得難い友は側に

 昨日の夜にやっと熱が下がり、体力も戻った。

 授業を受けたのち、私は佳奈子と向き合う。

「……どうして社会科準備室に……?」

 待ち合わせ場所を指定されたと思ったら森山くんが居て、扉を開けてくれた。

 出るときは普通に戸を閉めればいいそうで、彼は私たちに『またね』と言って去って行った。

「コウが、『プライベートな空間を用意してやろう』って……ツッチー先生とニヤニヤしながら」

 佳奈子は少し赤い顔でため息をつく。

「まあ、それはいいのよ。……話したい」

「……その前に、私からでもいいかな」

「? うん」

「私、佳奈子に、何か酷いことしたかな」

 紫織から大丈夫と言われても不安でたまらなかった。

 なんでも忘れてしまう私は、彼女を傷つけたことさえ忘れているのではないかと。

「私ね。忘れるんだ。今はもう忘れないけど、それでも怖いんだ」

「……」

「覚えてなかったら、もう、何でもして謝るから……」

 目が熱いと思ったら涙が流れていた。最近、泣いてばかりだ。おかしい。

「ごめんね」

 佳奈子が私の顔をハンカチで拭う。

「ん……」

「不安にさせて、ごめん。謝るの、あたしの方……‼︎」

「……」

 ほうけたまま、彼女をじっと見つめる。

「京が羨ましかった」

「……それは隣の芝生理論だと思う……」

「違うの。……傷ついても、立ち上がるから。その強さが羨ましかったの」

「…………」

「京のこと、大好き。……今までごめん。これからも仲良くしてくれる……?」

 大好きだと言ってくれる彼女に嘘はなく、私も何の偽りもなくその言葉が嬉しい。

 しかし。

「……佳奈子。隠してる?」

 私を避けた理由を。

「っ」

 佳奈子が言葉に詰まる。

「それは、言って欲しい。わだかまりなく仲良くするなら、教えてほしい」

 それとも、私に教えたくないことだろうか。

 忘れてしまう私は信用がないだろうか。

 面倒くさい思考をしているのはわかっている。でも、さっぱりした性格の佳奈子が何も言わずに避けるということは、私は余程のことをしたのではないかと、やはり思ってしまう。

 彼女はしばらく悩んでから、私に問う。

「京。コウのこと好き?」

「……好きだよ」

 大切な友達だ。

「友達としてじゃないわよ」

 佳奈子エスパー?

「……えっと……翰川先生のファンとして?」

「それでもないわよ」

 うう。

「……恋愛対象として、好きかって意味」

 レンアイタイショウ?

「……」

「どうなのよってこと」

「…………」

「あのー。京ー? おーい……」


「ぴにゃああああ⁉︎」

「うわ⁉︎」


 森山くんは大切な友達で、翰川先生のファンという同志で、だから私は彼も仲が良い友達!

「たっ、たしかに、森山くんといると不整脈が起こってドキドキするし、会うと笑いかけてくれるのが礼儀正しくてしっかり者だし、ふとした瞬間の気遣いが優しくて素敵だなとは思うけど! 私は‼︎」

「それが恋だと思うけど⁉︎ なんであんたはそこまで自己分析しといて結論を省略するのよ!」

「ひぁぁ……」

 カエルクッションが恋しい。

 代わりに佳奈子を抱きしめる。

「京?」

「ご、ごめんね」

 抱き心地がもち肌で心地よい。

「……………………待ってね」

 私は錯乱している。

 今現在でわかっている自分の状況は、それだけだ。

 佳奈子は遠い目で私の鬱陶しい抱擁を受け入れてくれた。

「うん……あんたにとって『恋心』は未知な感情だものね……そりゃあ、インストールに時間かかるわよね……」

 インストールだなんて。パソコンでもあるまいし。

 ……でも、私は感情が一旦死滅して、リーネア先生やオウキさんたちに心を育て直してもらった人間。足りない感情があるかもしれない。

「待ってね。先生たちからもらった感情から探してみるから……」

「リーネアさん、あんたと同じで死ぬほど鈍い部類だからやめときなさいよ」

「そ、そうかな」

「……そもそもあんたの鈍さの原因がそこにある気がしてならないのよね」

 佳奈子は私から離れて、私の両肩に手を置いて告げる。

「足りないのなら、自分の持ち物と状態から定義をする。未知な現象に出会った人間は、それを理解するために観察と分析、定義を繰り返して科学を積み上げてきたわ」

「う、うん」

「理系目指すんなら、やってみればいいのよ。幸いにも、先行文献はいくつもあるわ」

 佳奈子は『俺・私があの人に恋をした瞬間』というサイトを表示して、私にスマホを手渡した。

「それ見てもわかんなかったら他のサイト出してあげる。恋したきっかけ集みたいなの探しただけだから」

「……情報を集めるのは基本。そうだよね。ありがとう、佳奈子」

「どういたしまして」

 黙々と読み進める。

 2ページ分読んだところで、私は佳奈子に分析結果を告げた。

「……私の状態と似た文章ばかり並んでると思います」

「つまりは?」

「…………」


「私はっ……森山くんが、好きです……」


 涙とは違う意味で顔が熱かった。

 恥ずかしい。恥ずかしくて頭が破裂してしまいそうだ。

「……そう」

「えぁう……」

 ぱたぱたと手を振って、体の熱を放出する。

「ある意味、あんたがコウを好きだから、諦めて……割り切れなかったってことになるのかしらね」

「どうして……?」

 佳奈子が言っていることが難しすぎて困る。

「あんたどんだけ鈍いのよ。このニブニブクイーン」

「ふわあ」

 頰を両側から揉まれた。意外と心地よい。

「もー……でも、これ以上は教えてやんない」

「?」

「そんなことより聞きたいわ」

 佳奈子が姿勢を正す。

「あたしは子供っぽくてわがままで醜く嫉妬する女。それでも仲良くしてくれる?」

「……私も嫉妬はするよ。お互い様だし、そういうことを真っ直ぐに伝えてくれる佳奈子が好き」

「……ありがと」

 やっと笑ってくれた。

「これからもよろしくね、佳奈子」

「ええ」

 どちらからともなく差し出した手を握る。

 佳奈子の手は細くて小さくて冷たくて柔らかかった。



 佳奈子はシェル先生と約束があるのだそうで、途中まで一緒に帰ることになった。

「あ、そうだ」

「?」

「すき焼きパーティ、私も参加するよ!」

「コウから聞いた?」

「うん! 森山くんもいっ……しょ……なんだよ、ね」

 ついさっき恋を自覚したばかりの私は、私はもう。

「京って最高に可愛いわよね」

「うえあうう」



  ――*――

「……楽しかった?」

 愛しい妻と――その中に居る女性にも、一応問いかける。

 妻が答えた。

「うん、すごく楽しかった!」

「良かった」

 ひぞれをこんなにも楽しませて喜ばせてくれた光太には、どれだけ礼をしてもし尽くせない。

「お母さんにな、手紙っ……手紙を、書くように伝えてくれたの、光太なんだ。すごい。大好き」

 きゃあきゃあとはしゃぐひぞれが愛おしい。

 興奮と歓喜で言葉が走るのは、滅多にないことだ。

「……本当に、良い生徒さんと出会えたね」

「そうなんだ。光太は僕に感謝してくれているが、僕も彼に救われているからお互い様なんだ。……これからも、良い関係でいたい」

「キミが幸せで嬉しいよ。俺も光太とは仲良くしていたいな」

 なんせ同好の士だから。

「ふふふー」

 首を指で撫でると、猫のように目を細めて俺にもたれる。義足も外して完全にリラックスしている。

 可愛くて美しい妻が俺の膝上でまったりしている。

「ね、ミズリ。愛してる」

「お、俺も。愛してるよ!」

「んー」

 蕩けるような満面の笑みで俺に体を預け、眠る。

 そっと撫でようとした瞬間、オレンジの瞳をして起き上がった。

「……ちっ」

「舌打ちしないでちょうだい」

 相変わらず、ひぞれと似ても似つかない性悪女だ。俺に冷たいひぞれだと考えるとそれはそれで興奮するが。

「邪な気持ちなどなくひぞれを愛でようとしただけだよ」

「本当に邪気がない人はそんな自己申告しないわ」

 失礼なことを。

 ひぞれの髪質チェックと肌の状態管理は俺の日課だ。

「ナチュラルにそういうこと考えるから変態なのよ……」

 慣れた手つきで義足を装着し、調子を確かめる。

 ひぞれの体でぶつけられては困るので支えてやる。

「普通にしてれば美青年なんだから、もっと大人しくしたらどう?」

「黙ってほしいね。それに、俺は自分の性癖でひぞれを傷つけたことはない。むしろひぞれの清らかさにたまに賢者モードになるくらいだ」

「最初から変態をやらかさなければいいんじゃないの……?」

「俺のは変態じゃない。純愛だ」

 恋愛小説の題材にしてくれてもいい。

「この世の恋愛作品を作る全ての人に謝罪して」

「というか、なぜあなたは俺とひぞれがいい雰囲気になるたび邪魔を? もしや嫉妬?」

「気色の悪い発想」

 吐き捨てるように言う。

「あなたの変態オーラが激しければ邪魔をするわ。好青年オーラが勝ったときは何もしない」

「そんなの、月に2日あるかどうかだよ‼︎」

 どれだけ俺がひぞれを愛していても、過保護なこの人が邪魔をする限り俺の想いは報われない。

「……平均回数の低さに驚くわ」

「くっ……あーちゃんのところに双子ちゃんが生まれてからというもの、俺たちにもまた子どもをと思ったのに」

「ひぞれ体力ないのだから無理をさせないで」

「……わかってるよ」

 ひぞれが傷つくのは嫌だ。

 過去二回出産しているが、両足がないひぞれには苦難の連続だった。

 だから、主治医とも相談しながら、ひぞれに意思を聞こうと思っていたのに。

「その話を紳士的に切り出して話し合ってくれたら、私が出る必要ないのだけれどね?」

「出来ない……どうしてもひぞれの可愛い顔と綺麗な体に目が――あなたには興味ないから距離取らなくていいよ」

 しっしっと手を振る。

 彼女は暗い笑声をこぼしながら俺を指差す。

「……いい度胸ね、ミズリ。ひぞれの認識を握っているのは誰だと思っているのかしら? あなたが海外に長期出張に出ているように思わせてあげましょうか。それとも、口実をつけてお父様を呼んでほしい? 喜んであなたをミンチにするでしょうね」

「――ごめんなさいやめてください」

 全力で土下座する。

 俺の父は俺の実父なのだが、諸事情あって俺よりひぞれの方を溺愛している。

「顔を上げて身を起こしなさい。ということで、ひぞれと話し合ってね」

「じゃあ主導権をひぞれに戻しておくれよ」

「……まだ変態オーラが」

「なんなんだそれ‼︎」

 論争の激化とともに、日が暮れていく。

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