侵入
6-1【侵入】
ダッチワイフはうちに侵入してくると、迷わず玄関にアクセスする渡り廊下に隣り合う部屋の扉を開けた。四畳半の納戸になってる部屋。けれど、ダンボール箱をひっくり返してみても、ロッカーを開けてみても、パパの趣味のマネキン人形の裏を見ても、私の姿はない。
それもそのはず。私は家具のない五畳間の和室にバリケードを作って引き篭もってる。盗撮カメラ越しにダッチワイフを監視している。――――そう、私はあいつが侵入してくることを想定して前もって準備していた。だから玄関扉を突破されたときも取り乱さずに、計画通りに和室に隠れた。
恋愛の鉄則だ。相手にどこまで侵入を許すかを決めておくことが駆け引き。許されたと思い込む相手には油断が生じる。丸腰で裸になる女の子はいない。
目的は二つ。ひとつは協力者をあぶりだすため。私が迂闊に逃げられなかったのには協力者の可能性が脳裏にちらついてから。ダッチワイフにしたら計画は大詰め。土壇場で失敗しないよう総がかりで私の家に攻め込んでくるはず。相手を誘い込む目的があった。もうひとつは、自分の領域で戦うため。私の家の中は何が何でも踏み込まれてはならない絶対死守の領域。だけど逆に考えれば地理的に有利な環境でもある。発想の転換。敵の監視下にないこの空間だけが私にとって唯一不利なく戦える場所――――。
「……こない?」
けれど、私のねらいとは裏腹に第三者がダッチワイフに続いて侵入してくる様子はない。私の考えすぎだったのか。少し誤算だった。その時――――。
「――――!」
ガシャン――ガシャンッ、とPC越しでなく、生身の音が遠くから聞こえる。ノートパソコンのモニターで確認する。ダッチワイフが手に持った包丁を乱暴に振り回して室内を傷つける音。まるで見せしめのように家具を破壊していく。家の中を破壊される。間接的に身を引き裂かれるような暴力。心臓の音が大きくなる。私は悲鳴をあげそうになって思わず口元を押さえた。
「…………」
あいつを頭上から俯瞰し、冷静になって相手の心境を推察する。
あてが外れた――――ダッチワイフはそう思ってるんだろう。四畳半の納戸は狭いものの障害物が多く隠れるのには適している。また玄関にもっとも近い。相手を隠れてやり過ごしてから、入れ違いに脱出するなら、この部屋以外にはない。だからこそ、最初にこの部屋を潰しておかなくてはならなかった。――――そう、ダッチワイフの行動は極めて論理的で、一貫性がある――――それは一度盗撮カメラを仕掛けるために、侵入しているから――――家具の配置の関係や、地理的な長所短所も理解してる。知っているからこそ、行動は私の裏を読むものに限定される。行動パターンは画一的になる。
ダッチワイフは廊下に気を配る――――部屋を荒らしている隙に、この家で唯一玄関に繋がる渡り廊下から逃げ出されるのを警戒しているんだ――――けれど私はそんな無謀なことはしない――――だって奴の身軽さは監視カメラ越しの映像を見て知っているから。私は同年代の女子と比較したらノロマな方じゃないけれど、奴に本気で追いかけられたら簡単に捕まってしまうと思う。確実に不意を突く形でしか撒けないことを理解してる。
ダッチワイフは最後にカーテンを開けた。
「――――! やばい……」
私は、ちょっと怖くなる。緊張の瞬間――――ダッチワイフは掃き出し窓のガラスに触れてからそっと、引っ掛け金具――――クレセント錠に触れた――――何かが気になったのか、ふっと視線を落す――――問題ないことを確認してそっと窓を開けた。土足でベランダに踏み出す。広さにして奥行き四メートル、横幅90センチほどの手狭なベランダ。普段は洗濯物を干す以外に出ることがない。奴は手すりに触れてしげしげとマンションから地上を見下ろす。私がベランダから脱走したとか思ってるのか――――けれどすぐに興味をなくしたように頭を持ち上げる――――ダッチワイフはベランダを歩く――――六畳間の勉強部屋のフィックス窓――――ハメ殺し窓にそっと触れる――――内側からカーテンが締め切られてて中の状態は見えない――――次に、奥の和室の掃き出し窓――――ドンッ――――強い勢いで窓に触れる――――。
「――――!」
私は驚いてすくみあがった。悲鳴をグッと堪える。
ぼぉんぼぉんと、窓ガラスが振動する音――――私のすぐ背後。カーテンの代わりに設けられた緑色のロールスクリーンと、掃き出し窓一枚を挟んだすぐ後ろに奴は立ってる。その距離にして1メートルもない。けれど――――あいつはすぐそばに私が居ることになんて気づいてない――――暗視ゴーグルは障壁物を透視できるものじゃない。私は、息遣いが相手に伝わりそうになって、思わず息を止める――――ベランダに仕掛けた盗撮カメラが掃き出し窓に触れたまま硬直するダッチワイフの姿を捉えている――――私は、出来心からそっと背後を一瞥する――――夜の月明かりに照らされて、ロールスクリーン越しにダッチワイフの姿が浮かび上がっている。右手のシルエットがべたべたと掃き出し窓に触れる。窓がごんごん、と音をたてて振動してる。ふっと――――手のシルエットが消えた。ディスプレイの映像を見る――――諦めた様子でダッチワイフはベランダを引き返す。四畳半の納戸に戻る。窓を閉めて、カーテンも閉める――――私はホッと安堵する。
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