5-3
大きなショルダーバッグを肩に下げて、ぼぉっと佇んでいる。私は――――何を思ったのかインターホンの通話ボタンを押して話しかけてしまった。気がおかしくなったのか。ブタの話が無意識のうちに脳裏に過ぎったのかもしれない。
「警察に連絡したんだ」
「…………」
久慈川は微動だにしない。私はあくまでも強気にいう。
「もうすぐに到着する。今更逃げたって無駄だよ? うちには貴方が殺した私の親友の死体があるの……警察の手にかかったら、遅かれ早かれ、必ず捕まる」
「…………」
「どうしたの? 怖くて声も出せなくなった?」
「…………」
「どうして……なんで、みどりを殺したの?」
ダッチワイフは微動だにしない。私は続けていう。
「口を聞かないつもり?」
「私に恨みがあるなら直接言えばいいでしょ……どうして、みどりまで手に掛けて……」
「あははは……そうだよね、こんな臆病者なんだもん。怖くて怖くて、とてもじゃないけど面と向かって私となんて話せるわけないもんね。その証拠に今だってその変な着ぐるみがないと私の前に出て来れないんだからっ!」
私は挑発するようにいった。埒が明かないと思った。
「あなた、久慈川智でしょ?」
「――――!」
名前を呼びつけた瞬間。明らかに、ダッチワイフには反応があった。けれど、彼は相変わらず微動だにせずその場に立ち竦んでる。私は続ける。
「あなたのことは調べた――――昔、小学生の時に接点があったこと――――盗撮呼ばわりされてクラスで晒し者にされたこと――――全部」
「――――」
相変わらず反応はない。私は少しためらったけど、覚悟を決めていう。
「貴方には人生を変えてしまうぐらいの一大事だったのかもしれない。正直に言うと、悪いけど私はぜんぜん覚えてないんだよ。私が潰したムカつくやつって星の数ほどいるから一々気にしてたらきりないから……」
「…………」
今度は、ダッチワイフは何も感じていない様子だった。
私はモニター越しに相手のリアクションを観察する。人質を取って立て篭もった犯罪者を説得するような心境で、平常心を装って呼びかけを続ける。
「貴方が殺した私の親友のこと――――それから何の罪もない隣のおばさんのこと――――あなたがどれほどの憎しみを持って犯行計画を立てたのかは想像もつかないけれど――――それでもやっぱり私は、あなたのやってることは悪だと思う」
「…………」
「やめろとは言わないよ。あなたにとってはそれが生きる糧だったのかもしれない。でも私もある程度の身に覚えがあるから――――できたら貴方に謝ろうと思うんだ――――ごめんなさい」
「…………」
「そのかわり。貴方には自首してほしいの。罪を認めて、綺麗になった身体で、復讐のない貴方の人生をやり直して欲しい。これって難しいことかな?」
私は久慈川に向けて思いのたけをぶつけた。雅には真っ向から反対されたけど。やっぱり言いたいこといわないのって、私は間違ってると思うから。
「…………」
けど、やっぱりダッチワイフは微動だにしない。やっぱり。何も心に響くものなんかないのかな。考えてみれば当たり前だよね。
虐められっ子って虐められたことしか覚えてないから。だから簡単に被害者面ができるし、その仕返しなら何をしてもいいとも思ってる。自分本位な考え方は虐めっ子にも同じこと。自分の非を認められなかったり、おかしな所を指摘されて訂正できない頑固で捻じ曲がった心根が原因。この手の理由が大半ってことに気づけないから。それに気づいた子は虐められなくなる。だから虐められっ子って大人になると少なくなる。
恋愛だってそう。自分のことばっかり考えて空回りするときには、いつも自分が裏切られた気持ちになる。でも後になって思い返してみると、それは当たり前のようにも思えたりする。その時ふと思った――――それは咄嗟の思い付きだったんだ。
「あなたはきっと人を愛したことがないんだよっ」
私がいうと、カメラの前のダッチワイフは反応を示したんだ。
「だからきっとこんなことを……」
そして彼は自分の手のひらを見つめるような仕草をしている――――まさか、何か考えてるの。
「恋人とかじゃないよ? お母さんだったり、学校の先生だったり、貴方の幸せを思う人達みんなが悲しむから」
ダッチワイフは動かない。私は、勢いに任せて訴え続ける。
「あなたを愛する人が悲しむから、こんなことをしたら絶対にダメなの! だから――――」
けど、やっぱりダッチワイフは微動だにしない。
何かを考えているよう。――――その瞬間、パッと明りが消えた。真っ暗になる。
「へえっ……!?」
思わず声が漏れる。何があったの――――そう思った。よくよく考えて思いつく。そうだ、うちのマンションはブレイカーが外にある。まさか――――外にいるダッチワイフがブレイカーを落としたの。部屋の明かりという明りは全部消えてしまってけれど、別の電源で動いてるインターホンの青白いモニターだけは暗闇の中にぼぉっと浮かび上がってる。シュールな状況だった。段々暗闇に目が慣れてきて、辺りの様子がわかるようになってくる。次の瞬間――――モニター越しのダッチワイフが肩にかけたショルダーバッグから何か大きいものを取り出した――――私は思わず絶句する。
「うそ…………でしょ?」
それは巨大な電動チェーンソーだった。もしかしたら――――監視カメラを切ったのも、この道具を目立たないようにするためだったのかもしれない。
そんなことをぼうっと考えてたら――――突然玄関ドアを向こうから喧しい騒音が聞こえてきた。分厚い玄関ドア越しにもわかる、電動チェーンソーの刃の重たい金属音。まさかと思った。玄関ドアを見るとジジジと分厚いドアが振動してるのがわかる。チェーンソーの刃が当たっているんだ。いくら強力な道具といえども、あの分厚い扉は――――私は強気だった。けど、目に飛び込んできたのは驚きの光景だった。
高速で回転し、火花を撒き散らす物体がドアを突き破って家の中に侵入してくる。思わず息を飲む。見せしめの如く、ドアを突き破って見せたソレはすぐに引っ込む。玄関扉にできた細長い穴から、通用廊下の淡い蛍光灯の光が差し込む。今度は、蝶番を両断する目的か、ドアの側面部分に刃を差し込んできた。
ジジジジジジジ――――、玄関扉を固定する蝶番が瞬く間に真っ二つに両断される。私は思わず後ずさりする。そんなことって――――暑くもないのに額に薄っすらと汗が滲む。
ひとしきりドアを切り刻むと、ガシガシっと、刃が悲鳴をあげる――――どうやら頑丈な扉に刃を突き立てたため、チェーンソーの刃が壊れてしまったよう。
けれど、ダッチワイフは強い勢いでドン、ドン――――と、玄関扉を蹴りつける。重たい玄関扉は内側に倒れ掛かってきて、床に叩きつける鈍い音がした。ダッチワイフは家の前に棒立ちしたまま。何かスプレー缶のようなものを放り投げてきた。もくもくと煙が立ちこめる。毒ガスかと思った――――けど、すぐにわかる。ただの煙幕だ。たぶん私の視界を奪うためだけの目的。ものの数分で濃い煙が家中に充満する。
煙越しに背後に蛍光灯の光を浴びて、ずんずんとダッチワイフが家の中に踏み込んでくる――――目には、本格的な暗視ゴーグルのようなものが装着され、右手には小回りの利く鋭利な包丁が握り締められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます