外伝「Dears」
「あ、ゲクトさんだー」
街中をゲクトが歩いているとそんな陽気な女の子の声が聞こえた。誰だろう。またファンの子かなと思い、声のするほうに目を向けた。
「………」
見たことあるような顔だった。かわいい顔だ。ヒラヒラのミニスカートをはいている。なかなかキレイな足だなと、ついそちらに視線がいってしまう。ところが、その子はそんな短いスカートをはいているのにミニバイクに乗っているのだ。紅白の派手なボディだ。
「やだあ、ゲクトさんったらー、ヒカルの足見てる~」
「いや、その、そんなつもりは…」
「いいのよー、ゲクトさんならいくらでも見せてあげる」
「う…」
思わず言葉につまるゲクト。すると、どこからともなく木村薫の新曲が流れてきた。
「あ、電話だー」
どうやら彼女のケータイの着うたらしかった。なんだ、自分のじゃなく薫のかと思ったことは言うまでもない。
「えー今からあ? しょーがないなあ」
すると、彼女はミニバイクから降りると、それをゲクトのもとまで押してきた。
「ゲクトさーん。アタシ、これから仕事入っちゃったの。この人、薫クンとこまで送り届けてくれる?」
「は?」
「ゲクトさんって薫クンとお友達でしょ? あ、もう迎えきちゃった」
見ると、黒塗りの車が彼女の傍までやってきた。そこから男が出てきて「ヒカルちゃん、これから歌番組の収録現場までそっこーで行かなくちゃダメなんだ」と言いつつ、ゲクトに気がつくと「あ、ゲクトさん、おはようございます」とニッコリ笑ってきた。
(ああ、そうか、この子、浜崎ヒカルだ)
やっと思い出した彼であった。そんな彼にお願いポーズで頼み込むヒカル。
「ごめんなさいねぇ。ジョーをよろしく」
そう言うだけ言うと、ゲクトの返事を待たずに車に乗って行ってしまった。
「ちょ…」
はっと気がついて声をかけようとしたが、すでに彼女はいなくなってしまっていた。
「まいったな…って、なんだよこれ!」
彼は、いつのまにか自分の手にしっかり持たされているピンク色の派手派手しいヘルメットに気がついた。しかもそれはフルフェイスタイプじゃなかった。女の子が被ったら確かにかわいいだろうが、さすがにこれをつけた天下の美形アーティストのゲクトは見たくないと多くのファンが思うだろう。(個人的に作者は見たいが)
「ううう…俺にこれを被れって言うのか…だが、被らないと道路交通法に違反するしなあ…あああ、でもこれを? ありえない…」
「おいっ、ブツブツ何言ってやがる」
突然の声にビクッとするゲクト。そ、そうだった。これがあの噂の喋るスクーターなんだと改めて傍らの紅白のボディを見詰める。
「薫がいつも世話になってるな」
「いやいや、こちらこそあいつにはいつも世話になってるんだけどね」
何だか変な気分だ。スクーターと喋っているなんてこっけいだし。通り過ぎる人々は変な目で見てくるし。
「彼女に頼まれたんで、君を薫のマンションに送ることになったよ」
彼のその言葉を聞き、ジョーはぶつくさ呟きだした。
「…ったくよー、せっかくヒカルとデートできるって思ってたのによ、なんでオレさまが男を乗せなくちゃなんねーんだ? けったくそわりーなー」
「何?」
ゲクトが聞き返す。
「あ、いや、なんでもねー。まあ、しょうがねえな。とりあえず乗れよ。薫のマンションはわかってるんだろ?」
「ああ、まだ一度も行ったことはないが、場所はわかってる」
「まあ、知らなくても俺が知ってっから別にかまやしねーんだがな」
そして、ゲクトはジョーに乗って走り始めた。
すぐに薫のマンションには辿りついた。ジョーを自転車置き場に置くと、鍵を薫に渡そうとその場を離れようとした。すると。
「なー、おめーさー」
ジョーの声に振り返ると、さらにジョーは話しかけてきた。
「おめーのこの間の新曲、あれよかったぜ」
「聞いてくれたのか」
ゲクトは再びジョーの傍にやってきた。
「だが、なんであの曲に『マリア』ってタイトルつけたんだ?」
新曲『マリア』のテーマは自分の愚かさで死んでしまった者へのレクイエムだった。しかし、それはあくまで曲作りのためのテーマであり、本当はたった一人に捧げる曲でもあったのだ。
「僕のファンの子が死んだんだよ。少し前に起きた無差別殺傷事件の被害者だったんだ。その子は僕の熱心なファンでね、いつもファンレターをくれて、僕の歌に励まされて強く生きてますとか、今度こんなことを始めましたとか、いつか僕と肩を並べて歩けるようなそんな立場になりたいとか、夢を語ってくれるような女の子だったんだ。そんな子がある時、殺人者によって理不尽にも殺されてしまった。それを知った時、僕は激しい怒りに駆られてね、それで出来上がった歌なんだ。タイトルにマリアとつけたのは、その子の名前がマリアだったからなんだよ」
「そうか…その子の名前がマリアだったと言うんだな…奴め、俺に何をさせようとしてるんだ?」
「え?」
「ああ、マリア…」
低くジョーが歌いだした。
ああマリア
ああマリア
この悪夢は何だ?
繰り返す間違いのせいか?
悪夢を見せ続けるのは誰なのか?
僕のせいで死んでしまった
君の涙が忘れられない
誰だ?
誰がこの悪夢を?
教えてくれよ
お前は誰なんだ?
神か?
悪魔か?
僕のせいで死んでしまった
君の優しさが心に残る
何度も何度も繰り返される
悪夢の瞬間を
君のいなくなった空を
雨が降り注ぐその時を
なぜだ?
なぜ忘れられぬ?
誰か答えてくれ
この愚かな僕に
早くこの悪夢から
目覚めされてくれ
「ジョー?」
『マリア』を歌い終わったジョーにゲクトが声をかけた。すると、ジョーはこんなことを言い出したのだ。
「昔、とある国にジョーグフリートという王子がいたんだ…」
とある王国に名君と謳われた王がいた。王は王位に就いて間もない頃、一人の姫君を愛した。だが、彼女は下級貴族の娘で、その身分の低さのために王は彼女を正妃として迎え入れたいと思っていても、周囲がそれを許さず、王は泣く泣く他国の王女を正妃として迎え入れた。それは他国との結びつきを堅固にするための政略結婚だったのだ。だが、王はこの王妃をどうしても愛する事が出来なかった。それはもう仕方ない。心から愛する妾姫がいたのだから。
そして、王妃に子供が生まれた。ところが、妾姫にも時を同じくして子供が生まれたのだった。しかも、どちらも男の子であり、生まれた時刻も同時刻でどちらが早くに生まれたのかもわからぬほどの正確さだった。ただ、一つ違いをあげれば、正妃は元気だったが、妾姫は産褥で亡くなってしまったのだった。王は嘆いた。愛した人を息子と引き換えになくしてしまったのだ。だがしかし、実は妾姫の死には不審な点があった。子供を産んだ後は元気にしていたのだ。ところが容態が急変してあっけなく亡くなってしまった。後に誰かに毒を盛られたのではないかとか、そういった噂も流れたのだが、証拠はなく、すでに調べようがなかったので王の耳にも噂は入っていたが、どうしようもできなかった。だから、せめて息子は自分が母親の分も愛してやろう、大切に育てようと決心したのだった。
二人の王子は同日同時刻に生まれた双子のようなものだった。だが、矢張りここは正妃の産んだ王子が第一継承権を有するだろうということで、正妃の王子を兄とし、妾姫の産んだ王子は弟と定めた。そうやって二人の王子はすくすくと育っていった。第一王子は頭脳明晰容姿端麗な何処に出しても恥ずかしくない王子となっていった。幼い頃から帝王学を学び、父王に似て名君と謳われるようになるだろうという兆しは幼い頃から顕著だった。努力家で性格もとても穏やかで優しく、気の強い王妃とはあまり似たようなところはなかった。どちらかというと父王によく似ていたとも言える。
それに反して、第二王子であるジョーグフリートは、幼い頃からやんちゃ坊主だった。これはもう兄があまりにも出来の良すぎることが原因でもあっただろう。心の中では立派な兄だとは思っていても、周囲からことごとく比較されてきたのだ。特に酷い比べ方をするのが王妃であった。それから、二人の王子が生まれた頃から王宮内で出来た王妃や第一王子を支持する良識派からの陰湿な苛めにもジョーグフリートは遭っており、己の中でコンプレックスが蓄積されていったのだった。その彼を何とか支えてくれていたのが父王の愛情であり、ジョーグフリートを支持する親王派だった。親王派は、偉大なる王が心から愛した姫の息子であるジョーグフリートこそを皇太子にと願っていた。もちろん、それだけでジョーグフリートを皇太子にとはならなかったのだが、ジョーグフリートもさすがに名君と謳われた王の血筋、ああ見えて王の素質は十分あった。やんちゃでひねくれ者ではあったが、根はとてもよく、義理と人情に厚く、人々に慕われる存在でもあったのだ。そんな王子を王の座にと願う者も多くいたのだった。特に彼の人気は軍人には多かったようである。だが、そういった親王派の存在を王妃は心から憎んでおり、本来ならば全ての者が自分の息子である皇太子に従わねばならぬところを、そのような醜態になってしまったのもすべてはジョーグフリートのせいであると決め付け、密かに彼を暗殺しようと企んだのだった。何度となく計画は実行され続けたが、いつもすんでのところで失敗に終わっていた。
ジョーグフリートは、子供の頃からそういった王宮での殺伐とした空気を嫌がり、頻繁に城を抜け出しては街へとお忍びで遊びに出ていたのだった。もちろん、そのお忍び先でも命の危険は何度もあった。だが、彼は、幼い頃からそういった身の危険は察知していたので、武道の鍛錬を怠らなかった。幸いにも親王派には軍人が多いので、彼らは王子の剣の上達に一役買ってくれていた。自分の命がかかっているのだ。それはもう必死にならざるを得ないだろう。それと、父王もそれとなく息子の警護を腹心の部下などにさせていたので、何とか今まで切り抜けてきたのだった。とはいえ、ジョーグフリートも武道の素質は十分あったので、そんじょそこらのならず者にやられるという心配もなかったのだが。しかし、時には毒を盛られることもあり、かわいそうに小姓など何人かはジョーグフリートの身代わりで死んでしまった者もいたのだった。
「いつか俺はこんなところから羽ばたくんだ。自由になるんだ!」
何時の頃からか、彼はそう思うようになっていった。
ところが、そんな一触即発な王宮で、とうとう最悪な出来事が起きたのだ。父王の崩御である。ジョーグフリートは十六歳になっていた。だが、この王の死は普通の死に方ではなかった。だんだんと良識派と親王派の対立が激しくなっていき、堪忍袋の緒が切れた王妃が、とにかく第一王子である息子を王の座に就けてしまおうということから、あろうことか、王の暗殺を実行したのだった。もちろん、王妃がやったという証拠はない。だが、誰が見ても明らかなことである。
ジョーグフリートは嘆いた。さすがに父王を殺されて、これは自分がここにいては、内乱にまでなってしまい、国が荒れてしまうと気づき、彼は国を出奔することを決意する。そしてし、それを兄だけには打ち明けた。
「そうか。行ってしまうのか」
「俺は兄さんのことを尊敬している。あんたには悪いが王妃はどうしても好きになれないし、父上を殺したのは王妃だと思ってるしな。証拠はねーが、あんな死に方するなんてそれしか考えられねーし。だがもうどうしようもねー。父上は死んじまった。俺がいちゃ内乱になっちまう。だから、俺は出て行く。兄さん、この国を頼む。父上の国だ。あんたならちゃんとこの国を治めてくれると俺は思ってる」
兄は弟の出奔を止めなかった。ここで止めた所でどうにもならないことを知っていたからだ。だから、せめて、弟が何とか無事にこの国を出奔できるように取り計らうことだけであった。
第一王子は弟の出奔後、無事に国王となったが、国王になって最初の仕事が王妃の処刑であった。国王が毒殺されたことは明白であり、その調査を新国王は淡々と執り行い、調べた結果、王妃が犯人であったという証拠も出揃い、それをもって、息子は母を処刑した。
後にそれを風の便りに聞いたジョーグフリートは、憎んでいた王妃ではあったが、なんと憐れな女だと思ったものだった。自分の息子のためにやったことで、己の息子に亡き者にされてしまうとは。それに、第一王子はあんな母親でも心から愛していたはずだ。王妃は自分の息子だけは心から愛して慈しんでいたのだから。ジョーグフリートは、兄が王妃を心から愛しているのを知っていた。だから、兄が愛する母親を殺さなければならなくなった時の気持ちを考えると身を切られるような思いをしたのだった。だがしかし、たとえ、自分がもし同じ立場だったとしても、恐らく自分にはそんなことは出来ないだろうと思ったものだった。
「ああいうのを泣いて馬謖を斬るって言うんだろうな。俺には出来ねーことだ」
「ジョー?」
「いや、何でもねーよ」
話の途中でジョーは呟いた。
「とにかく、彼は出奔して、やっと自由を手にしたんだ」
「一人で旅をしたのか?」
ゲクトの問いにジョーは答える。
「いや、一人じゃなかった。女がついてきたんだな、これが」
ジョーグフリートが街外れにやってきた時、そこにはマリアがいた。マリアは、子供の頃から彼がお忍びで街へと遊びに出かけていた頃に知り合ったのだった。いわゆる幼馴染というやつだ。実はマリアは城の軍に軍籍を置く父親の娘であった。最初の頃はジョーグフリートが王子であることは知らずに付き合っていたが、何時の頃からか、親王派の父親からジョーグフリート王子のことを聞き、どうやらいつも街にやってくる男の子は王子であると気づいたようだった。そして、それがわかってからは、彼女は自分も父親に倣って、王子を守ろうと決心し、剣を習い始めたのだった。ジョーグフリートとも手合わせをしたこともある。そして、彼女はめきめきと腕を磨いていき、街では彼女に敵う男は誰もいないほどにまでもなっていった。彼女は自分が王子を守るのだといきまいていたが、だが、それだけではなかった。彼女は子供の頃から彼を深く愛するようになっており、今回の出奔は、彼女にとって、これからずっと彼と一緒に生きていくチャンスでもあると思ったのだった。
ジョーグフリートが街外れに来た時、彼女は言った。
「やっぱり。そうだと思った。なんか最近変だなって思ってたんだよね。あんたこの国出ようとしてんでしょ」
「お前にはかんけーねーよ」
「あたしもついてくよ」
「なんで」
「だって、あんた、あたしがいないとダメじゃん」
「なんでだよ!」
「今だって、なんも旅支度してきてないじゃん」
「む…」
「ほら、これあんたの分」
彼女はそう言うと旅支度一式、ジョーグフリートに投げてよこした。
「それに、ちゃんとご飯作れんの?」
「う…」
「やーっぱり、あたしがいないとなーんにもできないじゃんか」
ジョーグフリートは何も言い返せなかった。それに、彼もまたマリアを気に入っていたので、一人旅より二人旅のほうがいいかと思ったことも確かだったのだ。
こうしてジョーグフリートとマリアの旅が始まったのだった。
ジョーグフリートとマリアの旅は順調だった。二人とも腕には自信のあった剣の使い手でもあったので、行く先々で用心棒やら傭兵やらと働き口はあった。おかげで生きていく糧は何とでもなった。だが、ジョーグフリートのやんちゃな性格は時にはトラブルのもとになったものだった。義理人情に厚い彼でもあったので、弱い者苛めがあれば後先考えずに助けに入ることはしょっちゅうだったし、曲がったことが大嫌いということもあり、己の私利私欲で村民を苦しめるような村長だの、貴族だのといった輩は絶対に許そうとはしなかった。そういったことで、いつも揉め事を引き起こしていた。もっとも、多少トラブルがあったにしても、彼は武道に長けてもいるので心配はなかったのだが、その強さのせいで慢心して、何か取り返しのつかない失敗をしてしまうのではないかと、マリアは密かに心配をしていた。
だがしかし、そんな彼だからこそ、彼女は彼を愛したとも言える。そういうこともあり、マリアはジョーグフリートを自分の命に代えても守り通そうと決心していた。それが自分の彼に対する最大の愛情だと信じて。
一方、ジョーグフリートのほうも、子供の頃からずっと一緒に過ごしてきたマリアを憎からず思ってはいたのだ。今のような旅をずっと続けていけたらいいと彼は思っていた。城にいるときは本当に息苦しく、自分のいる場所はこんなところではないと思い続けていた彼である。城を抜け出し、マリアと楽しくチャンバラをやっている時が一番楽しかったのだ。そんな生活をずっと望んでいた。だから、今、それをやっと手に入れることができ、彼は一番充実した日々を送っていたのだ。
(ずっと、このままマリアと一緒にいたい)
今までに見せたことのない優しげな表情を見せて、彼はマリアに視線を向けた。
「何?」
「いや、なんでもねーよ」
ジョーグフリートは慌ててそっぽを向く。
「変なの」
だが、マリアはクスッと笑う。
「おめーこそ何だよ。何笑ってんだよ」
「うん。ずっと傍にいるからね」
「何だよ、急に。傍にくんなっつってもおめーくっついてくんだろーが」
「あはは。そのとーり。あんたってば危なっかしくってしょーがないんだもん」
「ったく…そっちこそ、俺から見りゃー危なっかしいにもほどがあるぜっ」
「なによ、それー」
優しい時間が過ぎていく。彼らにとっては人生で最大の楽しい日々だったに違いない。いずれくる最大の不幸への序章のように、その幸せな時間はもっとも輝いていたのだった。
そう、その幸せな二人旅は終わりを告げようとしていた。最悪な終わりを。その日は天候も悪く、朝から雨が降り出しそうな天気だった。夕方あたりからぐっと辺りは暗くなってきていたので、彼らは急いで次の村落にたどり着こうとしているところだった。
「急げよ。雨が降り出す前に次の村につかねーといけねーし」
「わかってる。あんたも無駄口叩かずに黙って歩いて」
ジョーグフリートはムッとした顔を見せてから、前を向くと猛然と早歩きを始めた。そんな彼を見て噴出しそうになるマリア。と、その時、二人の目の前に何処からともなく忽然と現れた数人の男たち。そいつらが、彼らの行く手をさえぎった。
「誰だ、てめえら」
怒気を孕んだジョーグフリートの誰何に、男たちの一人が答える。
「昼間は恥かかせてくれたよな」
それを聞いた彼は「あーあの腰抜けかー」とからかい気味に言う。それを聞いて逆上する男。
「いい気になるなよ! オレの邪魔なんかするからだ。痛い目に遭わせてやる!」
その日の昼間、近くの村の居酒屋で昼食をとっていた時、その居酒屋の娘にからんでいる男がいたのだ。それを助けてやったところ、からんでいた男が「覚えてろ!」という捨て台詞とともに逃げ帰ったのだが、どうやらそいつが用心棒かなんかを連れて、ジョーグフリートに仕返しをしにきたらしい。
「ったくめんどくせーなー」
ジョーグフリートはめんどくさそうに頭をかく。
「でもま、相手になってやるよ。どこからでもかかってきな」
投げやりなその言葉に逆上した男たちは、一斉に剣を抜いて切りかかってきた。もちろん、ジョーグフリートの相手になるような輩はいないようだった。それは見ていても明らかで、勝負がつくのも時間の問題と思われた。
ところが、その油断がジョーグフリートの目を曇らせた。戦いに加わっていなかったさっきの男が、ジョーグフリートに気づかれないように背後にまわり、藪の陰に身を潜めて、そこからナイフか何かを彼に向かって投げつけてきたのだ。普段のジョーグフリートなら、そんなものにもすぐに気づいたのだろうが、矢張り慢心していたのだろう。自分に投げられたナイフにまったく気づいていなかったのだ。「危ない!」というマリアの声にハッと気づいた時には時既に遅しで、彼をかばったマリアの胸にそのナイフは深々と刺さってしまった。
「マリア!」
だが、男たちは待ってはくれない。次々と繰り出される剣にジョーグフリートは阻まれ、マリアを助けるどころではなかった。それからの彼はまるで鬼神のごとく切って切って切りまくった。マリアの倒れていく姿ばかりが彼の頭の中ではクローズアップされ、その怒りのまま剣をふるい、あっという間に辺りは死屍累々となっていたのである。
「マ…リア」
すべてが終わった時、彼はマリアの身体を抱き起こした。同時に雨が降り出した。二人に雨が降り注ぐ。
「なんで、こんなことに…」
「ごめん…ずっと傍にいるって言ったのに…あたし、もう…」
「マリア! しっかりしろ!」
彼女はまだ生きていた。だが、もう長くはないようだった。
「医者…医者に診せてやるから、だから、しっかりするんだ! 死ぬんじゃないぞ!」
「もういいの。あたしもうダメみたいだから…だから、聞いて…」
マリアは途切れ途切れに話し出した。彼が王子であると知っていることも、そして子供の頃から自分が彼を好きだったことも、出奔することも知り、これからは自分の命に代えても彼を守ろうと決心したことも、それが自分の彼に対する愛なのだということも、すべて。
ジョーグフリートは彼女の心すべてを聞かされ、茫然とした。そんなふうに自分を思っていてくれたマリアを心の底から失いたくないと思った。だが、死んでいく彼女を救うことは彼にはできない。どうすれば失われる命を救えるのか。仲良くしてくれていた小姓も身代わりに死んでしまい、さらに父王も死んでしまった。大切にしていたものたちがすべて自分から奪われていく。目の前で消えていくのを見ているしかない自分。それが嫌で、強くなりたいと思ったのに。なのに、今、一番大切な人を失おうとしている、なんと無力なんだろうと彼は思い知った。
死んでいく彼女にせめてもの言葉をかけてやらなくてはと、思うに至ったのはだいぶ経ってからだった。気づいた時には既に彼女は事切れていた。
「なんてーこった…俺、マリアに気持ち言ってねーよ…」
彼は激しく己を責めた。一言だけでよかったのに。「俺も愛してる」の一言をかけてやることも自分にはできないのか。何ということだ。
「俺のせーだ。俺なんかについてきたばっかりに。俺、お前に好きだって言ってねーのに!」
ジョーグフリートはマリアの身体を抱きかかえ叫んだ。
「誰でもいい!」
空を仰ぎ見る彼の顔に雨が降り注ぐ。
「俺の命を差し出すから、誰かマリアを助けてくれ!」
「いいでしょう。あなたの願い、聞き遂げましょう」
「誰だ?」
いつのまにか彼の傍に誰かが立っていた。
「僕はマリーと言います。あなたの願いを叶えに来た者です」
「おめーは神か?」
それを聞いたマリーは、クスリと笑う。
「そうですねえ。まあそんなもんでしょうかねえ」
ジョーグフリートは、自分の傍らに立って不適に微笑む男を値踏みするかのように睨みつけた。
ごく普通の若い男に見える。琥珀色の髪に同じ色の瞳、優しげな面には悪戯っぽい表情を見せて、好奇心の塊のようにジョーグフリートを見下ろしている。
「じゃあ、さっさと俺の命奪って、それでマリアの命を助けてくれ」
「まあまあ、そんなに慌てないで」
「何言ってんだよ。俺の願いを叶えにきたんだろーが?」
「願いを叶えることは叶えるつもりですけどね。その前に少しあなたとお話がしたいと思ったので、しばらく付き合ってくださいな」
「は?」
マリーの言葉に、思いっきり胡散臭そうな表情を浮かべるジョーグフリート。そんな彼の様子にもまったく動じることもなく、マリーは澄ました顔をした。
「さて、早速本題に入りますが、あなたはどうして自分の命を差し出してまでこの女を救いたいと思うのですか?」
ジョーグフリートは益々不審そうな顔をした。そんなことを聞いてどうするといった風だ。
「全ての人がというわけではないとは思いますが、自分の命の方を優先するものだと思うのですよ。たとえ愛する者が救われたとしても、自分が死んでしまってはどうしようもないとは思わないのですか? 救われた者にしても、もし、自分を救うために愛する者が命を落としたとしたら悲しむでしょうしね。結局は救った事でどちらも不幸になるとはあなたは思わないのですか?」
「…………」
ジョーグフリートは何言ってやがんだといった目つきでこのマリーという人物を見詰めた。そして、一言こう言った。
「あんた、人を愛したことがないのか?」
「失礼なことを。愛したことくらいありますよ」
「だったら、俺がしようとしていることだって理解できるはずだ。誰かを本気で愛したことがあるんだったらな」
「そうでしょうか。僕だったら、どちらも幸せになることが大切だと思うのですよ。僕があなたの立場に立ったら、失われてしまった命を惜しんだとしても、それでも死んでしまった彼女が愛してくれた自分を幸せにしようと思いますね。彼女は既に死んでしまっているのですから、人間である身ではどうしようもありませんからねえ。どうしようもないことを願っても無駄なことですから。あと、彼女以外をどうしても愛せないと言うのなら、潔く自決しますかねえ。そりゃもう生きていても意味はないですからね。ですから、あなたが既に死んでしまった女のために願いを口走っているのを見て興味がわいたのですよ、そのあなたの愛情というものに」
「お前馬鹿か?」
「なんだって?」
マリーがムッとした表情を見せた。その様子はまるで普通の若者のようだった。
「この女じゃねーといけねーっつう気持ち、お前にはわからないのか?」
「だから、そういう気持ちなら死ねよって言ったんですけどお…」
マリーは膨れっ面になってぶつぶつ言った。しかし、そんな彼の言葉など聞く耳も持たずといった感じでジョーはまくし立てる。
「そりゃ二人で幸せになるってーのが一番だよ。だが、それができねーとしたら、自分ではなく愛する女が生き続けてくれるっていうのが本当に愛するっていうことじゃねーか。そんなこともわかんねーでよくまあ神なんてもんやってるよな!」
「話の通じない人ですねえ。死んだ人に生きてもらうことはできないってさっきから言ってるのに」
確かに、マリーの言うとおりだった。ジョーグフリートの言うことはただの理想論だ。死んだ人間を生き返らせることはできない。死んだ人間を自分の命と引き換えに生き返らせてくれだなんていう願いは無駄なことなのだ。それは普通だったら叶わぬ願い事なのだから。だが、人というものは絶対不可能な願い事を、叶わないとわかっていても願いたくなる時があるものなのだ。そして、そういう気持ちをマリーは理解ができないということなのだろう。
「俺にはなーマリアだけなんだよ。大切なものすべてなくした。俺に残されたものはこいつだけなんだ。それを守るためなら俺は命なんかおしくねーよ。俺は信じてるんだ。俺の命さえ差し出せば、きっとマリアは助かるって。信じて信じて強く強く願えばきっと叶うって、そう思ったんだ。絶対マリアは助かる。いや、助けてみせる。必ず俺が。俺が、マリアをどんなことをしてでも救ってみせるんだ!」
ジョーグフリートは、今までマリアにも言ったことのないことまでも口走った。いつもなら照れてしまって言えないセリフだ。だが、興奮しきっていたのか、スラスラと彼らしからぬ言葉が飛び出していた。それを興味深く見詰めていたマリーだった。彼は実におもしろいものを見つけたと思っていた。なんだこの男は、と。こんな変わった奴は見たことがない、と。そして、マリーは何かおもしろいことでも考えついたのか、こう言った。
「わかりました。あなたがそこまで言うのならこうしましょう。一つ僕と賭けをしませんか」
「賭け?」
「そうです。この賭けにあなたが勝ったら、彼女の命を助け、そして、二人で暮らせるようにしてあげましょう」
「ほんとかっ?」
「ええ、本当です。でも賭けに勝ったら、ですよ」
「負けたら?」
「あなた方二人は永遠に逢い見えることはないということです」
「………」
ジョーグフリートは考え込んだ。だが、すぐに顔を上げると「どういった賭けなんだ?」と聞く。
「彼女捜しです」
「彼女捜し?」
「そうです。これからあなたと彼女は転生していくことになります」
「転生?」
「生まれ変わりのことですよ。人間とは限りません。家畜や植物にだって転生するかもしれませんよ」
「それで?」
「あなた方は百回転生を繰り返すことになります。そして、あなたは百回転生するたびに彼女を捜し出さなければなりません。百回の転生を繰り返し彼女をちゃんと捜しだす事ができたら、あなた方二人が一緒に過ごせるようにしてあげましょう。どうですか? やってみますか?」
「探し出せなかったらどうなるんだ?」
マリーは満面の笑みを浮かべた。だが、彼の瞳はまったく笑ってはいない。それを不気味に思うジョーグフリート。
「転生していくうちで、彼女を捜し出せなかった時は、賭けはそこでおしまいです。その時はあなたは賭けに負けたことになります。それは一回目かもしれないし、百回目かもしれない。けれど、彼女を捜し出せなければ全ては終わりになるのです」
「…………」
「それと、百回の転生でちゃんと彼女を捜し出せたとしても、捜し当てたその瞬間、彼女は死んでしまうことになります。死なないと次の転生ができませんからね。ですから、あなたは百回、繰り返し彼女の死をその目で見続けなければならないのです。それをあなたに耐えることができますか?」
「百回、マリアの死を…この苦しみを感じ続けろっていうのか…?」
ジョーグフリートの顔に苦渋の色が浮かぶ。それを満足そうに見詰める琥珀色の瞳。
「そうですよ。それくらい相手に対する愛情があなたにはあるんじゃないですか? 僕はあなたの願いを何でも叶えることができます。ですが、そのためには試練が必要だと思ってもいます。別にいいのですよ。賭けにのらなくても、あなたはこのまま己の人生を生きていけばいいのです。彼女の分も生きていけば。僕は止めません。ただし、少しあなたに失望するかもしれませんけどね。あなたの信念もそんなものだったのか、と。もっとも、僕などに失望されても痛くも痒くもないでしょうけど」
「…………」
ジョーグフリートは考え込んだ。どうすべきか。こいつの話に乗るべきか。だが、考えるまでもなかった。自分はマリアを助けたい。百回の苦しみがなんだってんだ。百回じゃねーか。それっくらい耐えてこそ男だ。
「百回耐えればいいんだな?」
「そうです。百回です。見事百回耐えることができれば、百回目の転生で彼女を捜しだした時、あなた方はずっと一緒に暮らしていけることになるでしょう。もちろん、百回目でちゃんと探し出せれば、なんですけど」
ジョーグフリートは即答した。
「わかった。その賭けのったろーじゃねーか」
「そのジョーグフリートは今でも転生を繰り返しているんだろうか」
「さあてな。どうだろうな。ただの昔話だよ。お前の歌を聞いて、俺もちーとばかしそういやそんな話があったっけなーって思い出しただけだ」
「そうか。でも、いつか二人が逢えればいいよな」
「ああ、そうだよな」
しんみりと二人がしているところへ「あっれー? ゲクトさん?」と頭の上から声が聞こえた。
ゲクトが見上げると、マンションの窓から薫が顔を出していたのだ。
「それにしても珍しいね、ゲクトさんがうちに来てくれるなんて」
「ああ、たまたま浜崎ヒカルに会ってね。それでジョーを君に届けるように言われたんだよ」
「そっか。ジョーってうるさいでしょ。特にあなたみたいなキレイな男の人なんて乗せることってほとんどないから。きっとギャースカうるさかったんじゃないかな」
薫は申し訳ないといった顔でそう言った。
「いや、そんなことはなかった。おもしろい話も聞かせてもらったしね」
「へー珍しいな。絶対悪態ついてるって思ってたんだけどな」
「ジョーグフリートの昔話を聞かせてもらったんだ」
「ジョーの?」
「いや、ジョーグフリートのだよ」
ゲクトの言葉に薫は何気なくといった感じで答える。
「ああ、そっか。ジョーの本名知ってるのって僕だけだったんだ。僕が話したって内緒だよ。ジョーの本名はジョーグフリートって言うんだ。僕と初めて会った時に、俺はジョーグフリート、ジョーって呼んでくれって言ってたから」
「…………」
ゲクトはその話を聞いて深く考え込んだ。それでは、あの話は本当のことだったのか。しかもジョー本人の身の上話だったんだ。
「ゲクトさん?」
「ごめん。また来るよ。今度はもっとゆっくりお邪魔する」
せっかく薫がコーヒーを用意してくれたのだが、ゲクトは急いで薫のマンションを出た。そして、自転車置き場に行くと、ジョーに話しかけた。
「ジョー」
「何だよ」
何かを感じたのか、ジョーの声はひどく真剣だ。
「まだ彼は彼女に逢えないんだな」
「ああ」
「今何回目の転生なんだろうか」
「さあな。何回目だろうな」
「そっか…人間に転生するってわけでもないんだったよな」
「しかも、次元も空間もなんもかも無視した場所での転生らしいぜ」
「大変だな」
彼の言葉に思わずジョーはこう呟く。
「おお、そりゃもう大変だぜ。いつだったかは蚊なんてもんに転生しちまいやがってよ、叩き潰されようとした時にやっとその相手がマリアだとわかった途端、彼女は他の蚊に刺されてマラリアであっけなく死んじまうし。ドラムに転生した時なんかは、毎日毎日叩かれ続けて脳震盪起こして死にそうだったしなあ…ったくマリーの奴の根性が知れるってもんだ…」
「ジョー?」
「あ、いや、その…何だ、もう慣れっこになったんじゃねーか?」
「そうか」
ゲクトはなんと言っていいかわからなかった。そんな運命にもし自分がなってしまったら…。
「辛くはないのかな」
「そんなことはねーと思うぜ。案外楽しんでるかもよ。つーか、楽しまなきゃやってらんねーだろ。そういう人生を楽しめなかったら、とっくにおっちんじまってるんじゃねーの?」
「そういうもんなのかな…だが、自分にはとても…」
「そんなことはねーんじゃねえの?」
「え?」
ゲクトは驚いてジョーを見た。
「おめーあの歌を作っただろうが。それはおめーがジョーグフリートと似たような魂を持っているからなんじゃねえかな。そんなおめーだ。きっと似たようなことになっても、それを己の運命と受け入れて生きていくだろうと思うぜ」
ゲクトはジョーが言うことを本当だろうかと思ったが、しかし、男とは己の運命から逃げては駄目なんだという気持ちは確かに持っていたし、今までにもそうやって自分は生きてきたんだと思うと、確かにジョーの言うことは信じられそうだと気づく。
「またあんたに乗りにきていいか?」
「おう、また来い」
それからゲクトは真っ直ぐに自宅に帰ると一心不乱に楽曲作りに没頭した。そして、出来上がった曲が『Dears』だった。
降り続く雨の中で信じた
いつか君に逢えるだろうと
いつか雨は止み
微笑んだ君が其処にいるだろうと
失った笑顔にかけて
僕は必ずたどり着くと
誓って歩く
どんなに傷付いても
どんなに涙流しても
この手に抱いた夢だけは手放さない
この僕の声が
何処にも届かなくても
誰にも届かなくても
僕は天に向かって叫び続けるんだ
僕を待ってくれる人たちのために
それは君の笑顔が忘れられないから
いつか巡りあう君の優しさを忘れてないから
僕は永遠に歩き続ける
Dears
永遠に
新曲『Dears』についてゲクトはこう語った。
「僕がこうやって歌い続けられるのも、いろいろな人々のおかげだと思ったんだよね。僕を愛してくれた人たち、僕を応援してくれた人たち、僕が知ってる人、僕が知らない人、現在生きてる人、死んでいった人たち、そんないろんな人たちが僕という存在を支えてくれているんだ。その気持ちを表現してみたかった。それがひとつ。あと、ある人の人生を聞いて、大切な何かを失っても、きっとまたいつかなくしたものを手にすることができると信じていれば、人は強く生きていけるって思ったんだよ。でも、強く生きていくには、やっぱり心の支えは必要だ。それは一人一人違うはず。それをみんなには考えて欲しいなって思ったんだ。失ってから後悔しないためにも」
「いつかなくしたものを手にする、か…」
ジョーは呟いた。そう呟いた彼の心の中で、優しい笑顔の一人の女の顔が浮かんだことだろう。もうどれくらいの時が過ぎたのか。それはそれは遥かに遠い昔のこと。だが、どんなに時が移っても、彼の胸には鮮やかに蘇る愛しい人の姿だった。
「俺はぜってー忘れねー。おめーのことを…いつかぜってー見つけてやるぜ……マリア」
初出2009年7月9日(木)
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