第2話「ジョーのあっちょんぶりけ」

「いてぇ」

「え?」

 薫は手をとめた。思わず手にした布が下に落ちる。

「あ、いけない」

 彼は慌ててそれを拾い、再びジョーの身体を磨きはじめた。

 そうしておいてもう一度聞く。

「何か言った?」

 ゴシゴシ───

「腹がいてぇ」

「ええっ?」

 今度は驚きの声を上げる薫。

「ど、どうしたの? 腹が痛いって?」

「どうしたもこうしたもねーよ。腹が痛いっていやあ腹が痛いに決まってんだろーがっ」

 大いに不機嫌そうなダミ声だ。

「だ、だって…」

 すっかり薫はオロオロしている。

 両手で布を握りしめ、泣きそうな顔でジョーの紅白色のボディを見つめる。

「ちっ…ったくおめーも変わりゃしねーな。アイドルになってチヤホヤされて、またさらに甘ちゃんになっちまったんでねーの?」

「…………」

 今度は薫がふくれる番だった。

 そう───あの『奇跡の生還』を果たしてから木村薫の身辺が、にわかに華々しくなったことは間違いなかった。

 だが、うつろいやすい芸能界のこと。最近では薫の人気もさっぱりであったのだ。

 だから、このジョーの一言は痛烈に薫の心に突き刺さった。

 だが賢明にも自分の胸の内など明かすことなく彼は言った。

「それよりジョー。腹痛って、どこがお前の腹になるんだよ」

 そして、彼はさも心配しているといわんばかりにジョーのボディを眺め渡した。



 スクーター・ジョー───

 彼が木村薫を助けるために己を犠牲にしたことは、すでに世間でも有名な美談として知れ渡っていた。

 当時は、もちろんスクーターに魂が宿っているということは誰も知らないことであったが、薫が新しく買ったスクーターにジョーの魂が舞い戻ってきたあと、少なくともジョーと係わり合いになった人々には知れ渡ることとなった。

 それはまあ仕方のないことであろう。

 なんといってもジョーは物凄いお喋りであるからだ。黙っているということが出来ない奴なのである。

 したがって、薫の所属する芸能プロダクションの人々、そして薫の住むマンションの住人たち、そしてジョーを購入したバイク屋などは必然的に知ることになる。

 そして、それだけ知っていれば、まあほとんど知らない者はいないといってまず間違いないだろう。

 もちろんそうなると、マスコミ関係にはバレバレであるし、そうなるともう全国の人々に知られてしまうのも無理ないと言わざるをえない。

 最初は抵抗のあった薫であったが、これ幸いといった具合に楽しんでいるジョーを見てまたこれも自分の人生だと達観したらしい。

 そんなこんなで薫とジョーは、それなりに平和な日々を送っていたのだ。

 ジョーが「腹が痛い」とこの時言うまでは───



「どこがって…腹っていやあ腹なんだよ」

 だからどこが───と、さらに突っ込みを入れたかった薫であったが、もともとバイクのことに詳しくない彼のこと。お手上げだといわんばかりに両手を上に向けた。

「僕じゃわかんないよ。ね、病院いこ」

「イ・ヤ・ダ」

 一語一句区切ってジョーは言った。

「そんなこと言わずにさ」

 また始まったという感じで、薫は苦笑しながら続ける。

「ほっといたら大変なことになるかもしれないよ。検査してもらって何ともなかったらそれでいいんだし。もしかしたらどっかネジでも外れてるかもしれないしさ」

「いやだったら、いやだ!」

「そんなこと言わないでさー。どうせ点検とかだって受けなきゃなんないんだし、ついでに診てもらおうよ」

 薫は何とかジョーをなだめようと必死だった。

「俺はぜってー行かねーぞっ!」

 スクーター・ジョー───

 彼の一番苦手なものは、『病院』───世間で言うところの『バイク屋』であった。



 そのバイク屋は新品のジョーを購入したところだった。『黒見モーター』という店名で薫のマンションの近くにあった。

 もう何十年もバイク屋をやってるといった感じの小汚いちっぽけなバイク屋だったが、ここのおやじがなかなかの腕前であるとの評判で、けっこうな繁盛をしているということだ。

「ワシに治せん患者はおらん」

 おやじはいつも口癖のようにそう言う。

 その昔、ワークスチームのメカニックをやっていたという噂も聞く。

「ワシのこたぁポップと呼んでくれ」

 初めて来る客には必ずこう言う。

 薫もここにジョーを買いにきた時に言われた。彼には何のことかわからなかったが、それが若いころのおやじさんのあだ名だということだ。


「バイク屋界のブラックジャックだとよ」

 いつだったか点検したあと、ジョーが苦々しげに言ったことがあった。

「ブラックジャック?」

 薫がキョトンとした顔で聞き返すと、馬鹿にしたようにジョーは言った。

「おめー手塚治虫大先生の名作を知らねーのかっ?」

「知らないよ、そんな人。だれなの?」

「ばかやろぉっ!」

 唾でも飛んできそうなほどの勢いでジョーは叫んだ。(あくまで、飛んできそうな、である)

「マンガ界の教祖とでもいうべき偉いお方なんだぜいっ。ちゃんと勉強しろい!」

 薫はムスーっとした表情で言い返す。

「なんでバイクのあんたがマンガのこと知ってんだよ」

「ふん。この世で俺さまが知らねーこたぁねーんだよ」

「そんなもんですかね」

(まったく…ジョーってやつは不思議なやつだよ)

 薫は、あの時のジョーの得意気な喋り方を思い出しながら苦笑した。


「腹がいてぇだと?」

 スパナを手に持ち、ギロリと睨みをきかせるポップ。

 ゴマ塩頭は角刈りで薄汚れた手拭いを捩り鉢巻している。上下のつなぎの作業服は、もとの灰色がわからなくなるほど油まみれで真っ黒だ。もちろん顔だの手だのも服と同じく油まみれで黒い。といっても、もともとこのおやじ、色黒であるからそうたいして変わりはしないのだが。

 そして顔の中央を走る傷痕が、このおやじの顔をさらに恐いものにしていた。もしかしたら、自分でその顔も手術したのかもしれない───と、いつもその傷を見るたびに薫は思っていた。

「そうなんです。なんか朝から腹が痛い、痛いってうるさくって」

 薫は傍らのジョーに目を向けて言った。

「腹って、いったいどこらへんが腹になるんでしょうか? 僕バイクのことよくわかんないんで」

「ったく、今の若いもんは…てめぇの乗るモンくらいてめぇで治せんのかねぇ」

「ははは…」

 ポップの辛辣な言葉に力なく笑う薫であった。

「ワシに治せん患者はおらん」

 出た。ポップの十八番───

 薫は微かに笑みを浮かべた。

 彼にはわかっていたのだ。憎まれ口は叩くポップであったが、バイクをかまうことが何よりも好きなのだ、この老人は。

「よ…よるんじゃねぇ……」

 珍しい───ジョーにしてはいつになく声が震え、そのニュアンスにはありありと恐怖が浮かんでいた。

「何をいっとる。手遅れになったらどーするつもりだ」

 ポップはスパナを振りかざすように上に上げたままどんどんジョーへと近づいていく。

 ジョー危うし───!!


「こりゃーひでぇ」

 まずガソリンタンクを開けてクンクンと臭いをかいだポップ。

「どうしたんですか?」

 心配になってきた薫はおそるおそる聞く。

「…………」

 ジョーのほうはというと、すっかり意気消沈してしまったらしく、まったく声もたてようとしない。

「おまえさん、どこでガソリン入れたね?」

 ポップは黙りこくってしまったジョーに聞く。

「…………」

 だが、ジョーは答えようとしない。

「ガソリンがどうかしたんですか?」

 薫の声には悲壮感が漂っている。すると、ポップは苦々しげ言った。

「ブレンドガソリンだ」

「ブレンドガソリン?」

 おうむ返しする薫。

 何のことやらわからないといった顔だ。

「おまえさん、ブレンドガソリンも知らねーのか?」

 まったく───といった風にそう言う彼に、薫は申し訳ない気持ちになった。

「しかし、今時まだそんなあこぎな業者がいたとはな───」

 ポップはそう言いながらジョーに憐れみの目を向けている。

 そうしてから今度は薫に視線を向けた。

「ブレンドガソリンっていうのはな、灯油とガソリンを混ぜたモンだ。昔はなー悪いスタンドが多くてな、安い灯油でガソリンを水増しして売る業者がいたもんさ」(今ではそんなスタンドはない……とは思う、念のため)

「はぁ、そうなんですか」

 遠い目をする老人を、不可解そうな視線で見つめる薫。

 どうやら状況をよく飲み込めていないらしい。その証拠に首を傾げながら質問する。

「それで、ブレンドガソリンを入れるとどうしてジョーの腹が痛くなるんですか?」

「ちっ…」

 とたんに不機嫌そうに舌打ちするポップ。

「これだからトウシローはよぉー」

「すみません」

 殊勝な表情でペコペコ頭を下げる薫。

「ですからお願いします、ポップさん。僕はほんと何にもわかんないバカですから、どうかあなたの知識を分け与えてくださいな」

「おう」

 答えるポップは心なしか鼻高々だ。

 薫のセリフを聞いただけでは、その大仰な言葉に普通の人ならば馬鹿にされたと憤るところだろう。

 だが、腐っても鯛、そこはしばらく俳優業もしていた薫のこと。その言葉の調子は、彼がいかにもこの老メカニックを尊敬しているというのを感じさせる口調であったのだ。

「おそらく…」

 すっかり気をよくしたポップ。

 答える彼は饒舌だった。

「ブレンドガソリンを入れたために、シリンダーにカーボンがたまって焼きつく寸前じゃねーかと思うぜ。ま、開けてみりゃわかることだけどな」

「やなこった」

 ボソリと呟くジョー。

「ジョー!」

 それを諌めるような口調で薫は言った。

「ちゃんとポップさんに治してもらわないと走れなくなるかもしれないんだよ。悪くすると喋ることもできなくなるかも…」

「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ───」

 まるでお経のように呟くジョー。

 さすがの薫も、そんな彼にうんざりしたような表情を浮かべる。

「観念してワシの手術を受けるんだな」

 再びゆっくりとジョーに近づくポップ。

 その両手はまるでこれから手術をしようとする医者のように左右に開かれている。

「なぁーに、ちょいとエンジンをバラして、シリンダーのクリーニングをするだけよ。ほんの数十分で終わるさ。あっというまにな」

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ──────!!!」

 とたんにジョーのもの凄い叫び声が上がった。

「なんだ、なんだ?」

 店先のこと、通りを過ぎ行ゆく人々が何事かとのぞいてくる。

「やぁめぇろぉぉぉぉぉぉ──────!!!」

「ちいっ…うるせーやろーだな」

 舌打ちして顔をしかめるポップ。

「こいつぁ、麻酔せんといかんなぁ」

「ま、麻酔ですか?」

 恐る恐る聞く薫。

 それにニヤリと笑ってみせるポップ。

「ななななななな、なぁ────にをたくらんでやがる、このヘッポコ野郎がっ!」

 ジョーの声はその言葉と裏腹に震えまくっていた。

 いったいポップは何をするつもりだといわんばかりに。

「へっ…おまいさんみたいにうるせー患者はよぉー、黙らせんとやりにくくってしょーがねーや」(他に喋るバイクなんかいるのか?)

 ニヤニヤといやらしく笑いを浮かべながら、ポップはだんだんジョーに近づいていく。

「ううううううぅぅぅぅ────」

 すでにジョーはあまりに恐怖からか、声にならない唸り声を上げているばかりだ。

「まかせておけ、ジョー。ワシに治せんヤツはおらん。ワシは金さえキチンと払ってくれさえすりゃーどんな傷でも治してやる。それがワシの誇りだ」

「ひぃ…」

 ジョーの短い悲鳴が上がった。

 ポップのゴツゴツした手が彼のボディを触ったからだ。

「ねむっちまいな、ジョー。おめーが今度目覚めるときゃ、スッキリさわやか、こんなすがすがしい日はないってー気持ちにさせてやるさ……」

「…………」

 観念したのか、もうジョーの声は聞こえない。

 それとも気絶してしまってるのかもしれない。(ほんとか?)

「麻酔ってどうするんですか?」

 薫は黙ってしまったジョーを心配そうに見つめながら聞いた。

「ま、まさか……スパナで殴ったりしないでしょうね?」

「バカ言ってんじゃねーよ」

 ギロリとにらむポップ。

 それから彼は説明しだした。

「バッテリーコードを外すのさ。そうすりゃ電気系統が切れる。電気系統はいわば神経とおんなじもんだ。だからコイツは動かなくなる。したがって、おねんねするってことだ」

「はぁ…そーゆーもんですか…」

 よくわからないといった表情の薫。

 だが、そんな彼にかまわず、ポップの油まみれの手は、無情にもジョーの剥き出しになった腹へと伸びていった────



 手術は成功した。

「まったく……」

 薫はジョーに乗ることはせずに、健気にも押して帰ることにした。

「いつも行ってるスタンドは、そんな変なガソリンなんか入れないはずだと思うし…それとも僕が買いかぶっていたのかな」

 薫はブツブツとひとり言のように呟いていた。

 手術が終わってからでも、ジョーは喋ろうとはしなかったからだ。心配した薫だったが、ポップ親父さんはすっかり治ったと太鼓判を押してくれた。

「かわいそうに……ショックだったんだろーね。普段の点検でも大騒ぎするのに、こんな手術なんて今までしたことなかったもんな」

「あのスタンドだ」

「え?」

 突然ジョーが喋ったのでびっくりした薫であった。

 と同時に元気になったかと喜ぶ。

「よかった。喋ってくれて。大丈夫? もうどこも痛くない?」

 思わず足をとめて話しかける薫。

「浜崎ヒカルとデートした時に寄ったんだ」

 薫の言葉にまったく答える様子はない。

 薫はジョーのその言葉に少し考えて、何かを思い出した。

「ああ……いつだったかヒカルちゃんと遠乗りに出かけたよね。そういやあの時、確かガソリン残り少なかったけど、ヒカルちゃんが入れといてくれるって言ってたっけ?」

「あの峠のスタンド……」

 ジョーの声には明らかに怒りがにじんでいた。

「なんかうさんくせーって思ったんだ。店員のガラはわりーしよぉー」

「…………」

 薫はそのことに関して何も同意をしない。

 それはまるで「人のことは言えないんじゃないか」と、無言で抗議をしているかのようだ。

「それにやたらと値段が高かった」

 ふつふつと怒りをたぎらせて喋るジョー。

「ふくしゅーだ」

「ええっ?」

 とたんに驚きの声を上げる薫。

「ぜってー復讐してやる!」



「おっにーさぁーん!」

 ガソリンスタンド『峠』の唯一の店員でもあり、しかも店長でもあるまだ若いその男は振り向いた。

「油入れてくれますぅ~?」

 真っ黄色のスクーターにミニスカートでまたがる派手な化粧の女がニッコリ笑って彼を見ていた。(おい、ズボンはけよ)

「…………」

 男は微かに口の端を引きつらせた。

(カモだ)

 心でほくそえむ。

「レギュラーですか、ハイオクですか?」

「えっえー? あたしそんなムツカシー言葉わっかんなぁーい」

 男はニッコリ満面の笑みを浮かべ言った。

「じゃあ、ハイオクにしておきましょう」


「ありがとーございましたぁー」

 男は黄色の派手派手しいスクーターを見送り、姿が見えなくなるまで頭を下げていた。

「くっ…」

 その彼の口から、こらえきれない笑いが漏れる。

「はーっはっはっはぁー」

 彼は腹を抱えて大笑いしだした。

「バカだ。あまりにもバカだ」

 ここは峠のガソリンスタンド。あまり車の来ないへんぴな場所だった。

 彼が大声で笑っていようが、誰も見とがめるものはいない。

「今日の客はまさにカモネギだ。次から次へとバカな女どもがやってくる」

 普通のバイクならレギュラーで充分。特にバイク乗りのやつらはハイオクなど入れやしない。

 だが、スクーターなんぞにしか乗ったことのない女にはレギュラーとハイオクの違いなんかわかりゃしない。

(ましてやブレンドガソリンなど…)

 そう、この男───

 ガソリンに灯油を混ぜてスクーターに入れている、いわゆる悪徳業者である。

 この男の経営するスタンドであのジョーは粗悪なガソリンを入れられ、腹痛(整備不良)を起こしたのだ。

「ふっふっふっ。バカな奴らだ」

 男は含み笑いしながら女の消えた道路を見つめつづけていた。


 それから毎日のように客が来る。

 しかも頭の悪そうな派手な女ばかりが日に何人も…いや何十人もだ。

「?」

 男は首を傾げる。

 今まで日に数人の客が来れば万々歳であった。まれに一日客の来ない時もあるほどだ。

 最初は何も考えずにホクホクしていた男であったが、さすがに不審に感じるようになってきた。

「ま、いっか。そのおかげで今月はもうけさせてもらったぜ」

 だが、男はあまり都合の悪いことは考えないタイプであった。

 頭の悪い女たちと蔑んでいた彼であったが、どうやら一番頭の回転が悪かったのはこの男であるようだ。

 そして、とうとう────


 ぶるんぶるんぶるん───

 ぱぱらぱぱぱらぱ───


「なんだ?」

 レジの中身をチェックしていた男が顔を上げた。

 何だか外が騒がしい。

 男は外へ出た。もしかしたら客かもしれないと思いながら。

「げげっ!」

 出たとたん、彼は奇声を発した。

 男の目の前には何十人もの「お客」が「たむろして」いたのだ。いつものような女のお客ではない。

 強面の男たち───見るからにヤバそうな───そんな男たちが派手派手しいバイクにまたがり、憐れな店長兼店員をやぶにらみしていた。

 だが、よく見ると男たちはみんなバイクとは名ばかりのちまちましたスクーターに乗っている───が、びびりまくっているスタンドの男はまったく気づいていない。

 すると、先頭に陣取ってニヤニヤしていた男が、自分の真っ赤なスクーターをぶおんぶおんいわせ、気持ち悪いほどの猫なで声を出して言った。

「にぃ───ちゃぁ───ん?」

「はっはいぃぃぃぃ───!」

 あまりの怖さに男の声は引っ繰り返っている。

「てめぇんとこのアブラ入れたスケどもがよぉ、バイク壊れたってよぉ、ウルセーんだよぉなぁ──?」

「ひぃ────!」

 男は心で南無三と叫ぶ。

(し、しまった。あの女たちは族の身内だったかぁ)

 今更気づいても後の祭である。

 だいたいがあの時点で気づかない奴も珍しい。見るからに堅気の女ではないと、誰でもわかったはずなのに。

「あれだけ通ってやったのによぉ。ブレンドガソリンだぁ? なめんのもいーかげんにしろよぉ?」

「は…は…」

 もうすでに何も喋れない状態の男。

 そしてすかさず叫ぶ族の男。

「やろおどもっ! やっちまえ!」

 その声を合図に男どもがバイクでスタンドになだれ込んできた。


 ぱぱぱぱぱ───

 ぶるぶるぶる───

 ぱぱらぱぱぱらぱぁ───


 手に手に鉄パイプやらなんやらと物騒なものを持ち、そこらへんを手辺り次第に壊しまくる。


 がっしゃーん───

 がががーん───


「……………」

 男は呆然としてそれらの凶行を見ているだけであった。

 すると───

「おい」

「………」

 さっきの族の男がいつのまにか彼の傍らにやって来ていた。彼は呆然とした目のまま相手の顔を見つめる。

「そいつじゃねーよ、バカ」

「へ?」

 彼は相手が喋っているものとばかり思っていたのだが、確かによく見ると相手の男はニヤニヤ笑っているだけで喋っていなかった。

 だが、ニヤついてるその男は口を開いた。

「おまえ、知んないの?」

 その声を聞いて、さっき喋っていたのはこの男でないと気づいた彼。

「ええっ?」

「アイドル木村薫のスクーター・ジョーっつったら有名だぜ」

 ニヤニヤ笑いながら族の男は言う。

「ジ、ジョー?」

「あんた知らんかったんだー。へっえーめっずらしー。ここらへん取り仕切ってんの、このジョーさんなんだぜ」

「この間はいいもん食わしてくれたな」

 ドスのきいたシブ声が上がる。

 確かにその声はさっきまで怒声を上げていた者の声だ。

「!」

 呆気に取られた男の顔がみるみる真っ青になっていった。

「ス、スクーターが喋ってる……」

「喋ってわりぃか」

 ジョーは物凄く不機嫌そうな声を出した。

「俺はなぁ、おめーのクソガスで腹ぁこわしたんでぃ。このおとしまえはきっちりつけさしてもらうからな」

「そゆこと。覚えときな。ジョーさんを怒らせたら生きていけねーよ」

 ジョーにまたがった男が憐れみの目を見せた。

 そして、スタンドを壊す音はいつまでも響き渡り、しばらくはやみそうになかったのであった───



「……ということで、○○スタンドは何者かに襲撃されひどい損害を被ったということです。しかし、スタンドの店長Aさんは、何も喋れる状態ではなく、いったい襲撃したのは誰か、今のところ不明であります……」

「…………」

 マンションの自室のテレビで、そのニュースを見ていた薫は頭を抱えていた。

「まったく、ジョーのやつ…」


 そんな薫の悲嘆の声も聞こえない、ここはどこか海沿いの幹線道路。

「ふふふん、ふんふん。ふふふん、ふん」

 お馴染みジョーの鼻唄だ。

「きょーはどこいこっかぁー、ねージョーちゃん」

 ひらひらとスカートをはためかせ(だからズボンはけって)売れないアイドル歌手浜崎ヒカルはきゃらきゃらはしゃぎながらそう言った。

「どっこでもいーぜぇ。ヒカルのお尻は一級品だからよぉ、いつまでも乗しときたいぜぇ俺としては」

「やぁーだ、ジョーちゃんったら」

 きゃっきゃっ笑うヒカル。

「でもま……」

 すると、ジョーはボソッと呟くようにこう言った。

「ガス欠になるまでには帰ろうな」


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