6-3

 しまった。私は急いでノートパソコンの音声出力をミュートするけど後の祭り――――別のカメラが六畳間のダッチワイフの姿を捉える。ダッチワイフは掴みあげたカメラをまじまじと見つめている。かつて自分が仕掛けたもの。何の違和感もないはず――――けど、ダッチワイフはわざとらしく首をかしげてから、逡巡している。


 私は息を飲む。額に薄っすらと汗が滲む――――失敗だった。もしかしたらカメラを取り上げたときパソコンから発した大きな物音――――あいつには聞かれてしまったかもしれない――――ダッチワイフは何度もカメラを裏返しては不思議そうに首をかしげている――――ハッとして気づいた――――カメラの存在自体に違和感を持ってるわけじゃない――――私が監視に使いやすいよう場所を動かしたことに気づいたんだ――――ダッチワイフは自分の記憶と照らし合わせて違和感の正体を突き止めようとしてる――――これは憶測の域を脱しないけれど、あいつは随分前に盗撮カメラが機能してないことに気づいてる。私が何らかの方法で映像を遮断してることを知ってる――――けれど、カメラを処分していないばかりか、こうして場所を移動してまだ動いていること違和感を持ってる――――当然の疑惑――――今になって、やっとカメラを逆に利用されてることに気づいたのかも――――奴は弾かれたようにパッと動き出した――――真っ先に私が待機してる部屋――――四畳半の納戸に向かって大股で歩いてくる――――私は心臓が止まるかと思った――――ダッチワイフは納戸の部屋のレバーハンドルを掴んで、バタバタと喧しく踏み込んでくる――――何かに取り憑かれたように周囲を見回す――――やっぱり――――私の発した物音に気づいてたんだ――――私はごくりと生唾を飲む。息を潜めて詮索が終わるのをひたすら待つ――――確認したはずの収納、ダンボール箱、そしてキャビネットも手当たり次第に隅々まで確認する――――そもそも広い部屋じゃない。私の姿はない。ダッチワイフは呆気に取られたように立ち竦む――――私がいないことに驚いたよう。


 カーテンを開ける、そっとクレセント錠に触れる。開いている。鍵は掛かっていない。掃き出し窓を開けてベランダに上半身だけ乗り出して再確認。おかしなことはない。窓を閉めてクレセント錠を施錠。カーテンを閉める――――逡巡する――――四畳半の納戸を後にしてトイレを覗く。私は居ない――――玄関の靴箱を確認。破壊された玄関扉を踏む。ギシギシとやかましい音が鳴る――――面白いものを発見したみたい。扉が軋むのを確かめるよう何度も踏みつけている。怖気づいて家から逃げ出さなくて本当に良かったと思う。判断に誤ったら、今頃後ろからめった刺しにされていたかもしれない。

 洗面所にいって収納の中を確かめる。洗濯機の中も見る。私の姿はない。ダッチワイフはハッとした様子で背後の浴室扉に手をかける。沈黙。迷った挙句、鼻をつまみ少しだけ浴室扉を開く。変わった様子はない。浴槽は風呂ブタが半分だけ覆い被さって二つに折れ曲がってる。逡巡した挙句、浴室扉を閉める。バタバタと歩いてリビングの方へ戻る。――――私は、ほっと息をつく。


 危なかった…………心臓の音がバクバクと鼓動してるのがわかる。私は浴槽の風呂ブタの陰に体育座りの格好で隠れていた。あと少し浴室の中に踏み込まれてたらすぐに見つかってたはず。毒ガスの中に隠れるのは咄嗟の思いつきだった。吸い込まなければ大丈夫――――覚悟を決めて毒ガスが充満する浴室に隠れた。あと少し欲をかいて、風呂ブタを動かして浴槽を完全に覆っていたら、迷うことなくめくって確認されてたはず。かえって隠れ蓑の甘さが功を奏したか、首の皮一枚で命拾いしたんだ。私はモニターでダッチワイフの後姿を追う。和室の扉の前にいた。


「――――!」


 行動が早い――――危うくチャンスを見逃すところだった。私は洗面所から身を乗り出して外の様子を窺う。ディスプレイに映し出されたままの光景が視線の先にある。ポケットから南京錠を取り出す。目的はひとつ――――背後から近づいて、和室のバリケードに気を取られてる隙に扉に鍵をかけ、ダッチワイフを和室に閉じ込める。掃き出し窓と室内ドアの両方の出入り口を外側から施錠する。あの和室自体をそっくりそのまま大きな監獄にしてしまう算段。危険な賭けかもしれない。けれど、このままじゃ気が済まなかった。みどりのかたき。このまま捕まえて、必ずアイツを刑務所送りにしてやるから。


「…………」


 じっと後姿を見つめる――――ダッチワイフが和室のドアノブに手を掛けた――――ノブをまわす。扉を開く――――室内に踏み込む――――まだだ。ギリギリまで引き付けないと。焦って気づかれたら全てが水の泡なんだから――――和室のドア越しにアイツの後姿が確認できる――――バリケードに気づいた。両手で掴んで持ち上げる――――。

 いまだっ――――私は渡り廊下に一歩踏み出して、すり足でゆっくりと近づく――――物音をたてたら一巻の終わり――――床が軋んで物音をたてないよう細心の注意を払って進んでいく――――今まで渡り廊下から、和室までの道のりがこれほど遠く感じたことはなかった。額に汗が浮かぶ、もっと早く――――あいつが和室に居るうちに――――早く――――ゆっくりと歩を進める身体とは裏腹に、気持ちは焦るばかり――――でもダメなんだ――――焦りの気持ちから行き急いでしまうことが怖い――――渡り廊下と室内を仕切る室内ドアのノブに手を掛けてゆっくりと開く――――ダイニングキッチンを越える――――みどりの死体を跨ぐ――――和室の前――――目と鼻の先に男がいる。ダッチワイフの背中が今までよりもずっと大きく感じて、怖気立つ――――手にはギラギラと光る包丁を携えている。うるさいくらいに高まる動悸の音。恐怖に息を飲む。相手に気づかれたら、その鋭利な刃が突き立てられるのは私の喉元。真っ赤に染まる包丁と滴る鮮血を想像してしまう――――内開きのドアにそっと手を掛ける。「――――!」フッと、――――何かを感じたかのようにダッチワイフが硬直する――――瞬間、奴は背後を振り向く。至近距離で私と目があう。ぐっと手を伸ばしてくるが空振りする――――私が見た最後の瞬間――――ドアが閉まる。同時にガチャっと、ラッチが固く閉まる音がする――――鍵のない室内ドアにはデッドボルトがない。私はドアを壁と固定するように南京錠を固くはめ込む。ガチャリと音がして施錠する。

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