2.クイズ
昼休みも徐々に終わりが近づいていた。
帰ってきた生徒も増え、教室は少しずつ島宇宙と化していく。それぞれのグループがそれぞれの賑わいを光らせ、室内にあった無色の閑静さを蝕んでいく。
黒板の方では常習的に制服を着崩している女子生徒たちが、特に上手くもない落書きで空騒ぎしていた。
「では、早速一問目だ」
ほどよい喧噪の中、司会者然とした振る舞いで美沢が言う。
夏希は結局、美沢が企画したクイズに参加することになった。千春も承諾し、机に頬をつけたままかろうじてシャーペンを握っている。
健太と利乃は観客として、クイズの行方を見守るようだった。
「まずは西城さんに対して質問しよう」
と、美沢は千春の方を向き、
「西城さんは水泳部所属だったね。専門の泳法とかあるかい?」
「背泳ぎ」
嘆息するように千春は言った。
美沢は「なるほど」と頷き、
「では質問、西城さんが背泳ぎの次に専門にしたいと考えている泳法はなんですか?」
と出題した。
「なあ利乃、泳法っていくつあったっけ」
「クロール、平、背面、あとはバタフライ?」
「だよな。てことはこの質問、東江は適当に書いても三分の一で当たるってことじゃね?」
「まあ、そうかもしれないけど」
健太と利乃の会話が聞こえてくる。
夏希は少し考えた。
背泳ぎを除けば、クロールか平泳ぎ、あるいはバタフライの三択。当たる確率は確かに三分の一。
ちらりと、千春の様子を見てみる。
彼女はもう書き終わっているようだった。ぐったりとうなだれ、夏希が答えを出すのを待っている。
夏希は軽く頭を掻いた。
それから投げやりな筆致で、付箋に答えを書き込んだ。
「二人とも、出そろったみたいだね。じゃあまず、東江の方から見せてもらおうか」
美沢の指示を受け、夏希は手のひらで隠していた付箋を見せた。
『別にない』
それが夏希の回答だった。
「はあ? なんだこりゃ」
と、健太が呆ける。となりにいる利乃も似たような表情だった。
ただ一人、美沢だけは、
「へえ、興味深いね」
と、わざとらしく感嘆していた。
「東江、裏を掻くような回答だけれど、なにか考えがあってのことかい?」
「いや、考えるのだるかったから」
夏希は平坦な声で言った。
美沢は「そうか」と一笑に付し、
「じゃあ次、西城さん見せて」
と、開示をうながす。
千春は緩慢な動作で手のひらをどかし、付箋を見せた。
『 』
なにも書かれていなかった。夏希以外は唖然とした顔になる。
「西城さん、これは?」
と、美沢が訊ねると、
「別に、ないから」
と、千春は答えた。
「それはつまり、背泳ぎ以外は眼中にないって意味か?」
健太が追及するように訊いた。
千春は気だるげな眼差しのまま、三秒ほど間を置いたのち、
「それ」
と、短く答えた。
「凄いね、東江君。ここまで予想してたってこと?」
利乃からの疑問に、夏希はかぶりを振ろうとした。
が、それより先に健太が身を乗り出し、
「こりゃたまげた。マジで以心伝心、しかも面倒そうな答え方までもう完全に似た者夫婦ってやつだろこれ」
夏希は小さく肩を落とし、千春に目を向ける。
彼女は表情を変えることなく、健太の熱弁を淡々と聞いている。あるいは聞き流している。
「大橋の言う通り、東江と西城さんは雰囲気が似ている。そこは夫婦っぽいかもしれないな」
美沢まで肯定し始め、いよいよ夏希は四面楚歌だった。
が、特に否定する気も起きなかった。
千春も、別段変わった様子は見受けられなかった。
「ちなみに東江、西城さんの回答を推測して答えたわけではないんだな?」
美沢からの問いに、夏希は小さく頷く。
「そうか。じゃあ次、東江への質問だ。今、読んでいる本はなんですか?」
続けざまに、美沢が出題。
「西城さんが水泳部のことで答えたから、東江君には文芸部関連ってわけね」
利乃が問いの意図を察する。
「そういえば東江、さっき本持ってたよな。チラッとタイトル見たけど、なんだったっけか」
健太がもどかしそうにうなる。
先ほどまで読んでいた本は、すでに机の中にしまわれていて誰も確認できない。
「ていうか美沢、問題が辛過ぎね? 本のタイトルなんて厳しいだろ」
「タイトルまでは指定していない。小説か否か、もし小説ならば推理ものかSFかとか、それくらいなら東江の好みなどから予想できないこともないだろう」
「はあ、なるほどね」
一応、健太は納得していた。
「でも東江君って、乱読家だしね。新書とかも読んでたりするし、ジャンル当てるのも難しそう」
利乃は首をひねっていた。
確かに夏希は、小説以外の本もよく読む。
が、先ほどまで読んでいたのは小説で、ジャンルは純文学だった。
千春が当てられるかどうかで言うと、恐らく厳しい。
彼女は夏希の右どなりの席、すなわち表紙が見える位置に座っている。さっき声をかけてきた時など、書名を確認する機会はあるにはあったかもしれない。
だが今読んでいる本は、タイトルが少しややこしい。一見しただけで覚えられるとは考えにくい。ジャンルについても特定しづらい純文学。
文庫本だったため、なんとなく小説だったことは想像がつくだろうか。いや、そもそも千春の性格上、そこまで考えたりもしないかもしれない。
夏希は書名を一字一句正確に、付箋に記した。
「二人とも、書いたみたいだね。じゃあ西城さんから見せて」
美沢からの指示を受け、千春がパッと手をどける。
『しろいろの街の、その骨の体温の』
夏希は目を見開いた。
付箋に走り書きされた、千春の回答を見て。
「なんかそれっぽくないか?」
「うん、東江君ならありえそう」
健太と利乃が互いに目を見合わせている。
「東江、答えは?」
美沢に訊ねられ、夏希も手のひらをどけた。
『しろいろの街の、その骨の体温の』
おお、と三人の感嘆が重なり合う。
「すげえ。完璧に当たってる」
健太が夏希と千春の付箋を見比べている。
「西城さん、東江君がなに読んでるか見てたの?」
と、利乃が訊くと、
「うん。さっき」
と、千春は淡々と答えた。
「ふむ。どちらも正解したわけか。これはますます、二人が夫婦っぽいという証明になったかもしれない」
「だな。でもまだ一問ずつだし、もうちょっとやってみた方がよくないか」
実験を楽しむ研究者のように、美沢と健太が話し合っている。
夏希は首をひねったが、なにも口出ししなかった。
ほどなくして、チャイムの音がスピーカーから鳴り響く。
「昼休みが終わったか。続きはまた今度だな」
と、美沢が自分の席へと帰っていく。
「次はもっと踏み込んだ質問にしようぜ。この二人だとなんでも正解し合っちまいそうだ」
「あんた、デリカシーって言葉知らないわけ?」
「知ってるよ。デリシャスの名詞形かなんかだろ」
吐き捨てるように答え、立ち去る健太。
「アホじゃないの」
そう呟いて、利乃も席に着いていた。
「ねえ」
夏希は、また寝かかろうとしている千春に声をかける。
「本当は、ずっと起きてた?」
問いかけに対し、千春はこめかみあたりの髪を何度か触ってから、
「ずっと、寝とったよ」
端的に答え、腕枕の中に視線をうずめさせる。
夏希は追及すべきか迷った時、ちょうど、担任が教室に入ってきた。夏希はなにも言わずに前を向いた。
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