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まだ何か考えている――――そうとしか思えなかった。緊張の糸が解けたとき――――私は再びフッとその場に倒れてしまった。そうしたら、目から涙が零れ落ちる。めそめそと泣き出してしまう自分が情けないと思った。
「なんなの……教えてよ、誰か――――」
気が動転した私はぼぉっと、最新作のバイオハザードに状況が似てるなとか思った。
ホラーゲームの金字塔は、海外に売り出すときにはレジデントイーブルのタイトルで発売されたらしい。和訳にして洋館の悪魔。ゾンビが徘徊する世界で無機質な研究所やビルの中での特殊部隊の活躍を描くサバイバルアクションホラーゲーム。それが、シリーズを通した世界観。
洋館内での活躍は初代バイオのみ。そのことが引っかかっていた開発は、新作は海外の有り触れた一軒家を舞台にすることに決めた。シリーズの雰囲気を一新した意欲作。評価も別れる。そんなバイオの新作が有り触れた世界をモデルにしていることから、まるでバイオハザードの世界にそっくりそのまま身を投じてしまったかのような錯覚にも見舞われた。
けれど、私はただの女子高生で銃もナイフも持ち合わせていない。敵も不死身のゾンビじゃない。丸腰であのダッチワイフ男に立ち向かわなくてはならない。ゲームに喩えたら随分難易度の破綻したクソゲーだ。
「ふふ……」
そんな風に思ったら少しおかしくなった。私の置かれた状況を客観視したことで少しだけ心が楽になった気がした。
「泣いてる場合じゃない……」
立ち上がる。
聞いたことがある。どんな頑丈な窓でもやり方次第でこじ開けられる。問題は鍵にある。クレセント錠っていう窓の鍵は、三日月型のフックを嵌めてサッシに窓を固定するだけ。鍵というにはあまりにも心許ないただの金具なんだと。
おせっかいなパパからウインドロックという窓に後付けできる補助錠を強引に押し付けられたのを思い出した。
もちろん放置。私は面倒で解体してない引越しダンボールから目当てのものを取り出す。五つもある。また鍵の管理に面倒になるのが嫌で辟易してたけど、こうなった以上は仕方ない。私は鍵を持ってそれぞれの窓に取り付けに向かった。
◆◇◆◇◆◇
それから私は妄信的に家の中の窓ガラスを補助錠で補強している。けど、冷静になって考えてみたら、まずは警察に電話するほうが先だったかも。そんな風にして、リビングのベランダに通じる掃き出し窓に取り付けてる最中だった――――窓の向こうのベランダの床に突然人の足が見えた。驚いて見上げると――例のダッチワイフがいた。死んだ魚のような目で、夜の闇と月の光を背景に私を見下ろしている。
ゾッとして硬直してしまった。
「――――ど、どうして!?」
どうやってベランダに回りこんだの。けど、大丈夫。ベランダの方の窓ガラスも頑丈だし、ウインドロックで二重に施錠してある。薄いガラス戸を一枚挟んで対面していると心許なくてすごく怖かったけど、この壁は見かけによらずずっと頑丈なんだ。自分に言い聞かせる。立ち竦んだダッチワイフの手には短いドライバーが握られていた。私の強気な顔を見たから相手も察したよう。どうやら目論見が外れたらしい。ざまあ見ろと思った。
ダッチワイフの手からドライバーが零れ落ちる。床を転がる、金属バッドの時と同じだった。何をするのかと思った――――ゾッとして身構えたけど、ダッチワイフは腰のポケットのようなところから硬い薄い四角い何かを取り出した。
スマホだ。突然――――奴はディスプレイをこちら側に向けて、ドンとガラス戸に押し付けてきた。私は驚いて背後に飛びのきそうになる。
「な……なにっ!?」
私にスマホを見ろと言ってるのか――――ダッチワイフは微動だにしない。何か卑猥なものを見せようとしてるのか。相手の思い通りになるものか。そう思った。けど、ディスプレイに表示されてたのはラインの《友達一覧》だった。グループ、アカウント、プロバブリーアフレンド――――それからマイプロフィールの名前――――ダッチワイフと表記されてる。どうしてそんなことを――――けれど、私の理性とは裏腹に、個人的な好奇心からつい、その画面に見入ってしまう。
>>プロバブリーアフレンド・倉科愛香
「――――!」
驚いたことに知り合い候補には私の名前があった。どういうこと。私の知り合いの知り合いは、こいつだっていうの。浅田、戸崎、松田、坂本――――辛うじて名前が確認できるのはそれだけで、あとはハンドルネームになってて読む気も起きない。
「糸川……!?」
知り合い候補に私の名前があった理由はすぐに発覚する。ダッチワイフの友達一覧にはブタの名前があった。やっぱり――――ブタはこいつと関係がある。それは私にとって貴重な情報だった。ところが、私はゾッとして怖気立つ。
「――――!」
ダッチワイフは、ディスプレイの情報に見入る私の顔をじっと凝視していた。まるで反応をうかがうかのよう。敵の目的は依然としてわからない。私がディスプレイの情報を全て記憶する前に、勢いをなくした奴は、うな垂れてスマホをポケットに仕舞う。そして足元のドライバーを拾い上げると、ベランダの手すりを乗り越えた。
「なっ――――!」
私が呆気に採られていると――――ダッチワイフは物怖じもせずに飛び降りた――――マンションの七階から。冗談みたいに容易く。
「ひっ」
小さな悲鳴をあげてしまう。人の死ぬところを間近で目撃してしまったかのような、怖さがあった。けれど、とてもじゃないけど確認しにベランダへ出る気にはならない。私はお人よしでもなければ、怖いもの見たさの好奇心で身を滅ぼすバカでもない。アレが私を誘き出すためのパフォーマンスじゃないとどうして言えるのか。私はカーテンを閉めた。自分自身の迷いを断ち切るように――――。
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