不審者

2-1【不審者】

 みどりの身体には目立った傷は見当たらなかった。


 もちろん詳しいことは何もわからないけど。死因はひと目見て明らか。首周りに太い赤黒い跡が残ってる。何か細長いもので首を絞められたんだ。死に顔は醜いものだって聞くけど、みどりの顔は安らかだった。今でもただの精巧な人形だと信じたかった。でも、みどりの死体は本物。うちの前に立ってインターホンを鳴らしているあの男がやったのか。そうとしか思えない。


 ――――ピンポーン、ピンポンピンポン、ピンポーン

「――――!」


 緊張状態が続く。相変わらず何者かがインターフォンを鳴らし続けてる。

 なぜ。どうして。誰も私の疑問には答えてくれない。ただ、私の生存本能が身の危険を察知して警笛を鳴らしている。小さなモニター越しからではほとんどわからないけど、わたしは男に見覚えがないと思う。だからこそ、いっそう不気味だったし、気味が悪かった。



 改めて男を観察する。その男は妙に肌がつやつやしているのが不気味。まるで薄汚れたゴム風船のよう。表情は人形のように無機質で、少し開いた口がずっとそのままになってる。目は見開かれて微動だにしない瞳がじっと一点を見つめている。きもいを通り越してひたすら不気味だった。


「いや……」


 直感的に思った――――あの作り物のような気持ち悪さは人間じゃない。

 正確には人間だけれど。外面は被り物なんだ。人間が人間の被り物をしている奇妙な状態。そんなものが私の家の前に立っている。その時、私はふとあるものを思い出した。


 何かに似ている。私は古い記憶を掘り起こす。バラエティのコント番組か何かで見たことがある。お笑いコンビの片方がそれをギュと抱きしめてるのを、もう一方が笑って突っ込んでいる。彼のそうしている様が、さぞおかしくてたまらないかのように――――お前それダッチワイフか! ――――と。


「ダッチワイフ?」


 言葉にしてみる。いっそう意味がわからない。スマホでググる。


 ――ダッチワイフとは? いわゆる性具の一種で、等身大の女性の形をした人形のこと。主に男性の擬似性交用として使用するものだが、観賞用や写真撮影の対象として扱われることもある――


「きもい……」


 調べて後悔する。率直に思った。それこそアレは手足の生えたオナホール。男の不気味な性欲を満たすためだけに作られた玩具のマネキン。けれどアレは珍しいものなのか、男性の姿かたちをしている。例えばホモの人はあのタイプの玩具で遊んでいるのか。いずれにせよ考えたくもなかった。


 その時――――ガタリと、玄関ポストに何かが投函される。


「――――!」


 ぞくりと怖気立つ。奴が何かを送り込んできたんだ。それも決して良くないもの。


「………」


 もしかして、私がインターホンに応じないから、痺れを切らして別の手段に切り替えたのか。

 私はためらった。ふとモニターを見る。こちらから相手の動向は手に取るようにわかる。相変わらず微動だにしないダッチワイフ男が佇んでいるだけ。不気味だけど視界に捉えているだけ、大分安心できる。何も怖がる必要はない。


 盲目なのは向こうの方なんだ。自分自身を鼓舞するように言い聞かせる――――なんにせよ奴が家の中に侵入する方法はない。私は玄関へと近づいていって恐る恐るポストに手を入れる。

 指先が何かに触れる。鳥肌が立つ。何か薄っぺらい紙状のもの。そもそも狭いポストに投函できるものは限られている。そっと指で撫でる。安全か確かめる。人差し指と親指で端を掴み汚いものに触れるように、そっと引き出す。ズルズルと――――玄関ポストから私の家の中へと、ソレが這い出してくる。


「きゃっ――!」


 思わず絶叫する。私は背後に飛び跳ねる。ぱさっと、ソレが玄関に落下した。


「なに……?」


 玄関の明かりをつけて、遠目から改めてじっくりと見る。A4サイズの茶封筒だった。


「…………」


 私は足蹴にして裏返す。何の変哲もない封筒。

 一分ほど封筒を一瞥した後、私はその封筒を取り上げる。中には一枚のプリント用紙。汚いボールペン文字でひと言だけ言葉が書かれていた。


 ――オナニーは好きか? 倉科愛香?――


「なっ――――!」


 どういうこと。どうして。


 私は恐ろしくなって再び硬直してしまった。そして、どきりとして胸の辺りから段々と身体が熱を帯びてくる。怒りと羞恥心と、恐怖の入り混じった複雑な感情が頭を支配する。ひとつだけいえる――――私の家に盗撮カメラを取り付けたのは目の前に居るこの男なんだ。しかしどうして――――なんでそんな無意味なことをするんだろう。


 その時だった――――。

 ドンドン――!


「――――!」


 玄関ドアを叩き壊すほどの勢いでドアを殴りつけてくる。反動でドアが内側に湾曲するほどの力で、何度もドアを叩きつけてきた。


「や……やめて!」


 私の悲痛な叫びが掻き消えるくらいに、その勢いは強い。

 ドンドンドンドンドンドンッ――――!


 私は、怖くなって耳を押さえその場に蹲る。思わず涙ぐむ。どうして。なんで私がこんな目に会わなくちゃならないんだって。そう思った。何度も自問自答を繰り返す。けど、しばらくしてから、気づいたらドアを叩く音は聞こえなくなっていた。


「へ……」


 頭を上げる。ウソみたいに静かだった。むしろ静かになったことが恐ろしかった。ドアを叩く必要がなくなったということは――――つまり相手は何らかの方法でうちの中に侵入しているんじゃないか――――私は不安を払拭するため、はじめてドアスコープを恐る恐る覗き込む。

 気づくと全身じっとりと汗ばんでいた。ドアスコープの先には誰もいない。いない。いなくなってる。どうして。視野が狭くてもどかしい。通用廊下の全体を把握するにはドアスコープから覗く視界では不十分だ。私は思わずドアを開けて外の様子をうかがいたい衝動に駆られる。


 そうだ――――私は突発的に閃いた。うちの玄関のそばからアクセスする四畳半の納戸は通用廊下に隣接してて、窓から外の様子をうかがうことができた。私は玄関から渡り廊下にあがる。そこから四畳半の部屋に回り込んでから、そっと窓に近づき、薄いカーキ色のカーテンを少しだけ捲って外の様子をうかがった。


「――――!」


 その瞬間――――私は何者かと目が合った。


 ゾッとして怖気立つ――――息を飲み叫びそうになる――――ところが間髪おかず、私の頭上に何かが迫ってきてドンと激しい衝撃音が鳴った。一瞬遅れて意識が向かう――――ダッチワイフ男が手に携えて振りかざした金属バッドが、強化ガラスに弾き返された音だと気づいた。


 その頃には既に、二度、三度と、男は立て続けにバッドでガラスを殴りつけていた。単純に怖いと思った。眼前に迫る殺意の暴力がただただガラス一枚挟んだ向こう側で繰り返されている。ところがガラスを突破することが叶わないと悟ったか、男の手からバッドがズルリと抜け落ちた。


 金属が床に落下する小気味良い金属音が鳴り響き通用廊下にころころと転がった。男は脱力してその場に一瞬立ち竦み、私を頭上から見下ろしてから二・三歩後退する。私は息を飲む。緊張の糸が張り詰めている。そしてダッチワイフ男は、駆け足でその場から立ち去った。通用階段を走って駆け下りていった。後には不気味な静けさだけが取り残された。


「――――!」


 まだ頭が混乱していて状況が良く飲み込めない。どうやら助かったらしい。男は金属バッドを使って強化ガラスの突破を試みたものの失敗。潔く退散したらしい。けど、奴の執念深さを考えたらこれで終わるはずがない。襲撃のために盗撮カメラを仕掛けたような奴だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る