料理の手法は複数あって良い
紫織と美織とのお泊りはとても楽しかった。
「……」
二人が帰った夜から熱が出始めて、リーネア先生とカルミアさん、アスさんにまでお世話をかけてしまった。
「先生……カルミアさんと、アスさんは……」
自室の布団の中で呻くような声を出すと、そばの先生が答えた。
「帰ってったよ。お前に『面倒見られなくてごめんね』って何度も頭下げてた」
「うう……ご迷惑を……」
面倒を見ていなかったなど嘘だ。二人は私の様子を見て、額の濡れタオルがぬるくなれば替えてくれたり、たまご粥を作ってくれて食べさせてくれたり……
お世話になりっぱなしだった。
「カル、内科医の資格あるから、診てくれてった。ストレスだか疲れだかで免疫が下がって熱が出たんじゃないかとよ」
「……」
「あと睡眠不足な」
「はい……」
ここ最近、受験勉強で根を詰めて深夜に寝ることが多かった。自己管理ができていない証拠だ。
「鼻かめ」
「ありがとう……」
ティッシュを受け取って鼻をかむ。
「あと、熱出すの慣れてないだろうから、熱が下がっても落ち着くまではあんまり無理すんなってよ」
「……何から何まで」
「お前はまだ子どもだろ。風邪引けば看病するし、面倒も見るよ。保護者の役目だ」
彼は私を撫でてから『何かあったら呼べよ』と言い残して部屋を出て行く。
優しくて大好きだ。
「紫織と美織に伝染ってないといいな……」
スマホを持ち上げ、メール画面を立ち上げる。
姉妹から心配のメールが来ていた。
佳奈子からもお大事にとメールが来ている。本当なら今日話せるはずだったのだが、私が熱を出したせいでダメになった。
「……佳奈子、ごめん……」
メールの返信をぽちぽちと打ち始める。
まだ体がだるい。
二十分後、スマホを持ったまま気絶していたところにリーネア先生がやってきて、私をリビングに連行した。
「そういうのは、体力が戻ったらやれ!」
「……はい……」
リビングには折り畳みベッドが展開されており、私はそこに布団ごと持ってこられて寝かされている。
「お前はすぐ無理するから、ここで監視してやる」
「ごめんなさい……」
彼は怒っている。
でも、不謹慎にも、この状況が嬉しい。
母は私が風邪を引いても看病などしてくれなかったし、ヒステリックに『熱で死ぬわけないでしょ、勉強しなさい』と怒鳴り散らすだけだった。
血のつながりのない先生の方が私のことをずっと気にかけてくれている。
「夕飯、何がいい? うどんか、蕎麦か。それともお粥か茶漬けか」
「お茶漬けがいいです」
「ん。わかった」
ああ、嬉しいなあ。
実家で私のことを心配してくれたのはお兄ちゃんしかいなかった。心が弱っていた私が先生と兄を混同してしまったのは、そのことがあったからかもしれない。
スポーツドリンクを飲む。ストロー付きのミニボトルに入れ替えてくれた。
温かくて幸せで、涙が流れる。
先生が慌てた様子でキッチンから私のそばに転移してくる。
「どうした、ケイ。どこか苦しいのか?」
「……先生が優しくしてくれるから、嬉しくて」
「こんなの普通だろ。お前はもっと幸せでいていいのに」
「…………」
新しいタオルで目を拭ってくれた。柔軟剤の優しい匂いがして落ち着く。
「湯が沸くの待ちな。インスタントで悪い」
「作ってもらえることが幸せなんです」
塾のテストで悪い点を取った罰だと食事を抜かれた私に、兄は『カップ麺でごめん』と言いながらこっそりと食べ物を分けてくれた。
気持ちがこもっているのなら、インスタントでも美味しく感じる。
「そういうもんか」
「……先生、ありがとう」
「ん。そっか」
ピーと電子音が鳴る。ヤカンにお湯が沸いた合図だ。
「ちょっと待ってろ」
キッチンに戻り、あれこれと作業する音が聞こえる。
この香ばしい香りは焼き魚の匂い?
「出来た」
お茶漬けの上に、ほぐされた梅と焼き魚がのっていた。
「……美味しそう……」
「白身魚だから食べやすいと思う。体力ないときは適度にタンパク質食うのが一番いい」
彼が笑う。
「一緒に食べよう」
「はい」
――*――
「佳奈子。オムライスの卵を焼く時に気をつけることは、第一に火力。第二に、冷静さだ」
「コウ先生。第二が精神論に聞こえました」
「安心したまえ佳奈子くん。紛うことなき精神論だ」
キッチンでは、光太と佳奈子があれこれ言いながらオムライスを作ろうとしている。
ミドリさんは心配そうだが、ミズリが『お孫さん達に任せましょう』と宥めてリビングに引き止めていた。
「冷静なだけで卵が焼けたら苦労しないわよぉ……」
泣き言を言う佳奈子を、料理では百戦錬磨な光太が叱りつける。
「挑む前からうだうだ言うんじゃないぞ、佳奈子。せっかくチキンライスが上手くいったじゃないか!」
彼の言う通り、佳奈子が作ったチキンライスの出来上がりはかなりのものだ。一皿分こそは光太が見本のために作っていたが、そのほかの三皿は佳奈子がまとめて作ったもの。
「だ、だって、トロトロにするの難しそうだし……」
「また俺が見本見せるからさ」
「なんで作れるのよ?」
ちなみに、光太は薄焼き卵で包むオムライスも普通に作れる。
「友達に『メシ代払うから作って』とおねだりされたことがあって……頼まれたからにはこなすしかないだろ?」
平然と答える光太はなかなかツワモノだ。
「レベル高いぃ……!」
「はいはい。挑む前から敵のレベルを予測してもいいことないから」
長年の付き合いのおかげか、光太は佳奈子を宥めるのが上手い。
「まず一枚は俺が焼く。場合によっては二枚目も。あとは佳奈子がやってみ」
彼は卵をボウルに割り、牛乳や粉チーズを混ぜていく。
その手つきの熟練度といったら主婦の如しである。
「……卵だけで焼くんじゃないの?」
「トロトロ半熟はつなぎがあった方が上手くいく。まろやかになって美味いしな」
「そうなの……」
「料理にもよるけど、先に混ぜられる材料と調味料は混ぜておくといいよ。楽だから」
フライパンを温め始める。
「で、オウキさんレシピだと、油がわりにバターだな」
オウキのレシピか。これは味が保証されたようなものだな!
「バターにするメリットって、風味以外にある?」
「あるぞー。油伸ばすとき、まだ溶けてないとこ箸でつまんで滑らせれば楽だろ?」
「確かに……」
「ここで心構え第一。火力はレシピを守る。今回は強火固定で」
「野菜炒めとか?」
「おう。チャーハンもそうだ。米炊くとか煮物するってときは適した火力変化が必要だから、そこは注意な」
「はーい」
フライパンが温まったのを確認したら、強火のまま卵液を流し込む。
「入れたら即行で箸で混ぜる。目指せトロトロ卵だ」
「わ、わ……卵が……」
「半熟で止めたいから、火は切っていい。余熱で火が通る」
光太はフライパンを持ち上げ、卵を軽く揺する。
「動くことを確認」
木ベラを用いて卵をチキンライスに被せる。
「ヘラを使って、フライパンの上を滑らせるように……!」
オムライスが完成した。しかしながら、やはり腕が良い。
見守っていた大人たちで拍手すると、光太が照れたように頰をかいた。
「……ど、どうも」
「レストランでバイトできるんじゃないか?」
ミズリの質問に困り顔で答える。
「いやー……手早く作るのと、人に食べてもらう料理を作るのとでは違いが……ってか、ミズリさん帰ってくるの明日じゃなかったんですか?」
「ひぞれとの毎日を邪魔する仕事なんて片付けてきたよ」
夫が情熱的で格好いい。
「そ、そっすか……」
光太は会釈して佳奈子に向き直った。
「どうだった?」
「……あたし今からさっきのやるの?」
佳奈子が怯えている。
誰もが初めから光太の技量に追随できるはずもなく、また、全ての料理がその手際を要求するものではない。
僕からも口を挟ませてもらおう。
「佳奈子。さっきのは光太の手際が良すぎただけで、していることは基本の延長だぞ」
最後の動作が手早く連続していたが、それは経験の蓄積がなせるものだ。
「フライパンを温めること。これはバターの溶け具合でわかる。溶けてフツフツしてきたら大丈夫だ。そこに一気に卵を投入し、箸でかき混ぜたら完成。光太の言う『冷静さ』はこの手順をこなす心構えだ」
「……」
考え込む佳奈子に、光太が言う。
「ついつい速く進めちったけどさ。そんなに速度要求されるとこないよ。先生の言う通り、やってることは基本ばっか。それに、ご飯を包まなきゃならない普通のと違って、こっちはのせるだけだ」
「…………。確かに、あたしが包むのやったらぼろぼろになりそう」
「な。火を止めるときだけタイミング教えるから、ゆっくりやってみようぜ」
「やる。やってみる」
光太はコンロの前を譲った。二枚目からは佳奈子に任せるつもりらしい。
二人であれこれ言い合いながら料理を進めていく。
「……佳奈子ちゃんがご飯を……」
静かだと思ったら、ミドリさんは感極まって涙を流していた。
「…………」
僕はミドリさんにハンカチを手渡す。
「ありがとう、翰川先生……」
「どういたしまして」
「……佳奈子ちゃんが来てくれて、嬉しいわ」
手塩にかけて育てた孫娘の成長を感じるのは、格別の思いがあるものだ。
「異種族の皆さんのおかげ。ありがとう」
「……僕らは何も。若者が成長していくだけです」
「謙虚な方たち」
ただの事実だ。
彼ら彼女らは、自分たちで道を選んで前に進む。眩しくて嬉しい。
佳奈子が卵を焼き上げ、チキンライスに被せた。存外に上手くいったからか、嬉しそうにはしゃいで光太にお礼を言う。
光太はハイタッチに応え、残る二皿のチキンライスをコンロのそばに寄せた。
「やってみればけっこういけるもんだろ。頑張れ」
「うん!」
火をつけてフライパンが温まるのを待つ間、佳奈子が問う。
「ねえ。ソースってレンジで温められるのかしら?」
「……卵焼けたらフライパンで熱せばいい。レンジで半液体を温めるのは場合によるけどできれば避けような」
ミズリはキッチンの風景を写真に残している。
何気ない思い出だ。
その日のオムライスは、オウキ提供のソースも追加されて絶品だった。
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