第2話 プリンス

 クーラー?雨? 

 ああ、シャワーか。

 俺、座ったままの姿勢で?

 男の声。

「あー詰まるな排水溝。もっと拭き取ってからだな」

 これあれだわ。意識今戻っちゃいけない系だわ。グッナイ。暗転。無理にでも。


 俺の回りぐるり。上から声が。寝かされているのか。

「娘は!ああ!」娘?ってことはみかりまま?愛知からきたの?

「詳しい状況は旦那さんが目覚めてからゆっくり聞きましょう、ただ旦那さまもショックで‥」

 俺かい、旦那さま。

 詳しくって‥やだわあ無理だわあ。起きていない、俺は起きていないぞ。


 みかりが俺のアレを持ち上げる、おいおい、でも嫌いじゃないぜ。こういう下品な起こし方。顔が近付く気配。少し期待して神経を向ける。‥♥️

 !!ッ!イッギャアアアアアッ!

 な、ん、だ、よ、!

 串刺しにされた?

 どうなった?俺のチンコ?

 突然おふくろの声がよみがえる。7…8年前か、じいちゃんが入院した時だ。

「おじいちゃん、おしっこの袋ぶらさげたまま病院徘徊して困るわあ」

 あれか?あれなのか?あれを装着、してんの?

 う?もう痛くない。でもあの痛みがもしもう一回来たら俺は…

 うん、気のせい、あんな痛いこと、あるわけない。俺の意識はなかなか水面に上がってこない。


 でも俺は分かってる。いいかげん分かっているのだ。

 起きなければならない、現実に向き合わねばならない。

 はあ。これからすっげー面倒なやり取りが一気に押し寄せてくるんだろう。

 バシッと頬を叩いて膝をベシッとして「うおっし!やるかー」なんてガッツポーズ。できるような精神的元気はないが、そろーり目をあけて声を出そうとした。ちょっと人の気配も減ったしね。

「ッあ、う」

 上手くでない。

 視界。看護師、若い男性とそうでもない女性。帰り支度をしていたようなスーツの男は誰だろう?同じ病室の患者だろうか?老人が

「おお!おきなすったぜー、眠りの王子様~」

「ぐ、が」

 俺は喉を抑える。

 看護師(女)が

「あら!お水、飲む」

 と、え?この不快な口腔内のモヤっとしたものを飲み込む?と、それだけで胃が上下する。

 驚いて帰り支度をやめていたスーツはにっこりと笑って

「…洗面行きましょうか?寝すぎたらまずうがいと顔を洗いましょう」

 あ、うんそれがいい。うんうん。とうなずく。

 急に立ち上げるのは危ないと、看護師二人の補助で簡単な車いすに乗せられる、その俺の腿の上に例のおしっこの袋がおかれタオルが乗せられた。やっぱりそうだ。うお…変な動き方して針的なもの?が飛び出たら?こ、わ、い~。でも全く出してる間隔ないのに結構たっぷんたっぷんはいってたなあ。不思議だわ人体。

「が、ごほ。いや、いろいろあると思うんすけど(俺のチンコ今どういう状態で?)」

 看護師(男)聞こうと思ったが車いすは看護師(女)が押して洗面所まで行くみたい。俺はまだ恥じらいがある。聞けない。

「いいのよいいのよいいのよ。大変だったんでしょ、気にしないで、それであなた」

 めんどくせ。根掘り葉掘り怒涛の質問攻めが始まるのか、しかもおしゃべりレベルボス級とみたぜ…と、向こうから颯爽と男が歩いてくる。さっきのスーツの男だ。

「あ!河下さん!売店で歯磨きセット買ってきましたよ!じゃ、男子の身だしなみですんでここから俺が」

 するりと車いすに手をかける。

「あらあ私が最初にいろいろ聞きたかったのに~」

「それはちょっと酷くないですか、河下さんは…」

「違うわよう心配で…」

 いいつつ居心地悪そうに他にも仕事が…とぶつぶつ言いながら去っていく。グッジョブ!

「んが、あっとサンキュ。っと」

「あ、関です。ご挨拶遅れまして。VRの関智樹です」

 そうかVR…そんなことも考えなきゃいけないのか。

「関君…俺、頭まだ回らないけど君には好印象しかないよ」

「はは。光栄です」

 こーいうヤツって自分がモテているの気づかなかったりすんだろうなあ?

 後ろから日が差して、進む方向に影が伸びている。何だか関君て影でさえしゅっとしてカッコイイなあ…。


 泡を吐き出す、口をゆすぐ、歯ブラシを水で流す、と、関君が歯磨きをにゅっとだして歯ブラシに乗っける、ガシュガシュと口の中がまた泡だらけ、吐き出して、ゆすいで、流して、関君が…

 5回もしたら気が済んだ、磨きすぎて歯ぐきから出た血でピンク色の泡が一筋ゆっくり排水溝に吸い込まれていく。

「はは!もちつきかよ!ナイスパートナー!」

「ですね」

 と笑いかけた関君が

 何かに気づきおもむろにその泡に指を突っ込んだ。

「きったね!何を‼う‼ううえ」

 少量だが水鉄砲のように緑色の胃液が飛び出て、関君の指とつまんだソレにかかった。

 関君の右手はつまんだソレを蛇口の下で角度を変えながら、泡と俺の胃液を洗い流す。左手は俺の背中をトントンとさする。ほんと関君、女房役、というか、ね。ああ、女房、か。小指だろうか?小さな爪のかけら、裏側には白く膨らみぶよぶよとした肉?みたいな。みかりのネイル、変わっても気にならなかったけど、たまに欠けたり剥げたりしてるとだらしねえなと苛ついた、ま、言わなかったけど。ずっと俺の口の中に…そういや「ずーっと一緒だね」ってアホか。

「…関君、俺さあ…結婚したんだよ、今日」

 関君はペーパータオルで丁寧にみかりを包んでくれて、おれはエヅいてるんじゃなく、しゃくりあげている。泣いている。

 タクシーの運ちゃん相手ではないが、言いたかったセリフは言えたんだなあ、俺のささやかな希望は少しだけ叶ったのか?でもさ、それにしちゃあ失うものが多すぎやしないかい?

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