スクーター・ジョー
谷兼天慈
第1話「スクーター・ジョー」
「おい」
木村薫の耳に声が聞こえた。
彼は思わずきょろきょろとあたりを見まわす。
風の音がうるさい。普通なら人の声など聞こえないはずなのに、不思議に思い彼は首をかしげた。
「おい! あぶねーだろっ」
今度ははっきりと聞こえた。かなりの大声だ。
「だれだ!」
薫は風の音に負けまいと声を張り上げた。
「おれ? おれはジョーグフリート」
相変わらず姿は見えないが、わりと渋みのきいたいい響きの声だ。しかし、それにしても・・・。
「ジョーグフリートだって?」
薫は不審の響きもあらわにつぶやいた。
こてこての日本語を喋ってるくせに、まるっきり不似合いな名前である。
だが、声の主は薫の心うちなどまったく気にしていないのか、続けて言った。
「ジョーってよんでくれ」
(だったらさいしょからジョーっていえよ)
薫は心で悪態をつく。
「ジョー」
それでも、そんなことはおくびにも出さずに声の主の名を呼ぶ薫。彼の目は前方に向けられたままだ。
「おまえはいったいどこにいるんだ?」
「おもてーなー」
「え?」
「おもてーっていってんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
薫の表情が「まさか」といっている。彼はおそるおそる自分の足下に視線を移した。
「ま・・・まさか・・・・・・」
「もっとスピードでねーのかよー。ま、もっともこんなオンボロじゃムリもねーか」
「・・・・・・・・・」
薫はちょうど坂道を走っていた。そんなに急勾配ではないこんな坂でも、確かにスピードは出てなかった。
それはどうしようもないことである。ボロでなくとも、彼の乗っているものではしかたあるまい。
「おらおら! 前見て走んな。まったくあぶねーったら。事故ったらどーすんだよ!」
怒鳴り声に慌てた薫は、ヘルメットごしに坂道の先を見つめた。ほとんど反射的といってもいい行動だ。
すると、心地よい響きではあるが、さらに口汚い言葉が薫の耳を打った。
「おめーがケガすんのは勝手だけどよ。おれまでぶっこわれちゃたまんねーからな」
間違いない。薫は確信した。
声は自分のすぐそば、つまり、今乗っている紅白のスクーターから聞こえていたのだ。
道路脇のパーキングエリア。自動販売機が整然と並んでいる。
その自販機の横に、エンジンを切った紅白の派手なスクーターがとまっていた。見た目には新車のようにつややかな色である。
「・・・・・・・・・」
薫は自分のスクーターをじっと見つめる。
(さっきのはただの錯覚だったのかな?)
エンジンの音を聞き間違えたにちがいない・・・と、薫は自分に言い聞かせようとした。しかし────
「なんだよ。じろじろ見やがって」
「!」
やはり喋っている。
今度は聞き間違えようがなかった。エンジンは切ってしまっていてあたりは静かだし、そして、ここにいるのは薫と傍らのバイクだけだからだ。
「・・・・・・・・・」
薫はツヤを見せて輝く紅白のボディをまじまじと見つめる。
「バケモン見るみたいな目、すんなよな」
(じゅうぶんバケモンだろ)
薫はそう言いたいのをぐっとこらえた。
「天気いいよなー」
ジョーの口調はずいぶんとほのぼのしている。一瞬、薫もつられて空を見上げた。
ほんとうに今日はいい天気だった。
田舎の道路は、平日であることもあってほとんど車が通らない。見渡すとすぐそこに山並みが見えていて、のどかな風景このうえない。
今は大学の試験休みで、薫は最近購入したばかりの愛車に乗ってここまでやってきたのであった。
(中古だけど、けっこうしたんだこれ)
中古屋の話だと、まだ新品同様だということだった。
バイクに乗るのは初めてだったので、薫は誰でも乗れる車種にしたのだ。
どれでもよかったのだが、彼は一目見た時に、なぜかこれが欲しいと思った。理由はわからない。しいていえば色が紅白で明るいからというところか。縁起をかつぐ傾向のある彼だったので、それはもう思いこみだけで買ったようなものである。
「はっ」
彼は我に返った。自分の置かれた異常な状況を思い出したからだ。
「い・・・いったい、あんたはなんなんだ?」
問いただす声が震える。
「ああん?」
それに対し、なまいきそうな声を出すスクーターのジョー。
「もしかして宇宙人の侵略か?」
「ぶっ・・・」
吹き出すジョー。
「おまえ、SFの見すぎだぜ」
「・・・・・・・・・」
薫は笑われて気分を害した。顔が赤くなっていくのが自分でわかる。
「おれはただのバイクさ。いわゆる原付ってやつだ」
「そんなこと言われなくてもわかってる!」
なんとなく薫は頭にきた。
「なんでバイクのあんたが喋れるのかって聞いてんだよ!」
「山の空気はやっぱいーねー」
「話をそらすんじゃないっ」
薫はぜいぜい肩で息をした。
少し離れたところに彼が走ってきた道路が見える。そこを一台の車が今通りすぎていった。
その車内から会社員風の男が不審そうな目を薫に向けていた。
それもそうだろう。ひとりの若者が連れもいないのにわめいているのだ。しかもどう見ても傍らのバイクにむかってだ。
「陽気のせいでボケたのかね」
通りすぎていく車の中でつぶやかれるその言葉などまったく知りもしないで、薫は自分の愛車をにらみつけた。
「あんたは僕のバイクだ。なんで喋れるのか知る権利がある」
なかなかにもっともなことを言う彼ではあるが、バイクにむかっておのれの権利を主張するというのもおかしな話だ。
「しらねーよ」
「は?」
薫はポカンと口をあけた。思わず写真にでもおさめたいほどのまぬけな表情だ。
「おれだってしらねーよ。気づいたらさー、しゃべってたんだよ」
ジョーは突き放すようにそう言った。
「そんな・・・・・・」
薫は途方にくれた。その表情は妙にいじらしい。
「そんなことって・・・買ったばかりなのに・・・」
「なんだよ。しゃべっちゃいけねーっつうのかよ。ちゃんと走ってんだからモンクはねーだろ」
「そーゆー問題じゃないだろっ!」
またしてもわめく薫。ほとんどヒステリー状態だ。
それとは対照的に、喋るスクーターはめんどくさそうに答える。
「なんだな。ほれ、ネコも何十年生きりゃ化け猫になるっつーし・・・それとおんなじじゃねーの」
「あんたはそんなに何十年も走ってんのか」
薫は驚いて声をあげた。
「んー・・・たしかさいてーでも20年は走ってんじゃねーかなー。新車だったのはいつのことだったか忘れちまったぜ」
「なんてことだ・・・・・・」
薫はすでに怒る気力もなくしていた。
「中古屋にハメられた・・・こんな、もういつ壊れるかわからないものつかませやがって・・・」
「ま、運が悪かったとあきらめな」
それでも薫はジョーをにらみつけるのだけはやめなかった。
そんな彼のそばを風が通りすぎていく。
髪をゆらすその風はとても気持ちよく、まったく彼の気持ちを無視した本当に心地よいひとときであった。
「なー、かおるー」
「・・・・・・」
「かおるってばよー」
「気安く呼ばないでくれ」
再び彼らは国道を走っていた。
制限速度30キロをきちんと守って走る優等生の薫は、もうまわりの風景もなにもまったく楽しむという気持ちにはなれないでいる。
「黙っててくれ」
「そんな冷たいこというなよー」
だが、ジョーは喋れることが非常に嬉しいらしい。ひとときも黙ってはいられないようだ。
不思議なことに、ジョーの声は薫だけにしか聞こえないみたいなのだ。こんなに大声でジョーが喋っていても、変な目を向ける者はひとりもいない。だが、こころなしか自分に視線が集まっているような気が薫にはしていた。
「・・・・・・・・・」
彼はかすかに頭をふった。
誰にでも聞こえたら、それはそれで不気味なことだ。しかし薫にとって今の状況は充分すぎるほど不気味だった。
「まったく・・・なんでこんなことに・・・・・・」
今にも泣きそうな情けない声でつぶやく。
ヘルメットごしのそんな薫の様子は誰にもわからない。だが、通りすぎる者のほとんどが、彼を変な目つきで見ていた。薫が感じていた視線も気のせいではなかったのだ。
というのも、薫はジョーの問いかけに答えまいとするのだが、ついつい返事をしてしまっていたのだ。それもただのつぶやきではなくかなりの大声だ。風の音に負けまいとして無意識のうちにそうなってしまうらしい。
はたから見ればその様子は、バイクを運転しながら大声を張り上げてひとりごとを言う危ないやつ、と映ったにちがいない。
すると────
「女のせろよー」
「なんだって?」
薫の頬がひくついた。
「女だよ、オ・ン・ナ」
「そんな大声出さなくても聞こえるよっ」
「なら聞き返すな」
ジョーの声は、まるで頬をぷーっとふくらませて喋っているように聞こえた。
薫はなぜか妙におかしくなって笑いそうになったが、ぐっとがまんする。
「女乗せろっていったって、僕のバイクは一人しか乗れないぞ」
「なにいってんだ。おめーは乗らんでいーんだよ」
ジョーは鼻で笑ったような声で言った。
「おめーのかてー尻なんぞもーあきた。あのやわらけープリンっとした尻を感じてーんだよ、おれは」
「ぜいたく言うなよ。あんたは僕のバイクなんだから、乗るのは僕だけだ」
身もふたもないないことを言う薫。
どうせ自分で乗せる者を選べないんだからという優越感が、彼に苛めの心をを芽生えさせたのだ。ささやかな抵抗といったところだ。
「のせろー!」
すると、とたんにジョーの反撃が始まったのだ。
「女のせろー! 女のせろー! オンナ、オンナ、オンナ、オ・ン・ナ、オーンーナー!!!」
「うるさい、うるさい、うるさ────い!」
薫は走りながら怒鳴った。
「なんだ、ありゃ」
横を通り抜けていく車の中からそういう声が聞こえてきた。
「!」
慌てて押し黙る薫。
「女のせろー」
そんな彼の耳に、相変わらず聞こえてくるジョーのがなり声。
「わかった────」
はーっとため息をつく。
「誰かみつくろってくるよ」
とはいっても────
「乗ってくれる女の子なんていないしなー」
薫には彼女というものがいなかった。そんなにルックスが悪いというわけではない。
いまどきの女の子が清潔感のある男を好む、というのに合わせてというわけではないが、彼はセッケンの香りでもしてきそうなつるんとした肌を持つ美少年系の顔立ちをしていたのだ。
髪も明るい茶色系で、風が吹けばさらさらと音がしてきそうな感じだ。今はヘルメットで隠れていて確認はできないが───
目は少し切れ長で、心持ちつりあがってはいたが、そんなに冷たい感じではない。むしろやさしい目をしている。
しかし、考えようによってはそれが欠点といえなくもなかった。
女の子の心理としては、男はやさしいだけではだめなのである。きれいで、それでいて冷たい雰囲気の男に心ひかれるものだからだ。ただやさしいだけでは男の魅力には欠けてしまう。
「いがいとモテねーんだな」
軽蔑まじりの声でジョーは言った。
「うるさいな。ほっといてくれ」
むっとして薫は口をへの字に曲げる。
「今日中にしてくれよー」
「わかったよ!」
いいかげん相手にするのもいやになって、薫はつっけんどんにそう言った。
「どっかでナンパでもすればいいんだろっ」
「だーいじょーぶかぁぁぁ───?」
「くっ・・・・・・」
言葉につまる薫。彼はもうそれ以上何も言い返せなかった。
しばらく彼らは押し黙ったまま走りつづける。
少し時間がたつと、薫はなんとなく違和感を感じ始めた。
なんだかすごく静かだ。
それでも相変わらず走っている最中の風の音はうるさい────にもかかわらず、薫は不気味なほどの静けさを感じていた。
(あれ?)
そう、彼は気づいた。
自分が黙ってしまったのに合わせて、意外にもジョーのお喋りまでとまってしまっていたのだ。
「?」
薫はかすかに首をかしげた。
さっきまで弾丸のごとく次から次へと喋りつづけていたジョーが、ひとことも言葉を発していない。
うるさくなくなってせいせいしたと思いきや、なぜか今度は妙な不安を感じ始めた薫であった。
「おい」
「・・・・・・・・・」
返事がない。
「おい。どうしたんだジョー」
「・・・・・・・・・」
やはり何も言わない。
本来ならこれが普通なのである。
薫は無理やり、これでよかったのだと自分に言い聞かせようとした。しかし────
「なんで何も言わないんだよ。やっぱりさっきまでのは錯覚だったのかな・・・?」
最後のほうはほとんどひとり言のようなつぶやきになっていた。
「腹・・・へった・・・」
「えっ?」
薫はなぜかほっとした表情をした。
だが、どうやらそれには薫自身気づいていないらしい。もしかしたら意外とジョーとのやり取りが気に入っていたのかもしれない。
「燃料切れだー」
「ああ・・・・・・」
薫はガソリンメーターに目を向けた。カラになりかけている。ほどなくガス欠になるところだった。
「ちょうどよかった。あそこにスタンドがあるぞ。ちょっと待ってろ」
100メートル先に見えてきたガソリンスタンド目指して彼は走らせるが、やはりスピードは制限速度厳守だ。きっちりしてるというか、くそまじめというか、これが薫の性格なのだろう。
「はやくしろ~」
すでにへろへろになったジョーの声。
しかし、それにも動じることなく、とにかくマイペースを崩さない。それでもほどなくスタンドにたどりついた。
薫はジョーのエンジンをとめる。
「いらっしゃい!」
スタンドの若い男が勢いよく声をかけてきた。
「現金ですか? はい、現金ね。レギュラー満タンでいいですね?」
「そう・・・」
薫がうなずきかけたその時。
「ハイオク満タン!」
ジョーの異様に大きな声が響いた。
だが、その声は他の者には聞こえないのだと薫はたかをくくっていたので、それには何も抗議せずに黙っていた。すると───
「はいっ、ハイオク満タンね!」
スタンドの店員の明るい声が上がった。
「なにぃ?」
驚いたのは薫である。慌てて否定しようとしたが、もうすでに遅かった。
すばやいもので、薫が見たときにはもう、店員はハイオクをバイクに注ぎ込みメーターは回りだしていた。
そして、薫はというと────魚のように口をぱくぱくと動かしているだけだった。
それから────
「どうもありがとうございましたー」
ひざに額がつかんばかりにお辞儀して、店員は薫とジョーを道路へと送り出した。
落胆した顔を極力見せないように、必死にひきつりかける顔に微笑みを浮かべる薫。彼は店員にうなずいて見せると、再び路上の人となった。
「貧乏学生なんだぞ。原付はそんなにガソリン入らないっていったって、ハイオクなんて普通入れないよ。このバイク買って金欠だっていうのにさ。どーしてくれんだよ」
薫は半分泣きそうだった。
「いーじゃんかよー。今日ぐらい」
しれっとしてジョーはそう言った。
「それにあんたの声は僕以外には聞こえないはずじゃなかったっけ?」
「おれ、そんなこと言った覚えねーぞ」
「・・・・・・・・・」
薫は『はかられた』といった顔を見せた。
それからしばらくして───
「ふふふん、ふんふん。ふふふん、ふん」
ジョーはものすごく上機嫌に鼻歌をうたっていた。
「いいねぇ、ハイオクにカストロオイル。これで気分よくないやつぁ、バイクじゃねーな」
「ふぇ───」
薫はジョーを運転しながら力のない声を上げた。するとジョーは言った。
「なさけねー声だすんじゃねーよ」
「これが情けなくなくて、なんだっていうんだよ!」
とたんに薫は大声を上げた。まわりの人たちの目など気にする気も起きないらしい。
「980円、消費税入れて1029円もするオイルだぞ。ハイオクだけじゃ飽き足らず、カストロなんて買わせて・・・もっと安いオイルにしてくれたってよかったじゃないか。もー・・・金なくなっちゃったよ。どーしてくれるんだ」
「いーじゃんかよー。スタンドで入れてもよかったんだぜー。それにホームセンターJに陳列されていたオイルんなかでは、わりかし安いやつでガマンしてやったんだから感謝してほしーくらいだ。ちったぁ高くってもそこは大目に見ろよ」
「む────ぅ」
薫はふくれっ面をしてみせただけで黙ってしまった。
「ふふふん、ふんふん・・・・・・」
そんな薫のことなどまったく気にするふうでもなしに、ジョーはいつまでも鼻歌をうたいつづけていた。
それからずいぶんたって────
夜の市街地。相変わらず薫はジョーに乗って道路を走っていた。
「さっきのねーちゃんの尻はよかったぜー」
ジョーの下卑た笑いに薫は顔をしかめた。
「よせよ。そんな下品なこと言うのは」
「なぁーにイイ子ぶってんだよ。おめーだって男だろ。ねーちゃんの尻にまったくキョーミねーなんてーいわせねーぜ」
「・・・・・・・・・」
薫は答えなかった。
「へっ・・・」
ジョーの声にはあからさまに軽蔑がこめられている。
「おめー、ちったー考えろよ。さっきのねーちゃんにしたって、けっきょくおめーのかわりにおれが声かけてやったんじゃねーか。人間なー顔じゃねーんだ。男はとくによー、要領の良さがものいうんだぜ。女の心をつかむ喋りのひとつもできなきゃ、いつまでたっても女なんて寄ってこねーぜ。ま、おめーみてーなバカで朴念仁の男でもいーってゆー女もいねーともかぎらねーしよ・・・それほど気にするこたねーとは思うけど・・・それでもどっちがトクか、よっく考えてみるこった」
「・・・・・・・・・」
薫はそれでも答えようとしない。
「─────」
ジョーはため息をついたようである。人間でいえば『やれやれ』といった感じか。
「その強情なとこは、まったくおめーの顔にゃにあわねーな。ホント・・・ソンするぜ」
「?」
ジョーのその言葉に何かを感じた薫は首をかしげた。
それは何かと聞かれてもはっきりとは答えられないものだったが、いやな感じではなく、むしろ彼には快く感じられた。すると───
「薫」
ジョーが妙に真面目な声で言った。
「なに・・・?」
その声に答えようとした薫───そのとき!
「!」
光が炸裂した。
薫の目に光の渦があたりを包み込むのが見えた。暗闇でスポットライトをいきなりあてられたような、そんな強い光だった。
そして、それと同時に彼は空中を飛んでいた。自分で飛んだわけではない。
「ジョー!」
薫は叫んだ。
車体が揺れ、その弾みで薫の身体は横へ向かって飛んでいった。まるで誰かに突き飛ばされたかのように。
だが、薫にはわかっていた。ジョーが自分を投げ飛ばしてくれたことに。
「ジョー!!」
「それでも・・・そんなおめーでも・・・いいやつだったぜ・・・・・・」
うすれゆく意識のなか、薫はジョーの言葉を聞いたような気がした。
暗闇に包まれゆく意識。投げ出され、地面に叩きつけられた時の激痛も、意識がなくなると同時に急速に感じられなくなっていく───
そして────
「ジョー」
薫は再びそこに立ってジョーの名を呼んだ。
彼は大きな花束を抱え、悲しみの目を向けた───が、しかし、事故現場にはもう何も残されてはいなかった。
あれから1年が経った。
あの夜、センターラインを大きくはずれてきた大型トラックとぶつかった時、ジョーが投げ出してくれなかったら、薫は即死だっただろう。
状況から見て、現場に駆けつけた者はみんなそう思ったのだ。
原型をとどめぬほどめちゃめちゃになってしまったジョーの車体は、運転者も運命をともにしたと思わせるのにじゅうぶんだった。
だが、薫は少し離れた空き地に倒れていた。頭を打ってはいたが、奇蹟的に助かったのだ。
次の日の新聞にも「奇蹟の生還」とか「ミラクルボーイ」などと書きたてられ、インタビューまで受けることとなった薫。
おまけにテレビのニュースまでにも映り、病院のベッドの上で「白い包帯を巻いた奇蹟の美少年」とか紹介されると、連日多くの女性たちが見舞いに押しかけてきた。
そんな時には内向的な彼も、さすがに饒舌(じょうぜつ)にならざるを得なかったのである。
「僕が助かったのは、あのスクーターのおかげです」
薫の声は心痛に満ちあふれていた。
「ジョーは僕の命の恩人です!」
彼はカメラの前でそう言い切った。
なぜバイクを「ジョー」などと呼ぶのか、一部の者は首をかしげてはいたが、気にするものはほとんどいなかった。
それよりも、その謙虚な態度が世の人たちの好感を呼び、彼はまたたくまに人気者になっていったのである。
果ては、彼をモデルにした2時間枠のドラマやドキュメンタリーが作られ、しかも薫本人を出演させるほどの熱狂ぶり。
さらにその演技や容姿がかわれ、彼はつい最近芸能界入りしたばかりであったのだ。
「ジョー・・・・・・」
薫は複雑な気持ちだった。
「今の僕があるのは、みんなあんたのおかげだ。今ではあんたと出会えて本当によかったって感謝してるんだ。命だけじゃない。僕の生き方まで変えてくれた。あんたはもしかしたら、僕のもとにやってきた神様の贈り物だったかもしれない」
そう言うと薫は道路脇にそっと花束を置いた。
しばらく頭をたれてもくとうを捧げ、再び顔を上げる。
「見てくれよ、ジョー」
彼は振り向きながら言った。
その振り向いた先には、真新しい紅白のスクーターが薫を待っていた。
「今度のは正真正銘新車だよ。あんたは何十年も走ったバイクには魂が入ることを証明してくれた。だから僕もこの新しいバイクを大切に乗って、あんたの2代目が現れるのを待とう。きっと今度はお互いに、いい相棒同士として生きていけるさ」
そういう彼の表情は誇らしげだった。生きてるというエネルギーが感じられる。
「・・・・・・・・・」
薫はもう一度だけ花束をそえた場所に顔を向けた。それから新しい愛車に向かって足を踏み出す。
ジョーと同じメーカーのバイク────ただ、最新型なので多少形は違っているが、色はまるっきりジョーと同じである。赤と白のコントラストがとても派手なボディ。
「・・・・・・・・・」
薫はそっとミラーに手を触れた────その瞬間!
「ふははははははははははは─────!」
高らかな笑い声が響き渡った。
「ええっ!?」
「ふぅっかぁぁぁぁぁ────っっっっつ!」
薫はぽかんと口を開けたまま愛車を見つめた。
「ふふふふふふふ・・・・・・」
そんな彼におかまいなしに、おなじみの渋みのきいた声が聞こえてくる。さも得意げに、そして、からかうようなその口調────そう、言わずと知れた────
「ジョーグフリート再生ってか?」
「・・・・・・・・・」
薫の開いた口はふさがらないようだった。
「どうして・・・・・・?」
ようやくひとことそう言った。
「やーやー薫くん。おれにもよーわからんのだが・・・・・・」
ジョーは再び喋れることが非常に嬉しくてしかたないらしい。声にはあふれんばかりの生気がみなぎっている。
「おめーがこの新品のバイクに触ったとき、ハッと意識が戻ってな・・・まるでよー、寝てたら目覚し時計が鳴って慌てて飛び起きたってな感じだぜ」
「そ、そんな・・・」
「いやー、すこぶるいい気分だ。やっぱ新車はいーよなー」
「・・・・・・バカな・・・・・・」
「およー・・・? 薫よー、うれしかねーのか? おれはおめーの命の恩人だぜぇー」
「は・・・は・・・は、はははは・・・・・・」
薫は力なく笑った。
喜びたい気持ちがないわけではない。ただ、彼としては、なんとなくこれからの苦労が目に見えるようで、正直手放しで喜べないといったところなのだ。
「そーかそーか、やっぱうれしーんだな?」
そんな薫の気持ちを知ってか知らずか、異常にハイテンションなジョーであった。
「はっはっはっ! これからもよろしくぅ」
「ははは・・・」
「はっはっはっはっはっはっ──────!」
(トホホホホ・・・)
ふたりの間をさわやかな風が吹きぬけていった。
まるでこれからの彼らの友情に、自然がエールを送っているようである。
その風は薫の髪を揺らし、紅白にきらめくジョーをひとまわりして、抜けるような青空に向かって上昇していく────
────クククククク・・・・・・
「!」
一瞬、空を見上げる薫。
(空が笑った?)
果たしてそれは空の笑い声か、はたまた神の笑い声だったのか────誰にもわからない。
だが、薫はやはりこれは神の采配なんだろうと思った。そして、これからはそういう世界が本当にあるのだと信じるようになるだろう───と。
「・・・・・・」
薫のくちびるにいつのまにか微笑みが浮かんでいた。
「かおる?」
そこへジョーの不審そうな声。
「いや、なんでもない」
薫は首を振り、そのまま空を見つめた。
そんな彼の耳には、さきほどの含み笑いが残り、いつまても消えることはなかった。
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