第5話「ジョーのジョーが消えた日」
その日は朝から木枯らしが舞い、空には南へと飛んでいく鳥たちの群れが見えた。
「鳥たちも旅立っていきやがったなぁ…俺はここにどれくらい居座ってるんだっけ。旅から旅を続けていた俺なのに……」
秋晴れの空を眺めながら、ジョーは物思いにふけっていた。
「風来坊はひとつのところに長くはいられねーんだよなぁ。また旅にでも出ようかな」
「ジョー、おはよー」
薫はその日、すこぶる機嫌がよかった。
久々に大きな仕事が舞い込んだからだ。
新春から始まるドラマの主役。
今日はこれから顔合わせなのだが、マネージャーが車で迎えに来てくれたのだ。
それで、いつものように朝の挨拶をジョーにして行こうと思ったのだった。
「ジョー?」
「………」
返事がない。
おかしい。
いつもなら、ちゃんと返事してくれるはずなのに。
「待てよ」
そういえば、いつだったかもジョーが返事(笑)してくれなかったことがある──と彼は思い出した。
「そっか。つかれてぐっすり眠ってるのかもね」
薫は、それほど深く考えずに呟き、ジョーのボディに、もう一度だけ声をかけた。赤白のツートンカラーに。
「ゆっくりおやすみ、ジョー。僕は仕事に行ってくるね」
彼は、ジョーの冷たいボディを優しく触ろうとして手を伸ばしたが、躊躇した。
以前、そうやって親愛を示そうとしたら「女のケツなでるみたいに触んじゃねー」と凄まれたことがあったのだ。
「………」
それを思いだした薫は、やっぱりやめとこうと手を引っ込める。
触らぬ神に祟りなし──だ。
薫は苦笑し、頭をかきながら表で待ってるはずの車へと駆け出して行った。
空は、秋特有の鱗雲が広がっており、これから寒くなっていくことを世界に教えているようだった。
そんな穏やかな秋、自転車小屋でスクーターのジョーはひっそりとたたずんでいた。
それは、どう見ても当たり前なバイクであり、とても喋り出すとは思えなかった。
そして、赤白のボディは朝日にキラキラ輝き、まるでたった今購入してきたばかりのような輝きを見せていたのである。
ところが───
「ジョー、ジョーってば!」
その夜、帰ってきた薫は、さすがに顔色が変わっていた。
ジョーにかける声にも、あきらかな動揺があらわになっており、今にも泣き出しそうだ。
「どうしよう、ジョーが全然返事してくれない」
薫は半分パニクっていた。
もう、罵られようが怒鳴られようがかまやしない。
なでるどころか、叩いたりゆすったりして、かまわず大声で叫ぶ。
「ジョー、ジョ~~~~~!!」
日ももうとっぷりと暮れ、マンションの窓にもポツポツと灯りがつき始めていた。
ここらへん近辺の住民は、ジョーの存在を知っていて、しかも、いやというほどジョーの怖さを身にしみて理解しているので、ジョーが、あるいは薫が騒いでいたとしてもみんな知らん顔だった。
諦めているというのが本当のところなのだが、それでも、付近の暴走族たちがこのマンションの半径50キロあたりだけは静かにしているということもあって、何も言えないでいる。実は密かに感謝してたりもするのだ。
以前は、近くに大きな国道もあって、暴走族が毎晩のように大きな爆音を立てて徘徊していたので、そのころに比べたら静かなものなのである。
そんな静かな宵闇の中、薫はジョーの傍に座り込み、呆然としていた。
「ほんとにいなくなったんだ?」
彼は放心して呟いた。
いつか、いつかこんな時が来るんじゃないかと思ってた。
『おれ? おれはジョーグフリート』
『ジョーグフリートだって?』
『ジョーってよんでくれ』
初めて出会ったあの日のこと。
忘れない。
あの頃の自分は、何も目標もなく、ただ漫然と生きていた。
これといって取り柄もない。
何か強くしたいと思うこともない。
女の子にも声をかけられず(今でもそれはあまり変わってないけれども)、男としてのプライドもまったく持ち合わせていなかった。
そんなときに、彼は電光石火のごとく自分の前に現れた。
「僕にとって、ジョーは憧れだったのかもしれない」
薫は呟く。
いろいろと生活をかき回されてはいるけれど、それでも、以前のように無気力な自分ではない。
『男はな。どんな戦いでも死ぬ覚悟がなきゃーいけねーんだ。それくらいの覚悟で戦いに挑まなきゃなんねーんだよ』
ジョーにはなぜか男っぽさを感じてしまう。
よくよく考えてみたら、ジョーってやつはいったい何モンなんだろう。
元は人間なんだろうかとか。
本当は神様なんじゃないだろうかとか。
妖精?
いやいや、そんなかわいいもんじゃないだろう。
でも、はっきりしているのは、ジョーという人格は確かに存在してて、たとえ彼が人間でなかろうが、猫又のような妖怪だろうが、そんなことは関係なくて、人々の暮らしを引っ掻き回しはするけれど、それでも人々の忘れ去っていた何かを思い出させてくれる──そんな生きるための力を与えてくれる存在なんだということ。
それが大事なことなんだと、薫は思ったのだった。
「だから…だから…こんなに急にいなくなっちゃわないでよ。そりゃ、いつまでもいてくれなんて言えた義理じゃないけれど、せめて消えるにしても最後の挨拶くらいしてってよ」
薫は、とうとう我慢できなくなって、じわわわわ~と涙を目にため始めた。
と、そのとき。
ぱるるるるるるるる──────
「??」
どこからともなく聞こえてくる聞き覚えのあるエンジン音。
あれは──あれは──
「ジョオォォォォォォ???」
薫はぴょんと飛びあがった。
そこへジョーと同じツートンカラーのスクーターがやってきた。
それには浜崎ヒカルが乗っていた。
「えっ? ヒカルちゃん??」
「たっだいまー、薫くん♪」
「よー、今帰ったぜ、薫」
スクーターがジョーの声で喋り出した。
薫は口をあいたまま、自転車小屋にあるジョーとヒカルの乗っているジョーを交互に見た。
「ジョー? じゃあ、ここにいるジョーはいったい??」
「なに寝ぼけたこと言ってやがる。俺はここにいるぜー。ヒカルと二人っきりで小旅行してきたんだ」
「そぉーよぉぉ?」
ヒカルの笑顔がまぶしい。
すっかり日は暮れてしまい、もう夜になっていたが、街灯で照らし出されたヒカルはやっぱりかわいいと思った薫であった。
(いや、そんな場合じゃない)
薫は無理やり意識を戻した。
「だって…だって、ここにいるジョーはいったい誰なんだ?」
薫は自転車小屋に置いてある、ジョーそっくりのスクーターを指差した。
それを見たヒカル。
なんでもないことのように言った。
「あ、それ、あたしのー」
「へ?」
薫は一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「あたしのって……ヒカルちゃんバイク持ってなかったでしょ?」
「あ、あたしね、この間ジョーちゃんそっくりなの見つけちゃって、で、欲しくなって買ったんだー」
「へ??」
「だー!! うっとーしーやつだな!!」
ジョーがイライラしたように怒鳴った。
「よーするに、薫よ。お前、そこのやつを俺と勘違いしてたんだろーが? バッカじゃねーの。ナンバープレート見りゃ一目瞭然じゃんか。おめー、ほーんっとにバッカだな!」
「…………」
なんだかものすごくムカムカしてきた薫だった。
なんだ。
心配してソンした。
あれだけ心配したのに、そんな言い方ないじゃないか──と。
「でね、薫くん。ジョーちゃんそっくりのを買ったんだけど、どーも乗り心地が悪くてさー。んで、やっぱりジョーちゃんがいいわーって思って、遠出したの」
「だったら、一言言ってくれれば……僕心配したんだよ……」
「だーーー!!」
ジョーが叫ぶ。
「おめーは、それだからいけねーんだよ。別にいいじゃんか、黙って遊びに行ったってよ。いちいちおめーに断っていかにゃならんってことねーだろ?」
「でも、心配するじゃない。もしかしたらどっか行っちゃって、戻ってこないんじゃないかって……」
「薫……おめー……」
「な、なにさ……」
ジョーの意外に優しい声に、ちょっと気恥ずかしく思う薫であった。
だが、ジョーの次の言葉は。
「何バカなこと言ってんだよ。頼まれたってどっかに行くなんてこたーねーよ。ちょっと旅に出たくなったから、ドライブしてきただけでい。それとも何か? 俺に本格的に旅に出てほしかったのか?」
「そ、そんなこと…言ってないじゃない…」
ちょっとホッとする薫であった。
(え……?)
しかし、すぐにそういう自分に驚く。
自分はやはりジョーがいてほしいと思っているのだろうか、と。
あれだけ迷惑をかけられているのに?
(でも……)
薫は自分の気持ちに素直になろうと思った。
どんなに迷惑をかけられようが、ジョーがいなかったら今の自分はいない。
昔のような女の腐ったような自分───
『男は、どんな困難なことにも立ち向かわなければならない』
これは、この間見たアクション映画で主人公が言ってたセリフ。
感動した。
自分もこんな男になりたいと思った。
これも───ジョーと付き合うってことも──その困難を打ち勝つための試練なんだ。
(だったら、あえて自分は困難な道に飛び込もう)
そう誓う健気な薫であった。
「で、ヒカルちゃん」
ちょっと感動に酔いしれている薫は、上機嫌に軽い気持ちで聞いてみる。
「まるでジョーの兄弟みたいだよね。このバイクにも名前なんてつけちゃったりして?」
「あらー、薫くん、めっずらしー。カンが冴えてるじゃない?」
ヒカルはにーっこり微笑むとこう言った。
「ジョーの弟分だからもちろん……」
「もちろん?」
「もちろん、“ワンダ”よ!」
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