第17話 マザー

「だって、ホラ、男の一人暮らしみたいなものだし、今」

(あ、これはいけない)といった瞬間、河下真由は思った。

 みかりの母、水田愛花をチラリと見る。

 愛花は怒りをベースにした失望だとか悲しさ悔しさ苦しさあらゆる名のつくネガティブな感情に潰れそうになったが、微笑んだ。意地で。

 真由が自らの失言に気づいて目が泳いだのを見逃してはいない。

 今日、今から。

 それが困るならそうしてやろう。

「でも電話、通じないんでしょう?サチ君…心配だわ。それにみいちゃんの物のお片付けも…あそこで、一人暮らし、していくつもりなら尚更ねえ?」

 一人暮らし、とゆっくり。悪意を込める。ゆっくり、深く。許さない。

 息子もショックを受けているので?は?良く言えたものだ。

 葬式での、あの笑い声、棺を指さして本当に楽しそうに!胃液がこみ上げる、喉の終わりから胃の始まりまでがヒクつく。目の裏から斜め奥の頭の中が氷のように冷たい。これは怒り。怒り。怒り。

「…え、ええ。でも急には…」

 みいちゃんの居ない家であの男はどんな生活をしているというのだろう?

「私…寂しいのよ。みいちゃんの遺品…最後に使っていた遺品の一つでも譲ってくれないかしら?」

 真由はふと(あ、でもそれもいいかな)と思った。

 葬儀の後電話も通じなくなり、様子を見に行かなければと思いつつ先延ばしにしてしまっていた。

 一人で行って何かあったらと…何かって何かしら。

 でもみかりちゃんママが行きたいっていうんだから仕方ないじゃない。サチ君が嫌がったらささっと何かみかりちゃんのもの渡して帰ってもらえばいいし。

 うん、いいアイデア。

「…ええ。分りました。みかりちゃんの家でもあるんだしみかりちゃんママが行くのは当然だわ」

「…」

 真由はテーブルの上に広げた葬儀費用の明細を封筒にしまう。コーヒーの染みがついてしまった。

 面倒だな、いっそのこといくら払ってって言ってくれれば言い値で払うのに…。ここの喫茶代も私が払ったほうがいいのかしら?

 視界の隅に愛花の指が震えているのが見える。また私何か言っちゃったかしら?

 見ないふり。見ないふり。

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