VR ホラー 666

只木のりあ

第1話 天突

 ♪イトーニイクナラ ハットヤアー ハトヤニキメター♪


「もうずーっと一緒だね」


 俺だってちょっとはロマンチストなのだ。吐き気がするほどじゃあないが。ちょっとは。


 例えば婚姻届を出した帰り。イイ感じのレストランテにでも寄る、いつもはメニューの上のほうしか頼まないシャンパンも「オススメは?」なんて聞いてみてもいい。スマートな花火がパチパチと刺さったケーキが出てくるかもしれないし、回りの客も見ず知らずの俺たちに暖かく拍手やおめでとうを投げ掛ける。彼女の瞳が映した花火と感動の涙でキラキラと光るのだ。イイ感じのホロ酔いで乗ったタクシーで「運転手さあん、俺ら今日結婚したんす!」「やだあもー恥ずかしいい~」「ありゃ!めでたいねー!飴ちゃん食うかい?はっはっはー」


 そんなささやかな妄想も

「は?外食?今から?面倒くさ。どうせ予約もしてないんでしょ?あ、40分の快速、間に合うよ」

 と、駅に向かう彼女‥いやもう妻か‥と分かち合えない。

「どうせ」の攻撃に対して俺はいつでも圧倒的に無力だ。


 思い出の日に届けだしたいの。まあいい。

 式場はあそこがいいの。まかせる。

 でもね、でもね、式は秋にしよう?すぐに予約とれないし、プランの為にはも少しお金ためたいし、呼びたい親友が留学中だし、後悔しない式にしたいの、それとね、ブライダルエステ、やりたいなあ。まあ、面倒だけど、仕方ない。


 結婚するにあたり彼女の希望はなんでも聞いてきたはずだ。

 ただ夫婦になったっていう記念のその日にレストランに行こうって俺のささやかな希望を聞いてくれてもいいだろうが。かわいいだろうが。

 仕事終わりに待ち合わせ、役所に届けを出してホームで快速を待つ。電車、一番前で待ってるとそれはそれで降りるときにすみませーんってさああ。なるよなあ。奥に追いやられてさああ。

なんだよこれ、俺だってさあ。あー腹へったし。あー。あーあーっとぉ。

「もうずーっと一緒だね」

 彼女が腕を絡めてくる。

 クソ女、妄想さえ遮ってくるんじゃ‥なんて言えず

「こんなとこで貧弱な胸押し付けてんじゃねぇよ」

 ッ!ヤベエ!俺何言ってん!

 彼女の顔が固まる、腕の力が抜ける

(ヤベヤベ!「ウソだよーう、世界一かわいい♥️」とか言って腰を抱き寄せるんだ、急げ俺!)

 俺がニヘラっと軽口たたきますよって顔になるちょっと前に彼女の腕がするりとぬける、彼女の顔は「は?」って怒りと驚きフィフティフィフティ。

 だけど、その顔がそのまま平行に前に勢いよく突き動かされて?「は?」何?電車?バシャッとバケツの水をかけられた?何の?胸にドンッと何かがあたり思わず両手で受け止める。そうだそうそうこのポージング。

 ♪イトーニイクナラ ハットヤ ハトヤニキメター

 今の若ぇやつらにゃ分かるまい‥俺だって、親父がいちいちやるから動画検索して…そういや中学で一時流行らせてやったぜ。

 ‥隣に彼女はいない、彼女の…みかりのいたポジションに女がいる、膝をついて。奇声をあげている。そうそう、ところてんがにゅってでるみたいにね。みかりが女に押し出されたからね。実際見たことないけど、あの調理器具。

 女が盛大にゲボッた。口から卵を生み出す大魔王みたいに。口から出かかったゲロが一時停止したようにも見えるが、んなことはない。ただただ俺の思考が急にフル回転したり急に考えるのをやめたりしてるだけ。

 びしゃあああああと散らばったみかり、だったものと女のゲロが混ざる。

 マジかよ。なあ?

 両手でお姫様抱っこしているのは。イトー名物の新鮮なお魚、なんかじゃあなく、先ほど我が腕に絡められていた我が姫君の右腕でありますぞ。肘から上は5㎝くらいしかないけどね、残念!こいつの腋がね、割と好きでね、いやいや、そういう感覚、必要じゃん?例えば汗臭が好みか好みじゃないかって結構重要じゃん?腕の内側、色白だなあ。でもこーいうとこの毛の処理甘いのがなあ、つかブライダルエステ?脱毛まだなん?間に合うのかよ?

 早く。

 ぜってー無理!早く!

 女が俺を見上げようとしている。一秒以内に目が合うだろう。

 早く、しなければ。

「みかりがこいつに突き落とされて」「電車にはねられて」「え?先ほど婚姻届けを出したばかり?」「そのままで申し訳ありませんが、事情を少々」

 早く。

そんなことになる前に、早く。

 全身みかりにまみれて駅員につれられて、俺。つれていかれるの?モーゼの海が割れる的な?樹海?じゃねーや、何だっけ?

 つうか。女が絶対俺の顔を見ようとしているんだぜ?

 こえーよ、逃げてーっす!

 なんつか。さっぱり、ぐっすりしてえな。少しだけ、少しだけでいいの、みかりん。

 無理だ。

 気を失いたい。早く。

 無理。

 早く気を失わなければ!

 だって血まみれじゃないか。俺。みかりの肉片にまみれているじゃないか。

 よし!気を失う、ぜ。強い意志。できればゲロのないほうに。右肩に衝撃、インザホーム上、軽くゴンっと頭がつく。倒れるの成功!と思ったとたんに女とばっちり目が合う。

 ざけんな。


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