会話は起伏を持ちつつ滑らか
夕方5時半。その時刻になった瞬間、あたしの目の前に銀の火花が散り、先生が現れ――
「……」
光で虹に輝く銀髪。抜けるように青い瞳。整いすぎていて存在に違和感を覚える美貌。
二十代中盤程度の青年が目の前に立っていた。
「どなた?」
見慣れているのに見覚えのない青年が口を開く。
「……シュレミア・ローザライマだ」
彼は、自分の姿が普段と違う理由を苛立ち満載で教えてくれた。
「イギリスに寄ったら、俺のことを女だと思い込んでいる奴と鉢合わせしてな……逃げるためにこの姿になって、そのまま来た」
「その姿になったんなら、誤解一瞬で解けるじゃない」
普段の先生は生物感のない美貌に幼さがプラスされているせいで男女判別が難しいかもだけど、今の先生だと普通にとんでもない美青年だ。
(竜の《王様》はこういう人なのかな)
「元の姿の俺を妹、この姿の俺を兄だと……『相思相愛の妹と自分を兄が引き裂いている』という、無駄に厄介な思い込みを……」
その人は底抜けのポジティブね。
「……目の前で変化したの?」
「した。過去幾度も変化している」
ヤケクソ気味な『どうだ大盤振る舞いだろう』というセリフが痛々しい。
「だが、俺は転移魔術を使える。するとどうなると思う?」
「『妹と交代で転移してきた』と思われてもおかしくないわね」
「そうだな」
魔法を使えることが仇になることもあるのね。
「目の前で遺伝子採取してXYを証明するとか、どう?」
「……その手のことは科学的にも魔術的にも試した……400年くらいな」
「え、その人異種族⁉︎」
「ああ。事故に見せかけて殺そうにも難しい」
殺そうとしたことがあるらしい。
「アネモネが嫉妬してくれるのが嬉しい。それと可愛い」
ブレないな。
「もう妻の可愛い姿を見て清涼剤にするくらいしか心のやり場がないんだ」
「……普段の先生とアネモネさんが夫婦で、間に子どもも生まれてるのに。性別勘違いってなんで?」
子どもは男女間でしか出来ない。神秘が入り込んだ現代医療でも、そこだけは変わらない真理だ。
性別を変える魔女薬があるとの噂もあるが、体は男女でなければならないと聞く。
「この姿の俺がアネモネと夫婦で、元の姿の俺が妹だと思っている。俺はなぜか『子育てを妻と妹に押し付ける最低夫』になっている。なにも矛盾はない……その男の脳内ではな」
「先生、ペン粉砕しないで」
彼が手すさびに掴んでいたボールペンが、指の形にメキョリと粉砕されている。
「すまない」
ため息を一つ吐く。
「目の前で妻に口付けしたことさえあるのだが、それでも信じなかった」
「ぶっ……」
「言っておくが、その時の妻の顔は誰にも見せていない。ローブで隠させてもらった」
先生は見た目に反して紳士的で男らしい。
アネモネさんもこのギャップにやられたのではないかとあたしは推測している。
「未だ勘違いが揺らがないのが不思議だ」
でも、その人は思い込みは激しくても、根っからの悪人というわけではなさそうだ。
アネモネさん自身に何かしていたら、その人の首はとっくに繋がってないだろうしね。
「しかし、育児放棄の汚名は妻が晴らしてくれた。そいつの頭を割りかけてまで怒ってくれたので、俺は満足した。俺の妻が優しい上に美しくて辛い」
「ほんとに奥さん大好きだね」
「ああ」
元ペンの物体を置いて紅茶を飲むと、静かに呟く。
「魔力の波長が落ち着いてきたから戻る」
銀色の火花に包まれて、先生の姿が元に戻る。
見慣れた性別迷子だ。
「……やっぱりこっちの方が落ち着くわ」
「俺もですよ」
「なんでさっきのは敬語なしだったの?」
「あの姿で敬語調だと逆に怖いと言われてしまって」
うん。想像するまでもなく怖いな。
「敬語抜きでも平気なのね」
彼は人との距離感が測れないハンデがある。敬語でなければ不安で仕方ないのだそう。
「あの姿は、精神年齢高めで安定しています。敬語を外しても不安感はありません。……精神が安定すると今度は魔力が安定しなくなるので、一長一短なんですが」
「いろいろ大変ね」
「そうかもしれません」
虚空から紙袋を出し、あたしに差し出す。
「お土産です」
「ありがとう。……これは?」
お菓子は箱の見た目でわかるけど、もう一つの紙袋がわからない。
「マルセイユ石鹸です」
「石鹸」
「ネットに使い方が載っていますので参考にしてください。妻が選んだのでよく知りません」
「……ありがとう。アネモネさんにも伝えてください」
「はい」
焼き菓子を仕分けながら、先生に宣言する。
「あたしね、恩返ししていきたいと思うの」
「頭打ったんですか?」
「失礼ね。……おばあちゃんにはもちろん、先生たちにも恩返ししたいわ」
「……良い心がけですが、俺などに恩返しする必要はありませんよ」
「もー。なんでそんなに自己評価低いの」
彼は頭はおかしいかもしれないが、あたしや七海姉妹を救ってくれた紛れも無い恩人だ。
「不敬にも王を真似て作られたはりぼてです。価値があるとしたら、王に似ているということだけ」
彼が、彼ら悪竜がつくられたのは、大昔の王と神を再現しようとしたから。
彼の存在意義。
「再現できたのは王の能力のごく一部。比べるもおこがましい」
「関係ない。だってあたしは座敷わらしだから」
「……」
あたしの存在意義は大切な人に幸運をあげられることだ。気づいたのだが、同居人でなくとも幸運をあげられる。もちろん、同じアパートに住んでてくれた方が精度高いけど。
「幸運をあげることしか出来ないけれど……でも、幸運の仕組みは解明されてないんでしょ?」
先生たちからもらったレポートにはそう書いてあった。
「あたしが出来ることがそれしかないだけよ。あなたが自分を鬼畜と言うように」
「…………」
しばらく考え込んだ先生は、首を傾げて問う。
「敬語でなくとも怒らないか?」
「……あなたがそう思うのなら、まずはあたしが敬語使わないことを咎めるべきだと思うわ」
「かみさま相手に乱雑な口調で喋ったら首を刎ねられるから、ああしているだけだ」
「…………はい?」
「首を刎ねられた程度では死なないが、幼い俺にはショックな体験だった」
到底流せない重さの話をスルーしてしまう彼が悲しい。
「愚痴を言っても?」
「どうぞ」
それをしてほしいなら喜んで聞こう。
「ここ最近、俺は誤作動が多い」
「……例えば?」
「光太に八つ当たりをしたり、京を避けようとするあまりにリーネアから逆に気遣われ、ひぞれに心の痛いところを突かれて沸騰しかけたり……とにかく調子がおかしい」
先生は頭はおかしかれど、礼節を重んじる人。相手に気遣わせて面倒をかけるようなことはしないだろう。
それをしてしまったということは、調子が悪いというのも大げさではない。
「……俺の本質は処刑器具と問題解決装置だ。他者に敬意を払い、礼儀を規範とすることで、なんとか人の前に立てるだけの状態に……」
深いため息とともに言葉が吐き出される。
「ただ……お前たちが成長していく姿を見ていると、いつまでも自分がどうしようもないから」
「…………」
先生も同じことを思うんだ。
みんな、自分にないものを他人の中に見出して、恋い焦がれている。
「以上だ。吐き出すと案外すっきりするな」
「良かったわ」
心を軽くする助けになれたのなら。
「ところで佳奈子。資格職といっても幅広いものがあります。看護・薬剤師などはどこでも職を探せる強い資格ですが、あなたには――」
「話し出すタイミング‼︎」
口調を戻すタイミングも心臓に悪い。
「どっかに盗聴器でもあるの?」
「聞くまでもない、です」
「あーもー!」
「なんで、あの人は! アクが強いかなあ‼︎」
「悪竜さんだけに?」
エマちゃんがニヤッとして聞いてくる。
「そういうギャグじゃない!」
喚くあたしをエマちゃんは楽しそうに見ている。
少し冷静になった。
「エマちゃん、悪竜兄弟のこと知ってるのね」
「ちょっとした都市伝説みたいな話だけど、寛光のこと調べたら載ってたんさ。『世界で一番悪竜が多い大学』って」
「…………」
キャッチフレーズとしては強烈すぎる。
「ま、佳奈子がそんなに大好きで懐いてる人の兄弟だ。悪い人らじゃないんだろうよ」
「別に、大好きというほどでは……」
「はいはい」
ひらひらと手を振られた。
くそう。エマちゃん強い……
「ミサッキー遅いな」
「……何か用事?」
現在は水曜の放課後。エマちゃんもすき焼きパーティーに参加するというので、みんなで移動しようと三年教室で京を待っている。
「卒業生の書く文集のトリを飾らないかって言われたんだとさ。……ミサッキーは『私なんかがとてもとても』ってなっとるんよ」
「今から打診するのね」
「これ以上遅くなると執筆が受験に被ってきちゃうから。学年トップの足を引っ張ることはせんでしょ」
「そっか。……エマちゃんって進路どこ?」
「工業の専門。目指せエンジニアさ」
専門学校もピンキリだ。理系科目でトップに立つエマちゃんが目指すなら良いところだろう。
「応援してるね」
「うちも佳奈子たちのこと応援してる」
「ありがと」
京がぱたぱたと駆けてきて、あたしたちの前で止まる。
「ごめん、お待たせ!」
「構わんよ。断ったのんかな?」
「うん。……よく考えたら、学校の思い出けっこう吹っ飛んでるし……長文書く気力がないかなって」
さらっと重い。
「ああ〜……そりゃ書けんわ」
「た、楽しいこと考えましょ!」
「そうだね。すき焼きだ」
荷物を持って、下校する。
気の合う友達とあれこれ話すのが楽しい。
仲直りできて良かった。
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