3-3
「あ――――っ!」
しばらくタイプ音しか聞こえてこなかった峰田君。突然驚いたように声をあげた。
「どうしたの?」
「パスワード……」
「ないとだめ?」
「そうですね、さすがにハッキングして映像を乗っ取れるくらいに僕、技量ないんで……」
峰田君は頼りなさそうにいう。仕方ないな。ここまでやってくれた手前、彼ばかりに無理強いはできないか。私は峰田君にいう。
「わかった。ちょっと待ってて」
「? ――――どうしたんですか?」
「今から管理人室に電話して聞くから……」
「――――っ!? 無理ですよ! 愛香さん! いくら居住者とはいえ、そんな危険な情報教えてくれませんって――――!」
「大丈夫だよ。また後でかけなおすからね」
――――ブツッ
>>通話履歴・峰田智弘
「さて、どうしよっか……?」
峰田君にはああいってしまった以上どうにかしなくちゃならないけど。強気にいった割りに何の勝算もなかった。確かによく考えてみたら、普通に聞いたって答えてくれないかも。けど一か八かの気持ちでインターホンの管理人室の呼び出しボタンを押す。管理人はすぐに出た。暢気な声でうんざりしたようにいう。
「まぁたお嬢ちゃんか……」
「ねぇ、管理人さん。防犯カメラだけど、もしかして悪用されてない?」
「へ?」
「今うちの前に、あいつが居るんだけど、ひょっとして見えてなくない?」
「なにいってんだ……おかしい奴なんてどこにも居ないよ」
「うそ――じゃあやっぱり、おかしいじゃない?」
「…………」
ガタガタと、立ち上がる音が聞こえる。しばらくして戻って来て再び声が聞こえる。
「……何もおかしいことないよ」
「管理人さん。失礼だけど、カメラのセキュリティとかわかるの?」
「ん……」
「そんなずさんな管理じゃ、いつか大事故になるかもよ?」
「何を生意気な……この際本当のことを言わせて貰うけども、俺はモニターを監視するだけで、カメラの管理は全部管理会社に委託してんだよ」
今までは本当のことじゃなかったんだ。私はほとほと呆れ果ててしまった。
「じゃあ管理人さんには手の施しようがないんだ?」
「そういうわけでもない……パスワードが破られたなら変えてしまえばいいだけだ」
すると管理人さんは何やらかちゃかちゃと手元のキーボードを操作し始めた。
「管理会社からも本当は、こまめにパスワードを変更しろって言われてるんだが……ま、大丈夫だろう」
「大丈夫?」
「ああ、それにしてもどうして、パスワードがばれたのか……」
「…………」
「ああ……でも、あ。アレは関係ないか……」
管理人さんはボソボソとぼやき出した。私は尋ねる。
「どうしたの?」
「いや、そんなこと数日前にもあったなと思ってさ」
「え?」
「まえもモデルルーム見学っていうんで客が来たんだけど随分待たされてね……その客も監視カメラがどうとかこうとか言ってて面倒だった。もしかしたら、監視カメラのパスワード流出してんのに気づいてて、その客にも管理がずさんだって怒られたのかもな」
「そんなことはどうでもいいんです――それよりカメラ治りました?」
「あ……」
「もういなくなっちゃいました。はぁ、もういいですよ……」
私はほとほと呆れて通話を切った。もちろん折り返して管理人から呼び出しがかかってくることもなかった。なんて怠惰な管理人なんだろう。けど、用は達した。もう管理人に無理を押し付ける必要もない。私は峰田君に連絡する。すぐに呼び出しに応じた。
「もしもし、峰田君?」
「愛香さん!? どうなりました?」
「パスワード。たぶん大丈夫だから……」
私は峰田君が準備するのを待つと、心当たりのある八桁の暗証番号をトークチャットに記入する。口頭で伝えるよりも文字として表記したほうが好都合だと思った。
>>20190222
>>02222216
「…………」
返答がない。もしかしたら私の見通しは外れてしまったのか。ドキッとしてしまった。
>>22160222
「あっ……!」
「通った?」
「はい……どうやったんですか!?」
「パスワードを変更させたんだよ。うちのマンションはゴミ捨て場にも暗証番号がついてるんだけど、それで管理人が作るパスワードには規則性があるの知ってたから」
パスワードは変更されるたびに回覧板で通達される。もちろん居住者の共用のパスワードだからだけど、それにしてもずさんな管理だと思うんだ。
「な……なるほど」
峰田君は感心してる様子だけど、かえってなんだかバカにされてる気がする。私はいう。
「うち管理人はパスワードに日付けを使うの。だから監視カメラが初期パスワードとか、管理会社が設けたものでも、変えさせちゃえばこっちのもんだって……」
「発想の転換ですね。なんにせよこれで監視カメラも――――」
ノートパソコンを開く。私のディスプレイには監視カメラの映像が追加で表示された。全部で12箇所。私の家の中よりも少ないのにはドン引きだったけど。まあ普通はこんなものなんだろう。残念だけどダッチワイフの姿はない。どこかに隠れてるのか。絶対に姿を捉えてやる。そんな執念にも似た思いが込み上げてくる。
「前の映像をさかのぼって見ることとかできないわけ?」
「無茶言わないでくださいよ! 録画した映像を見るのこそ犯罪ですよ。カメラとレコーダーは別々のものなんです。金庫みたいなもんで、それこそ警察の許可がないと録画した映像は管理組合は渡してくれないんですよ」
「……わかった、じゃあこれで我慢する」
私は仕方なく納得した。そうしたら、峰田君はおもむろに話し出した。
「でもね、愛香さん――――その形の盗撮カメラって、そう簡単に入手できるもんじゃないですよ」
「どういうこと?」
「盗撮カメラにも色々種類があるってことですよ――――って、僕がどうしてそんなことに詳しいかなんて野暮なこと聞かないでくださいね」
「いいけど……」
「それで僕思ったんですよ、ずっと昔にそんなやついたなって……」
「あ、峰田君っておな中だっけ?」
「……そうですよ。同じ中学校だし、同じ小学校です」
「あ……そうなんだ」
私は困って愛想笑いした。たぶん峰田君は昔は陰キャラで目立たなくて、高校デビューしたんだろうなって。
「まあそれは、どうでもいいとして……確かクラスの女子の盗撮で捕まったんですよ。なんだっけな。くじ、くじ何とかっていう……」
「盗撮……!? 覚えてないの?」
「たぶん転校したと思うんですよ。だから記憶にない。愛香さんこそわからないんですか?」
「初耳だよ……私だって知ってたら覚えてるはず。何かと間違えてるんじゃない? 例えばニュースでやってたことと、現実の出来事が混在してるとか……」
「あはは、それ、面白いっすね」
「笑い事じゃないから……」
「でも、愛香さんのいう事、あながち間違ってない気がします」
「……どういうこと?」
「いや……勘です。深い意味はないですけど……」
「…………」
ちょっと引っかかったけど、私は改めて峰田君に感謝する。
「ありがと。それだけわかれば十分だよ」
「でも愛香さん。どうするつもりなんですか」
「? なにが?」
「その…………はっきり言って、ダッチワイフの正体を調べたところで、何にもならないと思うんですよ」
「そうだね……」
「だったら絶対に、そこから逃げる方法を考えた方が利口だと思うんです」
「うん」
「愛香さん?」
「あのね――――峰田君」
「へ?」
「実は私、大切な人をあいつに殺されてるんだよ」
「……え?」
峰田君は本気にしていないんだと思う。おどけたように笑っていた。
「それ……冗談ですよね?」
「信じてもらえないだろうけど――――私は恐怖感情だけに突き動かされてるわけじゃないんだ。逃げずに戦うって決めたから……」
「愛香さん――――っ」
「ありがとね、峰田君。それじゃあ」
「あっ愛香さんっ!」
――――ブツッ
なんだか、問い詰められそうで面倒だったから勢いでこっちから切っちゃった。
「ふふ……」
私は自分の情けなさに苦笑した。なんだか今日はろくなやり取りしてないな。そんな風に思った。峰田君との会話の続きをいうなら、私はダッチワイフに対して憎しみの感情も抱いている。尻尾を巻いて逃げ出すなんて負けたみたいで絶対に嫌だった。アイツに立ち向かっていって、正体を丸裸にしてやりたい。そして完膚なきまでに叩き潰したい。みどりのかたきを討つために――――だから、私にとってダッチワイフを調べる事は奴との戦いの準備でもあったんだ。もう後には引き返せないんだから。
「!!」
ノートパソコンのディスプレイに見入る。モニターのひとつに何かが過ぎったと思った――――そうしたらカメラのひとつがアイツの姿を捉えた。真夜中の人気のない不気味なマンションの不鮮明な映像。一階の管理人室前の通用廊下を歩いていた。ゾッとして怖気立つ。嘘つきな管理人め。私も嘘をついたけど、あのおっさんのはもっと性質が悪いと思った。
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