先輩と二人きりは無理そうって言うから、一緒に川田さんも誘ってみればって言ったんだ。それで」


 そこまで聞いて、千春は「あーあ」と平坦な声を発する。


「それ、東江君が助言したって、利乃は知っとらすと?」

「いや、たぶん知らないと思う」

「ならよかど。別に」


 夏希を責めることもなく、千春は麦茶を飲み干す。

 返事を待たずに立ち上がり、台所を出ていこうとする間際に、


「東江君も結構、不器用かね」


 それだけ言い残して、二階に上がっていった。

 夏希はしばらく箸を止めていたが、自分のラーメンを食べ終わる前に席を立ち、千春のどんぶりやコップを流し台ですすいだ。

 それからまたラーメンに箸をつけたが、スープがぬるくなっていて、麺もすっかり伸びていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る