紙とペンはおあずけ。

都世坂柚奈

紙とペンとお隣さん。

今日も声が聞こえる。小鳥のようにか弱くて、透き通ったまっすぐで意思のある声。

声の主は、先月引っ越してきたお隣さん。小動物に似た愛嬌ある女の子、というのが第一印象。ここは防音設備が整ったマンションなのだが、彼女の声は毎朝ベランダで聞こえている。だがそこに歌詞はない。メロディーラインだけを口ずさんでいるのだ。


「♪~♪♪」


何にも縛られることなく、まっすぐな歌声。その姿が昔の僕と重なって、なんとも言えない気持ちにさせる。僕は半年前まで作詞家として活動していた。売れっ子まではいかないが、そこそこのキャリアは積んでいたと思う。それが突然納得いく歌詞が書けなくなってしまった。ペンを持ては何か思い浮かぶのに、今は何も浮かばない。


感じるまま自由に歌詞を書いていたあの頃の僕がドアを叩いて呼んでいる、忘れていた感覚。それは日に日に強くなっているのは分かっていた。沸々とした感覚を忘れないように、僕は窓を少し開けた。


「♪~♪♪~♪~♪」


僕は彼女の歌に乗せてギターを弾いた。彼女の声は一瞬途切れたが、再び口ずさみ始めた。少し声が弾んでいるように感じてたのは気のせいだろうか。少しの高揚感と心地よさを感じながら、僕と彼女のセッションは始まった。毎朝のセッションから2人で曲を作って路上で歌ったりもした。それが楽しくて仕方なくて。彼女との出会いから止まっていた世界が目まぐるしく回り始めた。


始めた当初は売れない作詞家とシンガーソングライターだった僕らは、2年後。

ビジネスパートナーとなり、これから生涯を共にするパートナーになる。この紙に君と名前を並べる喜びを忘れないように、想いを刻むように名前を書いた。







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紙とペンはおあずけ。 都世坂柚奈 @y-toyosaka

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