2-4

「……どういうこと?」


 それは辻井のついた嘘のことだ。辻井は確かに私に親とご飯に行ってるといった。だから来られないと。けどブタは辻井が峰田君と一緒にいるのを目撃してる。私はラインから峰田君に連絡した。


 >>峰田君。今どこにいるの?

 >>愛香さん、え? どういうこと?

 >>辻井と一緒に居るでしょ?

 >>どうしてそのことを? 確かにいるけど

「~~っ!」


 あいつ。どの面下げて私に嘘ついたんだ。


 >>今すぐ辻井に伝えて。嘘つきとは付き合いきれないって


 メッセージを送信する。すると、しばらくしてから辻井のアカウントの方から通話の呼び出しが来る。少し頭痛がする。私は呼び出しに応じる。


「……はい」

「愛香か? どうしたんだ?」

「どうした――――ですって……?」

「ううっ……いや、悪い。けど、峰田との約束も前々からのことでおいそれと破棄にはできなかったんだよ」

「――――今、なにしてんの?」

「…………」

「ねぇ、辻井。私おかしいと思ったんだけど――普通に峰田君と口約束してるならそれ、話してくれればいいよね? そうしたらわざわざ嘘をつく必要だってなかった――こうやって私が嫌な気持ちになる事だってなかった。そうでしょ?」

「そうだな」

「じゃあどうして?」

「…………」


 辻井は逡巡した挙句に、観念したように口を開いた。すごく低い声だった。


「今、風俗にいる」

「――――!」


 自然と鼓動が早くなる。


「だが誓って言う、愛香、信じてくれ――」


 私は動揺を押さえて、それから込み上げてくる怒りの気持ちもグッと堪えてから、静かに言う。


「……それが、私に嘘をついた理由?」

「ああ、そうだ」

「…………」


 私は、頭を抱えた。そして――――どうしてか、怒りの気持ちがスッと消えてなくなっていった。アンガーマネジメントなんて言葉もある。興奮がピークに達するのは一瞬のことで、後は徐々に小さくなっていく。けれど、怒りの気持ちが引いていくにつれて、その分なぜか悲しみの感情が押し寄せてきたんだ。

 それにしても、こんなのって、あんまりだよ。


「あ……愛香?」

「…………」


 どうしてかな。別に悲しいことなんて何もないのに。辻井はただ本能の赴くままに、やっただけなのに。私の理性的じゃない部分から、止め処なく涙が溢れ出てくるんだ。


「愛香――ごめん、本当に、もうしないから……」

「もういいから――――ぐすっ」


 私は涙を拭ってからいう。


「お楽しみの時間は終わったんでしょう?」

「……愛香」

「助けて辻井、お願い」

「愛香――――実は、これから本当に用があるんだよ」

「へぇっ――――?」

「これから用があるんだ……本当だ! 本当だって! 峰田もそう。別に風俗に行く行かないにどっちでも、お前んちには行けないんだよ」

「……なんなの?」

「峰田は故郷のじいさんとこに帰省するんだと。俺はバスケの合宿で終電までに今から地方に行かなきゃなんない」

「ふふふ」


 私はなんだか、おかしくなってしまった。


「あはは――そう。そうなんだね」

「愛香――うそじゃねぇんだよ、信じてくれよ!」

「信じるよ。うん」

「愛香」

「じゃあね」


 私は、そうして通話を切った。


「…………」


 なんだか、ドッと疲れ果ててしまった。何もかもが嫌になる。しばらく放心状態だったけれど、ようやく冷静になってからよくよく考えてみると――――なんだかおかしいと思った。たしか、ブタも野暮用がどうとか言ってたはず。辻井も、それから峰田君も同時に用事が重なるなんて絶対におかしい。そんなことを考えていたら――――ピンポーンと、チャイムが鳴った。


「――――!」


 ゾッとして怖気立つ。モニターを見る。ダッチワイフではなく作業着に身を包んだしょぼくれた中年男性が立っていた。恐らく管理人なんだろうけど、私には見覚えがない。たぶん夜勤の担当の人で滅多にひと前に出てこないんだと思う。ホッと安堵すると、私は通話ボタンを押して、モニター越しに話しかけた。


「はい……?」


「倉科さん? ただいまお伺いしました! 玄関を開けてもらえませんか?」

「できません」

「へ?」


 管理人と思しき中年の男は間抜けな顔で、情けない声を漏らした。


「どうされました?」

「だから――――ストーカーです」


 このおじさん。本当に状況が飲み込めてるのかな。私は疑いの眼で管理人を睨みつけた。


「ストーカー?」

「そうです。だから開けられません」

「私は管理人ですよ?」

「あなたが管理人でない可能性もあります」


 私がいうと、もぞもぞと懐から身分証のようなものを取り出し始めた。いやいや、そういうことじゃないから。


「あなたが管理人かどうかなんてどうでもいいんです――――とにかくストーカーがマンション内をうろついているんです。捕まえて欲しいんです!」


 私は自然と強い口調になってしまった。それでも管理人を名乗る男はとぼけた口調でいう。


「はて……そんな男見ていないが?」

「あなたが見てようが、見てまいが、居るんです! うろついてるんです、早く見つけて捕まえてください!」

「どんな特徴のストーカーですか?」

「見た目は完全にゴム人形。俗に言うダッチワイフみたいな、格好してました」

「はぁ?」

「男性版のダッチワイフ」

「そんなのがうろついてたら、さぞかし目立つでしょうねぇ……」


 何が言いたいんだこいつ。私は段々イライラしてきた。


「何でもいいですから、早く探してください! 捕まえてください!」


 私は乱暴に通話を切った。それでも相変わらず中年の管理人は私の家の玄関前を手持ち無沙汰みたいにうろついている。


「大丈夫なのかな……?」


 不安になる。私はまたスマホを手にとってラインを開く。メッセージを入力する。


「…………」


 これだけは、どうしてもためらった。こうなった以上は仕方ない。音無雅に連絡しようと思った。迷惑はかけたくなかった。けど、他にもう頼れる伝がない。


 >>まだ起きてる?

 >>愛香? どうしたんだ?


 私は今までの出来事を雅に簡潔に話して伝えた。そうしたら、雅は通話に出てくれた。


「ねぇ雅……私、どうしたら良いのかな……」

「警察には連絡したのか?」

「うんうん、まだ」

「早くしなよ、手遅れになったらおそいんだよ!?」

「警察……本気で取り合ってくれるかな」


 受話器の先で雅が息の飲む。その時、思った。勘の良い雅は私の伝えたいことが、わかってるんだろうなって。私の脳裏には今朝の下校途中の話題に出てきた殺人事件のニュースがあったんだ。


「それでも、本当のこと、話さないよりずっとマシだから……」

「うんうん、ありがとね、雅」

「愛香! まさか変なこと考えてるんじゃ……」


 結局。私はこれ以上雅に迷惑掛けられないと思って通話を切った。自分からけしかけておいて、なんて失礼な奴なんだろうって、自分で自分のことに心底呆れたけど。


「はぁ~ぁ、どうしよっかな……」


 静まり返った家の中で、私は誰となく苦笑する。

 何もかもが面倒くさくなってしまった。どうでもいいとさえ思う。


「…………」


 ただ、本気で警察に助けを求めるのなら、それなりの方法はある。うちにはみどりの死体がある。このことを警察に話せば警察は嫌でもうちに駆けつけてくるはず。でも、なんて説明すればいいのかな。


「絶対に私が犯人だよね」


 そう、だからアイツは動じないんだ。私が親友殺しの犯人になることを恐れて、絶対に通報しないとたかをくくってるから。



  ◆◇◆◇◆◇



 その時、――――再び、インターホンのチャイムが鳴った。


「――――!」


 毎回の事ながらゾッとしてしまう。モニターは真っ暗のまま。どうやら704号室前のドアチャイムではなく、管理人室の方から呼び出ししているらしい。通話ボタンを押す。すると向こうから話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、やっぱりそんな奴居ないよ、影も形もないよ……」

「そんな……」


 私は息を飲む。そして再三いう。


「そんなわけありません。しっかり見て探してください! ――絶対居ます、どこかに隠れてるんです!」

「じゃあね、逆に聞くがお嬢ちゃんはどこに隠れてると思ってるんだ?」

「そんなのっ――――」

「いいかい? 別にマンションの中を徒歩で見回らなくとも、この管理人室にはワイヤレス監視カメラっていう文明の利器があるんだよ」

「…………!」

「そうさ、変な奴がいたら逐一このカメラで監視してるんだから見つけられないわけ無いだろ? それとも針の穴を通すように、そのダッチワイフとやらはカメラの死角に隠れて逃げ回ってるっていうのかい?」

「それは……」

「はは……お嬢ちゃん、大人をからかわないでくれよ……」

 そうして、ブツリと一方的に通話が切れてしまった。不気味な静寂。私は思わずいう。

「信じられない……」


 大人ってなんて信用できない生き物なんだろう。つくづく思った。こんなにも必死で助けを求めてるのに。あの管理人はまだ私のことを嘘つきだと思ってるんだろうか。

 もしかしたら――――あの時にベランダから飛び降りたダッチワイフは本当にもうマンションの中にいないんじゃないか。ただ謎のメッセージだけを残して――――そんな淡い期待も抱く自分が心のどこかにいた。


 いずれにせよ、気づいたらまた、全て振り出しに戻ってしまったんだ。

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