第8話「ジョーのごんぎつね 新美南吉に捧ぐ」
「あ、これヒカルちゃんの歌のオルゴールだ」
マンション前でタクシーを降りた薫。
待ちきれなかったのか、手に持っていた包み紙を開ける薫。
それはどうやらファンの子からもらったプレゼントだったらしい。
「けど、なんでヒカルちゃんのオルゴールくれたんだろう」
薫は首を傾げてガラス製の小さなオルゴールを見つめた。
だが、まんざらでもないような表情で、
「ま、いっか…ヒカルちゃんの歌っていいもんね」
とその時。
「おいっ! 薫っ!!」
「ひっ…ああっ!!」
突然のジョーの大声に、思わず手からオルゴールが落ちた。
──カッシャァァァァァン………
繊細な細工のオルゴールだった。
それはコンクリートの上で粉々に砕け散った。
「ジョー!!」
薫はダダダッと自転車小屋まで走ると、
「どーしてくれるのっ、ファンからもらったオルゴールが粉々になっちゃったじゃないかっ」
「ふっ…何言ってやがんだ。お前がちゃんとしっかり持ってなかったからだろ」
「あんなふうに急に大声出したら、誰だった驚くよ。どうするんだよ、ヒカルちゃんの歌のオルゴールなんだよ」
「う……うるせー、形あるものはいつか壊れる……」
「知らないっ、今日はもう僕に話しかけないでくれよっ!」
「……………」
さすがのジョーもそれ以上何も言えなくなってしまった。
ただ、マンション内に走り去る薫を黙って見送るだけだった。
後には砕け散ったオルゴールが残されるのみ。(つか、薫くん、片付けていけよ)
次の日の夕方、薫とヒカルが一緒に戻ってきた。
「やっぱり秋っていったらマツタケよねぇ」
「うん、そうだよね」
ヒカルの言葉にニコニコ答える薫。
「でさ、マツタケっていったらやっぱ土瓶蒸し~」
「そうだけど、僕土瓶蒸しなんて食べたことないよ」
「えー、薫クン食べたことないの?」
「うん。ヒカルちゃんは社長のお気に入りだから奢ってもらうことあるだろうけど、僕のギャラじゃね、食べたくても食べれないよ」
二人はそう話しつつ、ジョーがいる自転車小屋まで辿りついた。
「ねーねー、ジョーちゃん。薫クンったらマツタケ食べたことないんだってー」
「ふーん」
「?」
ヒカルは首を傾げ、
「どうしたの? なんか元気ないみたいだけど?」
「別に、何でもないぜー」
「いいよ、ヒカルちゃん。ジョーなんてほっといて、さ、部屋に行こう。おもしろいビデオ借りて来たんだ」
「うーん……やっぱいい、なんかジョーちゃんが元気ないと、あたしまで元気なくなっちゃう……あたし、もう帰る」
「そっ、そんなぁ~」
かなり残念がっている薫であった。
またしても、ジョーのせいでついてないと思う薫。
踏んだり蹴ったりだと心で悪態をつく。
だが、ジョーが怖いので、とりあえずは顔に出さないようにした。
それから更に次の日。
薫はオフだった。
昨夜淋しく一人で見たビデオを返しに行った。
その後街を散策しようかと思った彼だったが、どうも気乗りせずにマンションに帰って来た。そして、ジョーにも声をかけずにマンション内に入ろうとしたところ、ジョーが。
「薫、山行くぞ、山」
「ジョー」
薫はホッとしてジョーに駆け寄った。
この間のことで少し気まずい雰囲気となっていた二人である。
ジョーはどう思っていたか知らないが、薫のほうは「ちょっと言い過ぎたかな」と反省していたのだった。
確かに自分もちゃんと持っていなかったから落としてしまったんだし、ジョーだけが悪いってわけじゃない。
けれど、どうも謝るきっかけがつかめなくて。
こうやっていつものように声をかけてくれた。
よかった。
また元に戻った───が。
「え? 山??」
薫は自分の耳を疑った。
「そうだ、山だ。今から行くぞ」
「えっ、えええええ───!?」
やっぱり、これは嫌がらせなんだろうかと、こっそり思った薫であった。
「で、なんで皆さんもついてくるんですかぁぁぁ??」
「や、薫の旦那。すいやせんねぇ、水入らずのデートだってーのにあっしらがついてきて」
とりあえず山登りの用意をしてきた薫を待っていたのは、ジョーの舎弟たちだった。
「こいつらのことは気にするな」
「気にするなって言ってもぉぉぉ」
そう。
ジョーに乗り、道路を走らせ始めた薫だったが、舎弟たちもそれぞれのスクーターに乗って薫とジョーをビッシリと固めて走っているのだ。
まったく、目立ってしょうがない。
道行く人々は何事かと見つめている。
「ジョー、こんなに大人数で走ってるとみんなが注目するよー。恥ずかしいよー」
「芸能人は注目されてなんぼのもんだろーが」
「でもぉ~」
「でももへったくれもねー」
と、グダグダ話しているうちに山についた。(はやっ)
そこはそれほど高い山というわけではなかった。
季節柄、紅葉も始まりなかなか風情があっていい眺めだった。
「ふー、やっぱ自然はいいよなあ」
薫たちは駐車場にスクーターを停めた。
「いいか。ドジ踏むんじゃねーぞ」
「へぇ、親分」
ジョーと舎弟たちがこそこそ何やら小声で話している。
そこへ薫がやって来て、
「ジョーどうしたの?」
「なっ何でもねー。俺は、ちーっとばかし疲れたんで、ここにいるが、おめーちっとそこらへんを歩いてこねーか?」
「うん、そーだね。ちょっと紅葉眺めて命の洗濯してこようかな?」
薫はそう言うと歩き出した。
その後ろで舎弟たちがまたもこそこそ。
「では、親分、あっしらはこれで……」
「おおっ、頼んだぞ」
「へいっ」
そんな彼らを、歩き出そうとした薫はそっと振り返って首を傾げて見る。
「なんか、ヘンなの」
それから薫は木々の生い茂る遊歩道をゆったりと歩いていた。
「うーん、いい気持ちだ。何年振りかなあ、こんなに落ちついた気分になれたのは」
大きく伸びをして深呼吸し、だいぶ冷たくなってきた山の空気を胸一杯吸い込む。
とそのとき。
──ガサガサガサ…
歩いている道の近くの茂みから、ジョーの舎弟の一人が急に出てきた。
「わっ!」
思わずびっくりして飛び退る薫。
舎弟の身体には木の葉や何やらがくっついていた。
「ど、どうしたんですか? 何か探し物ですか?」
「な…なんでもねーです、気にしないでくだせぇ」
そう彼は言うと、再び茂みへと飛び込んで行った。
「?」
それを怪訝そうな表情で見送る。
すると、あっちからこっちから、ガサゴソという枯れ葉を掻き分ける音が聞こえだした。
「そっちは……?」
「いや、こっちには……ぞ……」
「早く……探すん……急げ……」
「向こうは…?」
途切れ途切れの囁き声があちらこちらから聞こえてくる。
さすがの彼でも、これは何だかおかしいぞと思い始め、急いでジョーの元に戻る。
「ねー、ジョー、僕に何か隠して……」
そう言いつつ、ジョーに近づいたとき、
「てーへんだっ、親分っ!」
ダダダッとばかりに駆け寄ってきた舎弟に、薫は押し退けられてしまった。
「松の野郎が山の管理人に見つかっちまった!」
「ちっ…」
大きく舌打ちするジョー。
「しょーがねーな。すぐ召集かけろっ、ズラかるぞっ!」
「へいっ!」
慌てて駆けていく舎弟。
それを呆然と見送っていた薫だが、はっと我に返りジョーに近づいた。
「ジョー、何隠してんだよ。何してるか僕にも教えてよ」
「お前にゃカンケーねーこった」
「もう、また僕を仲間はずれにして」
薫はブーっと頬を膨らませた。
「それより、もう帰るぞ、薫」
「えー、まだ来たばっかりじゃないか」
「帰るったら帰るんだ。さっさと乗れっ!」
「まったく………」
薫は渋々ジョーにまたがった。
ほどなくして、舎弟たちも全員揃い、再び彼らは怪しげな集団となって帰っていったのだった。
ただ、舎弟たちの身体に枯れ葉がたくさんくっつき、手は土で汚れていたのだけが来たときと違っていたのだが。
そして、マンションに帰り、舎弟たちがジョーに挨拶をし解散した。
そんななか、舎弟の中でもリーダー各の男にジョーが「今夜また行くぜ」と言っていたということは、すでにマンションに入ってしまっていた薫は知らないことであった。
その夜、果たしてあの山で何が繰り広げられていたかは、神のみぞ知るといったところ───だが。
明くる日、朝陽がカーテン越しに差し込む薫の寝室。
「ん?」
薫は何やらいい匂いで目が覚めた。
ふと枕元に目をやると、そこには籠一杯に入ったマツタケが。
「ええっ!! これマツタケだっ!」
眠気もいっぺんで吹っ飛んだ薫。
ガバッと飛び起きると、籠をマジマジと見つめる。
「な……なんでこんなところに?」
薫は不思議に思い、カーテンと窓を開けた。
すると、何やら下のほうでガヤガヤと人々の声が。
慌てて着替えて下へ出てみる。
見ると、マンションの住人たちが集まっていた。
「どうしたんですか?」
「おお、木村さんですか」
声をかけてくれたのはマンションの管理人だった。
「明け方不審人物がマンション内をうろついてたんですよ」
「不審な人物?」
「それでですね──あ、503号室の山本さんって知ってます?」
「山本さん……ああ、あのミリタリーマニアの人ですよね」
「そうそう。その503号室の山本さんが自慢のエアガンで撃退したっていうじゃないですか」
「ええっ、エアガンっ??」
薫がびっくりしてそう言うと、いかにもヲタクっぽい男が近づいてきて、
「そーなんですよー。僕の自慢の銃なんですよー」
そう言いつつ、彼は手に持ったエアガンにすりすりと顔をすりつけた。
「この銃はね、1分間に三千発も撃てるんですよ、充填するガスはね、オゾン層を破壊しない窒素ガスを使っててね……………………………………………なんですよお」
もう彼は自分の世界に入っていた。
「でっでも、あっ、危ないじゃないですかっ」
薫が抗議すると、山本は陶酔した表情で答えた。
「ああ、大丈夫です、プラスチック製のBB弾ですから致命傷にはなりませんよ。ただ、しばらく痣が残るかもしれませんねぇ」
そう言うと山本は薫にニヤリと笑いかけた。とことん危ない奴だった。
「…………」
どっちが不審人物なんだか…。
薫はゾッとして人々の輪から外れ、ジョーのいる自転車小屋に向かった。
すると、そこには一人の舎弟がいた。
「親分……打たれちまいやしたぁ……」
「よくやったぞ。お前の働きはしかと心に刻んだ……」
二人が何やらこそこそ話していたところを、薫が近寄り声をかけた。
「ジョー?」
「うおおおおっ??」
「ひぇぇぇぇっ??」
ジョーがあまりにも仰天した声を上げたので、薫も文字通り飛びあがって驚いた。
「おっ、驚かせるないっ、なっ、何だ、薫!」
「そっ、そっちこそ、大声上げないでよ。あれ、松さんじゃない?」
「あっ…おっ、俺、もう帰らせていただきやすっ、親分っ、薫の旦那っ、ではっこれでっ!」
「おっ、おうっ、気いつけてな」
慌てて松は飛んで帰ってしまった。
薫はそんな舎弟を呆然と見送った。
それから、ジョーに話しかける。
「なんか、昨日からジョーってば変じゃない?」
「何がだ」
「うん。舎弟のみんなとなんかこそこそしてさ。それに、なんか明け方不審者が出てガンマニアの住人が撃退したって言ってたけど……あ、もしかして……」
「なっ、なんだよ……」
「ねえ、松さん何しに来てたの、こんな朝早くに」
薫はジョーの顔色を窺うように慎重に聞いた。(顔色って?)
「何でもねーよ」
「…………」
薫はさらに聞く。
「ねぇ、僕の枕元にマツタケが置いてあったんだけど、あれ松さんが持ってきてくれたんじゃない?」
「まさか、なわけねーだろ」
「…………」
ますます怪しいと思う薫。
だが、こういう時はもう何を聞いたってジョーからは聞き出せないということは十分過ぎるほどわかっている薫だったので、もうそれ以上は追求はしないでおこうと思った。
「ジョーも食べられたらいいのにね」
「俺に気がねなんかいらねーぞ。土瓶蒸し食べてーって言ってただろ。あれだけありゃいっぱい食べれるだろーが」
「…………」
薫は思わず吹き出しかけた。
(ジョーってば、それってモロ自分が持ってきたって言ってるのと同じじゃん)
だが、すんでのところでガマンした薫だった。
やっと機嫌がよくなってきたところをまた不機嫌にさせるのもなんだし。
それでも薫はどうしても言いたくて、笑いをこらえながら、
「でも、いったい誰があんなにたくさん持ってきてくれたんだろうなあ」
すると、ジョーが一言、
「ごんぎつねだろ」
薫は、どこかでコーンというキツネの声を聞いたような、そんな気がした。
秋はこれから冬へと変ろうとしていた。
そんな晩秋の一日であった。
初出2002年10月28日
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