外伝2「イボール首脳会議」

この日、イボールでは3首脳による緊急会議が行われていた。魔族の奇襲から生き延び、イボール軍にクレアが報告してから3日後。まだ軍属であったクレアが目覚めた日である。


「それでは始めるか」


 開会を宣言したのは、イボール領主たるグリンバン伯爵である。42歳となる彼は多少肥えてはいるが、肥満とまでは言えない体型を持ち、落ち着いた目をしている。印象的ではないが、イボールを着実に交易都市として成長させている男である。


「ええ始めましょう。今回は守護長権限での緊急会議ですから、それはそれは本当に重要な案件なのでしょうね?」


 彼女は文治長アステリア。30代前半のスレンダーな美人と言ってもよく、見るからに切れ者だと思わせる顔立ちをしている。子爵でもあり、イボールとその周辺地域の政治を司る。少々言葉に険があるが、職務中に呼び出されたのだから仕方がないであろう。


「仕方がなかろう。ワシも軽々と会議は行わんわ」


 こう返すのは守護長フォラン。50代の男性であり、過去にはあまたの戦場で功績を持つ男爵でもある。守護長としてイボール内の治安維持などを行う彼は、視線こそ柔らかいが、その体は鍛え抜かれ、いつでも現役復帰出来そうである。


「今回緊急会議を行なった理由じゃが、イボールから西に3日、そこにある平原に魔族が現れたようじゃ」


 フォランの言葉を聞き、2人の顔に緊張が走る。それほどまでに魔族は危険なのだ。


「それは間違い無いのか?いや、フォラン守護長の事だから裏は取れてるのだろう?」



 グリンバン伯爵にとっては爵位が下の2人だが、フォラン男爵とアステリア子爵の存在は大きい。アステリア子爵が居なければ現在のイボールの繁栄は無く、フォラン男爵なしにイボールの平穏はなかった、と彼は認識している。


「勿論じゃ。事実確認の為に向かわせた部隊が昼に帰って来おった。現場の死者と行方不明者合わせて149名。死者の状態や装備や位置、行った部隊が知っておった顔から、この時期に遠征訓練をしておった第二歩兵軍第三部隊が魔族に襲われ、壊滅したと見て間違いないわい」


「本当なの!?それならば緊急配備が行われるべきでしょう!?何を呑気にしているのよ!!」


 アステリア子爵が叫ぶ。彼女は平時に置いては冷静な判断力を持つが、戦争・戦闘行為に対しての過敏なまでの反応が珠に傷である。


「落ち着かんか馬鹿者。その点も抜かりないわい。現時点で騎馬で1日圏内、少なくともイボール周囲で魔族はもう居ない事が確認出来ておるわ」


 爵位が上の子爵に対して不敬な言葉だが、守護長と文治長はその職務に置いての優劣はない。少なくとも公務の一環であるこの会議では、フォラン男爵とアステリア子爵は同格なのである。それでも実際に爵位を無視して発言できるのは、ひとえにフォランの豪胆な性質ゆえであろう。


 フォランの話を聞いて落ち着きを取り戻したグリンバンだが、そこでふと気がつく


「少し待て。歩兵部隊の定員は150名だったな。死者行方不明者149名だと1人戻ったのか?」


「そうですな。生還したのは副隊長のクレアじゃ。彼女のおかげで行動が速く出来、現時点で全容究明が出来たわい」


「なるほど、では何故報告が今になった?」


「ワシの権限で警戒配備を行い、その上で情報の精査をしておった。魔族は神出鬼没、すぐに居なくなるゆえ、状況証拠等の情報の確定までは報告のしようがなかったわい」


「ならば良し、だな。だが出来れば情報は早急に上げてくれ。未確定情報ならば未確定と言ってくれれば問題ない」


「かしこまったわい」


 そうしてフォラン男爵とグリンバン伯爵は一息つく。しかしすぐに深刻そうな顔でグリンバン伯爵は切り出す


「となれば、生還したクレア、だったか?を中心に急ぎ、部隊を再構成しないといけないな。フォラン守護長、任せる」


 しかしフォラン男爵は悲しみとも苦笑とも取れる微妙な表情で


「それは無理じゃ」

 と返した。


「何故だ?その者も再起不能な怪我があったか?」


「違うのじゃ。クレアは今朝、『8割軍令』による除隊を求めて来おった」


「え?8割軍令?何よそれ?」


 沈黙を守っていたアステリア子爵が知らないのも無理はない。軍令とは国家所属の軍人が守るべき法であり、軍人ではない彼女には縁がない物だからだ。国法と矛盾しない範囲で独自の法が認められている。軍規違反などに対する処罰などの規定があり、その処罰は重い。


「アステリア文治長が知らないのも当然じゃ。これが適応される状況も、それの適応を求める者も稀じゃからな。かく言うワシもこの軍令は調べ直す必要があったわい」


「フォラン守護長が知らないなんて珍しいわね。そろそろボケたんじゃないの?」


「たわけ。こんな物、知ってる方が珍しいわい。こいつは『作戦行動従事者』の内、8割以上の犠牲者・行方不明者・再起不能者が出た場合に適応される物で、適応者は申告を行うことで即座に除隊が出来る。そういう軍令じゃ」


「へー、そういうものがあるのね。でも話を聞く限り、そこまで使われないものじゃ無さそうだけど……何年か前にもキャベルとの戦争があったでしょ?たしかイボールからも軍を出してたわね。私はまだこっちに居なかったから具体的には知らないけど」


 アステリア子爵が確認するように質問する。イボールはリュフ王国に所属し、その北にはキャベル帝国と呼ばれる国がある。双方の関係は悪く、数年に一度の頻度で小競り合いが起き、時には大規模な戦争になることもある。アステリア子爵がイボールに来たのは直近の戦後である


「ああ出したわい。じゃがこの軍令は抜け穴があってのう、先の戦争における適応者は間違いなくおらん。断言してもいいぞい」


「そこまで言うのか。何故言い切れる?」

 グリンバン伯爵が話に割り込む


「この軍令は『作戦行動従事者』と言う文言がくせ者でな、作戦に関与した全ての人間がこの括りに入る。矢面に立った者は勿論、物資の輸送を行った部隊や後方維持任務などの裏方の部隊も含んだ上で8割の犠牲者が出ないと適応出来んのじゃ。つまり戦争でこれが適応されるときはおそらく国が滅びる時じゃな」


「縁起でもないことを言うんじゃないぞフォラン守護長。もし変に漏れたら面倒なことになるぞ」

 フォラン男爵の言葉をたしなめるグリンバン伯爵。国が滅びるという言葉が曲解されて王の元に届けばフォラン男爵の首が飛びかねないからだ。フォラン男爵も「これは失敬」と詫び、話を続ける


「今回は遠征訓練の対象が150名。その後の騎兵偵察は緊急治安維持の名目で行ったから別の作戦にせざるを得ん。8割軍令の条件を満たしてしまうのじゃ」


「なるほどね。それが適応者が少ない理由として、これが忘れられる位使われなかったのはどうしてなの?」

 アステリア子爵の言葉にグリンバン伯爵が答える。彼も元を正せば軍人であり、軍の慣習はよく知っていた。


「それは簡単な事だな。崩壊した部隊が再編成される場合、そこの新隊長、新副隊長といった下士官は生き残りから選ばれる事がほとんどだ。適任者が居なければ他部隊から適任者を選ぶが、そういう生き残り達は結束が固く、全く知らない者が指揮するよりも内部の人間が指揮した方が個人のクセや内情を理解している分上手くいく。そして昇格の可能性を捨てて除隊を志願する者はあまり居ないからな」


「そういう事ですか、理解しました。となると、彼女は軍令に則って退役を申し出たと」


「そうなるわい。一応3日だけ返事を待たせ、心変わりしないかの猶予を与えたが、あれは望み薄じゃのう」


 グリンバン伯爵は軽く息を吐き、フォラン男爵に一瞬目を合わせてから会議を閉めた。


「そうなれば1部隊新たに作り直さなければいかんな。采配はフォラン守護長に任せる。アステリア文治長、恐らくだが今回の件は噂として広がるだろう。民の動揺を抑えるために政治面からのイボール治安維持を任せる」


「分かったわい」「了解致しました」


「では解散だ」


 アステリア子爵が部屋を足早に出て行く。恐らく部下に指示を出す為だろう。しかしグリンバン伯爵とフォラン男爵は残り、グリンバン伯爵が切り出した。一瞬のアイコンタクトは彼と話すためだったのだ


「望み薄か。その者は出世をするつもりは無いか?」


「ないですな。もともと彼女は特殊だったからのう」


「どういう事だ?」


「あやつは副隊長じゃが、何度も昇格を断っておる。彼女の実力であればイボール精鋭たる第一部隊の隊長とも遜色なく渡り合えるじゃろうし、戦闘時の瞬発力ならば王都の精鋭部隊に入っても上位に食い込むじゃろう。じゃが、彼女はあの部隊以外には居るつもりは無かったのう」


「そこまでか。そこまでしてこだわる理由は?」


「憧憬、ですな」


「憧憬?何にだ?」


「彼女は5年前にここに来たのじゃ。彼女の上司たるセフィリアという隊長に連れられてのう」


 突然彼は昔話を始めた。


「クレアはセフィリアが長期休暇の時に拾った娘でのう。セフィリアによると、偶然行った街が燃えていて、そこで拾ったそうじゃ」


「5年前……まさかクジャラート大火の生き残りが居たのか!?」


 グリンバン伯爵が驚くのも無理はない。クジャラート大火、それはクジャラートという一つの都市が一夜にして燃え尽きた大災害であり、その生き残りは居ないとされていたのだ。


「そうじゃ、じゃがクレアはどうも記憶を失ったらしくてのう。最初の記憶が、その大火で燃える街の光景だったらしいんじゃ」


「そこを偶然セフィリアとかいう隊長が拾ったと」


「そういう事じゃな。そのせいか分からんが、クレアはセフィリアによく懐いてのう。この街では姉妹のように扱われたようじゃ。そしてクレアは剣術にも体術にも、更には魔法にも優れた技量を見せ、セフィリアの隊の副長に収まった。彼女にとってはセフィリアの居る隊で力を見せるのが全てだったようじゃの」


 そこまで言われるとグリンバン伯爵は全てを察した。


「分かった。クレアという者にとってはセフィリアという隊長が全てで、そもそも出世などはどうでも良いものだったのか」


「そういう事じゃな」


「ではクレアを無理に引き止めるのは不可能だろうな。フォラン守護長、その者を手厚く労え。セフィリア隊長に対する忠義を称して、退役金も大目に払ってやれ」


「分かりましたぞ」


 そう言うとフォラン男爵は部屋を出て行った。グリンバン伯爵は大きく息を吐き、小さく呟く。


「魔族の出現、これが何かの前触れでなければ良いが……」


 窓から見える外の雲は厚く、重たげであった。

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