1-4

 パジャマを着て、湯気立つ身体のまま髪も乾かさずに、頭をタオルで軽く拭ってからリビングに戻ってくる。テレビを付けっぱなしにしてたことをすっかり忘れてた。


「あ……」


 例の女子高生事件のニュースを扱っていた。私は思わず見入る。

 ところがVTRは既に終わっていてスタジオのコメンテーターの事件の総括に移っている。アナウンサーは《あなたの家の防犯はだいじょうぶ?》と記されたフリップボードを片手に、コメンテーターたちと熱っぽい議論を交わしていた。


「でもですね――現に、被害者はオートロックマンションに住んでいたんですよ?」

「隣近所の住民は気づかなかったんですか?」

「ええ――その被害者の住んでいたマンションの部屋の壁の寸法を調べてきたんですが――遮音性が非常に優れていてそれが仇となったようですね――第一発見者のお隣さんは朝、部屋が空いてて不審がって入ったら事切れた〇〇さんを発見して通報してますから」

「怖いわぁ――」

「どうやって侵入したんでしょう?」

「どうやら被害者が玄関を開けてしまったようだと……」

「どうして!? ――――犯人だと思わなかったの?」

「これからの捜査で明らかになるんでしょうか――――では、次のニュースです」

「……」


 知らないうちにニュースに見入っている。思わずゾッとして怖気が立ってしまった。

 思っていたよりもずっと、私の生活環境に似通っている。もし私の身に起きたらと思うとゾッとしてしまった。その時――――スマホが着信する。


「みどりっ!」


 私は心待ちにしていたようにみどりからの着信を期待してスマホに飛びついた。だけど――そこに表示されていたのはみどりじゃなくて、パパだった。


 >>愛香、しっかり食べてるか?

「…………」


 >>突然何?気持ち悪いよパパ

 >>何が気持ち悪いんだ? 心配してるんだ、どうせ毎日菓子パンばっかり食べてるんだろ?

「面倒くさいな……」


 私は既読をつけてメッセージを無視することにした。


「なんてデリカシーのない親なの……私、女の子なんだよ?」


 なんて独り言のように文句を言ってみる。

 けれど本当は文句を言える立場にないことをわかってる。わたしのバイト代じゃ、マンションの賃料はとてもじゃないけど賄えないし、親は払う必要もないといってる。そうしてお金を肩代わりすることで偉そうにすることが目的なんだ。


「ん……」


 そんな風に思ってイライラしてたら、別のアカウントからメッセージが着信した。辻井と表示されている。


 >>なあ愛香? 今日の宿題でさぁ?出てきたんだけど形容動詞ってどういう意味だ?

「……はぁ、どいつもこいつも……なんなのこのメッセージ……」


 私は嘆息して、ベッドのウサギのぬいぐるみを壁に向かって投げつける。


「もう……最悪……最悪最悪最悪最悪っ!」


 スマホの電源を消してベッドのそばのガラス製のリビングローテーブルに投げ出した。


「あーあ……宇喜田先輩……チョコレート受け取ってくれるかなぁ……?」


 キッチンには作りかけのチョコレートがある。板チョコを溶かして固めたものが月並みだけど、今回はちょっと凝ったものを作りたかった。

 というのも、チョコレートなんて何度作ったかわからない。もう今更普通のチョコレートなんて作る気も沸かない。私にとってチョコレートは駆け引きのための道具。それに今回は憧れの宇喜田先輩。今までとは違う。そうして、背伸びしてみたけど、結局クックパッド片手に見込み発車したパティシエは、やる気が途絶えて中途半端なまま放置してしまっている。バレンタインデーだけは確実に近づいていた。


「……」


 私はスマホを手にして、あるアカウントのトークラインにメッセージを送った。アニメ系のアイコンに糸川と名前が表示されている。


 >>ねぇ、今日の宇喜田先輩どうだった?


 私のメッセージにはすぐに既読がつき、返信が返ってくる。メッセージじゃない。スタンプ。軍服を着てサングラスをかけたブタが敬礼しているイラストだった。ふざけてるな。


 >>言葉で伝えろよブタ

 >>なにもなかったお(笑) クラスも、部活動も

 >>ちゃんと見てたんだろうな?

 >>――画像――


 真っ暗な夜道、ピントの合わない画像の先に制服姿の男性が映った写真が送られてくる。


 >>――画像――

 >>――画像――


 画像は連投される。撮影者は徐々に被写体に近づいていって、最後は接近しているところを振り向きザマに、被写体に気づかれてる写真だった。宇喜田先輩は恐ろしいものを見るような目で、蒼白した顔でこちらを睨みつけてる。私は思わず怒る。


 >>気づかれてるじゃねぇか

 >>大丈夫なんだお、僕。うまくやったから


 そうして、また軍服ブタの敬礼スタンプが送られてくる。信じられない。


 >>てめぇが宇喜田先輩のストーカーになってどうするんだよ

 >>女子のケツ追っかける次はホモ野郎か、笑えるぜ


 そうしたら、今度は鞭で裸のお尻を叩かれてる憎たらしいブタのスタンプが送られてくる。


「こいつ……」


 私はわなわなと打ち震えた。そうして、スマホをタップする手に力が篭もる。


 >>宇喜田先輩に何かしたらただじゃおかねぇからな

 >>怖いお、それに愛香さんが宇喜田先輩を見張れって言ってきたんだお

 >>口答えするき?

「……はぁ」


 ほとほとうんざりする。この通称ブタという糸川は同級生の男子。

 会話の半分を謎のブタのキャラクターのスタンプで行うことから名付けられた嫌な名前。


 きもい陰キャラで、本来なら近づくことさえためらう。けどこいつは小学校時代からのストーカー。変態で私のパンツを盗んだこともある。何度も抹殺しようとしたが、スクールカーストのこいつははじめからクラスの全員から蔑まれてる。手の施しようのないゴミだった。結局、何の利用価値もないから仕方なく使いっぱしりにしてる。

 そうして、常に監視下に置くことでしか犯行を未然に防ぐことができなかった。けれどそれも限界。半分はこいつの策略だったんだと後になって知ってから後悔してる。


 >>愛香さん、義理チョコ欲しいお

 >>もう付きまとってこないで、お願いだから


 そうしたら、目がハートマークのブタのスタンプが送りつけられる。


 >>――画像――


 再び画像が送られてくる。私の授業中の横顔の写真だった。我ながら可愛い。けれど、こいつの手から送られてると思うと、辱められてる気がしてゾッとして怖気だった。


 >>愛香さん、《勇はな》のミー子ちゃんに激似だお。やっぱり天使だお

 >>ア……アイドルのこと?

 >>ライトノベルだお

「ライトノベル?」


 知ってる。キモオタが読んでる、アニメ系のいやらしい官能小説のことだ。


 >>いい年越えてきもいもん読んでんなよっブタっ


 そうしたら再び、お尻を叩かれてるブタのスタンプが送られてくる。まるで私を嘲るようなスタンプ。


「ぶち殺してやる……」


 ムカつくのは、このブタは私に虐められ慣れてから、ある時から開き直るようになったこと。これは反逆も甚だしい。私はこれ以上本能のままに逆上したら相手の思う壺だと思った。


 >>いっとくけど、例の件忘れてないから


 ブタは性懲りもなく女子の下着を盗んだ。怖気立つほどの性欲猿だ。

 それを知っているのは私だけ。こいつの命運を握っているのは私。クズの割りに成績優秀なブタは人間関係こそ捨ててるものの、将来を真剣に考えてる。ばれたら停学は必至。こいつの明らかな弱みだった。


 >>許して欲しいお、愛香さん


 そうしたらわざとらしく涙ぐむブタのイラストのスタンプが送られてきた。ひとつを皮切りに、他の動物だの、知らないアニメだのの悲壮感溢れるスタンプが連投される。トークラインはたちどころにスタンプだらけになっていた。


 >>うぜえんだよブタ


 私はいらだって糸川のトークラインの通知を切る。それでもブタはしつこくメッセージを送りつけてくる。


 >>愛香さん可愛いお

 >>愛してるお

 >>私の愛しい人

 >>愛香さん、あのドラマ見た?

 >>愛香さん愛香さん

 >>――画像――

 >>――画像――

 >>応答してほしいお

 >>――画像――

「――――!」


 ゾッとして怖気立つ。きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい。


「…………」


 けど、それもバレンタインが終わるまで。糸川の犯行も、あることないことも脚色して付け加えて担任にチクって、絶対に退学に追いやってやる。今更奴が泣いて許しを求めても、その決心だけは絶対に揺るがないから。


「…………」


 ブタの通知に邪魔されて、新着通知が疎かになってる。みどり――――期待したのもやむなく、通知には辻井と表示されてた。

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