第9話 沖に向かう
目が覚める。すごく短い時間だったってことは分かる。
最初に視界に入る、みかりのまぶた、二重のライン、まつげ。
ああ。みかり。いろんな感情が押し寄せて、涙がでた。
みかりの肩、腕、背中とかよりも触れている俺の手のひらとか指先とかの感覚のほうが強く感じる。もう片方の手のひらで自分の頬に触れてみる、少し伸びたヒゲ、爪、も、少し伸びている。でも意識しすぎてどちらの感覚が強いかなんて分からないし、両方自分だもんなあ。
急に「みかりは死んでしまった」と誰かのセリフのように思う。
「みかりは」
声に出して言ってみようとなぜか思って、みかりのまつげがふわりと動いてぐっと上に上がって、ぼんやりとでも素早い思考で、ああ、瞬きをして目を上げて俺を見た、なんてどうしようもなく当たり前の見たままの事を思って。
その時、水が滴る関君の顔のラインがフラッシュバックして。
みかりのまつげの上を滑り台みたいに水滴が滑り飛んでくる気がして、反射的に目を閉じて開けるその刹那に。
俺の中で何かが切れて妙にフラットになった。理解、諦め、納得、どれもちょっと違う。
みかりの背中で俺の指先が何度かひっかかり、沈む。
ごめんね。みかり。
「…ピザまだかかるかな?」
「サチ君寝てたの10分くらいだし」
「シャワー浴びてくる…そういや病院で一番最初に半ば意識ないまま水かけられただけだった」
「あは?お水はないでしょ」
「はは、んーお湯かも!」
「きゃあサチくん!そこにサメだあ!」
「その遊びは終わり~」
サメはいないかもしれないけど、沖の方に向かっているのかな?俺。なーんて。風呂場に行くだけだけどね。
シャワーを頭から浴びる、思ったよりも早く足元に湯がたまり、排水溝のアミを裏返しコンコンとそれを下水に向かわせる。
ま、いいか
アミを外したまま頭を泡立てる、爪にあれが入り込む感覚、さっき切れたのはキモいって感覚も切れたのかもな、ならかえって都合がいいや。
そうだ耳の中も。
最初に、俺は間違えた。
みかりの指をあるべきところに戻そうとしてしまったこと。それはあるべきところではなかったから拒絶反応的なものでぐずぐずになって…
でもあのよく分からないきらめくひらめきは間違えていなかった。
単純に離すという事。
でも。
ひときわ大きな塊が一瞬俺の左足の小指にひっかかり、水流に乗って暗い穴へ消えた。
こんなにたくさん俺にみかりのかけらがついてたんだもんなあ、そりゃあ背中に穴開いちゃうよ
みかり、ごめんね。
愛をこめてみかりを引き離す。愛をこめて。こめて。もう会えない。さようなら。
でも、でももうだめだ。
どんなに身体を削るように洗っても流しても。
もう分かっている。俺はみかりがバラバラになったあの瞬間、はじけたみかりを飲み込んでしまったのだろう、その俺がそばにいる、触れている。
ゲロで出た部分、糞で出ていく部分、でも残るみかりの部分。
本人同士を合わせてはいけないのなら、傍にいて触れ合うなんてもっと
それは良くないことだろう、それ以前に本能的な感覚でこれはやばくてタブーなんだって分かる。
VRのみかりは身体がぐずぐずになろうが痛くはないんだろうと思う、でも…可哀そうだ…最後の思い出サービスタイムまで醜い姿で俺の前にいなきゃなんないみかり。もしかしたらみかりの本体の方も影響があるのかもしれない。
ふと意図せず小便がチョロチョロっと流れ出て、はあ?って思ってすぐ、あ!みかりごめんごめん!って急いで小便からみかりを逃がそうと排水溝にシャワーをあててやべえみかりがいってしまうさよならって涙ぐみそうな俺が馬鹿らしくて身体を起こして見た鏡に映った俺の顔が妙に素で
ああ、一周回ってどうでもいいって境地か。理解、諦め、納得、どれもちょっと違う。って思ったけど、そっか。一周が長めでかつ障害物多めな。
あーそっか。ただ俺もうどうでもいいって思ってるわ。
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