第5話

 俺が意識を取り戻すまでそれほど時間は掛からなかったようだ。その間にクレアは着替えたらしい。そして俺の意識が起きた事を察したクレアは、素早く俺に詫びてきた


(先ほどは本当に済まなかった!とっさの事で、君を殴ってしまった)


 この時に俺は何となく気がついたが、俺の意識とクレアの意識は、それなりに近い距離のようだ。だから相手の精神的な動揺がこちらには伝わるし、彼女の精神が身を乗り出したり、殴ろうと動けば届いてしまうらしい。やろうと思えば取っ組み合いも出来るかもしれない。

 さて、考察はこの位でやめて、クレアをどうにかした方が良いな。このままだとずっとこのままな気がするしな


(あー、今回は良いよ。俺もちょっと無神経だったしな)


 着替える事がわかっていて視覚の共有を切っていなかったのは俺が悪いし、人の体格に触れたのも無神経だったのは間違いない。つまり俺にも非があるので、それで流してもらおうと思ったわけだ


(しかし、それでは私の気が……)


(じゃあ、俺にいろんな事を教えてくれよ。それで良いだろ?)


 思いつきでクレアの言葉を遮るように言ったが、これは良い気がする。魔法技能があるって事は魔法が使えるって事だろうし、異世界だから元の世界の常識が通じない事もあるだろう。そういう事を彼女に教えて貰えばいいのだ


(そんな事でいいのか?)


(ああ、どうせこれからは一緒なんだろ?だから教えて貰えるのは大歓迎だ)


(それで良いなら了解した。じゃあ食事を取りにいって、旅の用意をしよう)


 そう言って、彼女は部屋の片隅に置いてある大きな革袋を開けた。中には少しの衣類と毛布、木製の容器やナイフなんかが入っていて、少し膨らんでいた。これが旅に必要というなら、前々から準備していたんじゃないだろうか

 その中からナイフと金属音のする袋(財布だろうか)を取り出して身に付けたクレアは、ドアを開けて階段を降りて行った。


 1階は広々とした作りで、4人掛けや6人掛けのテーブルが多い。幾つかのテーブルでは食事を取っている人達が居て、ウエイトレスと思われる女性2人が注文を取ったり、食事を運んだりしていた。

 感心している俺をよそに、クレアはそのウエイトレスの1人を呼び止めると、

「23号室のクレアだ。食事を頼む」と小さな木札を渡し、そのまま2人掛けのテーブルに座った。さて、そろそろ話を聞いてもいいだろう。


(なあ。今から話がしたいが良いか?)


 俺がこう声をかけると、クレアも予想していたのだろう。動揺もなく言葉が帰ってきた。


(問題ない。何が聞きたい?)


 質問したい事は幾つかあるな。旅の用意がどれ位済んでるかも分からない。魔法の事も聞きたいしな。それよりも、先に決めたい事がある。


(とりあえず、肉体をどう使うか決めないか?というか、今俺が使ったらダメか?)


 精神は2人居るが、使える体は1つだ。その取り決めはしないと駄目だろう。

 これを聞くと、クレアは少し躊躇いながら答えた。


(街を出るまでは私が使っても良いか?何人か会う必要がある人が居るし、その人達には挨拶がしたい)


 …その気持ちは分かるな。旅に出るなら話しておきたい人もいるだろうし、俺が体を使って対応が変わったら相手も心配するだろう


(それならしょうがないな。じゃあ街を出るまでは任せる。出てからはその時に決めるか)


 そう言った時、目の前に食事が運ばれてきた。クレアが目を上げると、ウエイトレスではなく、豪快そうな風貌のおっさんがそこに居た


「遅かったな!クレア嬢ちゃん。今日の昼にはここを出るんだろ?」


 見た目に違わぬ声のおっさんだ。そしてクレアの事を知っているらしい。


「おはよう、アダンさん。今日の昼前にはここを出ようと思っています」


 このおっさんがこの宿の主人のアダンさんらしい。前からここの食事は好きだってクレアが言っていたし、それなりにクレアの事を理解しているのだろう。そう思っていると、アダンはこんな事を言ってきた


「いやーこの街の人気者の『壁駆けクレア』ちゃんが冒険者になるとは、世界は分からんな!じゃあ街出る前にもう一度来な!」


 そう言うと、アダンのおっさんは去って行った。それにしても……


(壁駆けクレアってなんだそれ?)


(………それは後で話す。今は聞かないでくれ)


 顔が少し赤くなっている様子だが、話したくないのか?まぁ、あだ名みたいなものだろう。たぶんだけどな。

 そんなことよりも食事である。パンに野菜と肉が入ったスープ、野菜のサラダと小さなミカンのような果物というメニューだ。


「アダンさん、おまけしてくれているな。確か果物類は朝食にはないはずじゃないか…」


 クレアは小さな声でそう言いながらも嬉しそうだ。パンを少しづつ食べ、スープやサラダも食べていく。味覚も共有している俺はその味を一緒に楽しんでいた。

 パンはちょっと硬く、スープに浸してふやかしながら食べている。スープは野菜や肉の味が出ているのか味がしっかりしていて、パンと一緒に食べると丁度いい。サラダも何かのソースが掛かっているようで美味かった。

 少し食べるペースが遅く感じたが、単に味わって食べているといったところだろう。そして満腹感はクレアの体に依存しているようで、この体になる前なら確実に足りない量で俺も満足できた。


 朝食を食い終わった俺たちは、街に繰り出すことになった。だがその前にやりたい事があったので、一度部屋に戻って俺が体を使う事にした。

 それは空間作成『倉庫』の能力だ。食事後に聞いたが、旅の用意は9割位は済んでいて、後は保存食やその時に気が付いたものを買うつもりらしい。それならその前に、この能力が使えるものなのか試したかったのだ。クレアにそれを説明したら、

(持つ荷物が少なくなる事は良い事だな)

 と理解を示していた。

 部屋に入ると、俺に体を渡したクレアが聞いてきた。


(どうやって『倉庫』を作るのか決めたのか?)


(ああ、決めた。という訳でやってみるか)


 俺は目の前の空間に「つまみ」をイメージして、それを掴んだ。そしてそれを一気に引きおろす。

 俺がイメージしたのは、いわゆるファスナーだ。引き戸なんかも考えてみたが、これが1番イメージし易かったのが大きい。

 目の前にパックリと口を開けた空間が出来た。この中が『倉庫』になっていて、物が入れられる……はずだ。


『鑑定』の力をくれていた以上、あのジイさんが嘘を言っている事は少ないだろうが、多少は緊張するな。とりあえず、何か失くしても惜しくない物で試したいが……


(なあ、なんかここに入れる為の物ないか?失くしても良いやつが良いけどさ)


 俺がクレアに話しかけるが、クレアからは反応がなかった。どうした?


(おい、クレア?起きてるか?)

 呼びかけるように言うと、クレアは再起動したようだ


(あ、ああ。少し驚いたものでな。そして何か入れる物か………。とりあえず1リュフ銅貨で良いと思うが)

(どれだ?それ。たぶんこの袋の中だろうけど)


 ズボンのポケット(外付けのポケットで、厚めの布で作られているようだ)から金属音がする小さな革袋を取り出すと、頷く気配がした


(それだ。その中に何枚か銅貨が入っているはずだ)


 袋を開けると、小さめの銅貨数枚と同じサイズの銀貨や2回りほど大きな銀貨がそれぞれ数枚、そして銅貨と同じ程度大きさの金貨が1枚入っていた。その中から銅貨を取り出して鑑定すると、「1リュフ銅貨」と出た。これならもし失くしてもいいらしい。

 それを持って改めて作った穴を見ると、その穴は真っ黒で中に何があるか全く分からない。少し怖いが意を決してその穴に右腕を突っ込んだ。

 中は何も無いような空間でそこに1リュフ銅貨を入れる。手を離すと音もなく銅貨は暗闇に消えた。見えない空間に物を入れるのはちょっと不安を感じたが、そういうものだと言われればそうなのかもしれない。


(なんというか、少し不安になるな)


 クレアも同じ意見だったらしい。感覚は共有しているから当然と言えば当然だ。

 さて、とりあえずはこの穴を一度閉めて、もう一度開け直してから銅貨が出せれば、この『倉庫』は使えると思って良いだろう。そう考えて一度ファスナーを閉める。その後、左手側の壁に触れてそこに倉庫を作る。壁でも床でも作れると書いてあったから、その実験も兼ねている。

 はたして、そこに穴が出来た。右腕を入れると、やはり何もない空間で、そして頭の中にリスト表が浮かんできた。その表には、

「1リュフ銅貨×1」

 とだけ書いてあった。

 頭の中でそれを選ぶと、右手に物が触れた。それを掴んでから右腕を出し、掴んだ物を確認すると、先程入れた1リュフ銅貨だった。やはりこれが『倉庫』の能力で間違いないようだ。俺が銅貨を袋に戻すと、クレアに声を掛けた。


(実験完了。じゃあ体渡すぞ。俺だと何処で何を用意すれば分からんから、その辺は任せる)

 そう言うと、俺はクレアに体を渡し、彼女はリュックを背負うと外に出た。

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