思い出いつでも

 兄は『三崎家』と刻まれた墓に眠っている。

 墓誌にも、三崎正爾の名が――

「…………」

 立てなくなった私に代わって、オウキさんとリーネア先生が動く。

「じっとしてなね、京ちゃん」

「墓参りの手順は覚えてるから、掃除と花は任しとけ」

「ごめん、なさい。ごめんなさい――」

 兄に謝っているのか、それともそばの二人に謝っているのか、自分でもわからない。

 思い出したのは今まで忘れていた兄との思い出。

 兄は、感情が動かない私を根気よく構って、遊びに連れ出してくれた。

 連れて行ってくれたショッピングモールのマジックショーで火災が起こり、私を守って亡くなった。

 そのことを10年も忘れ続けたくせに、私はなぜのうのうとここに居るんだろう。

「……」

 挙げ句の果てには、教導役としてやってきたリーネア先生と兄を混同した。

 フラッシュバックという言葉の意味を初めて認識し、改めて実体験する。昔の私には感情がほとんどなかったから、痛いだけで悲しくないし苦しくもなかった。

 でも――今はこんなにも寂しくて苦しい。

 顔を手で覆って嗚咽をこらえていると、肩が二人分の手に順繰りに叩かれた。

「ケイ。俺たち、お前の兄ちゃんに挨拶したから」

 先生は私の顔を上げさせて、正面から私を見据える。

「タオルと椅子やる。……気が済むまで話せ」

 キャンプ用の折りたたみ椅子と、その上にタオルを数枚置いて差し出す。

「…………」

 オウキさんがスポーツドリンクのペットボトルを差し出してくる。

「これ水分ね。泣くと喉乾くから。開けてないやつなのでご安心」

「向こうのベンチで待ってる。終わったら電話かメールな」

 水汲み場の傍にあるベンチを指さす。

「……二人とも、なんでそんなにしてくれるんですか……」

 二人が動いている間、何もせず泣き叫んでいたような、私みたいな役立たずに。

「家族みたいなもんだし……夏休み迷惑かけただろ。その分のお返し」

「そうそう。気にしないでお兄ちゃんにお話ししてね」

「…………」

 二人が去って行く。

 土曜とはいえ、お盆からも外れたこの時期の霊園には、他の人影は見えない。

「……お兄ちゃん」

 懐かしい呼び名を呼ぶだけで、もう前が見えなくなった。

 タオルで涙を拭い、墓石に向き直る。

「来たよ。……のろまでごめんね」



  ――*――

 ベンチに座る。

 元はと言えば、喫煙所を兼ねた休憩所らしく、水場と灰皿が用意されていた。

「父さん」

「んー。なに?」

 父さんは、融かして飲むタイプのアイスを揉んで融かそうとしながら応答する。

「……母さんの墓の場所、教える」

「…………」

 アイスを置いて俺に向き直った。

「いいの?」

「……俺が、許可するようなことじゃない。ほんとなら……父さんも、カルも……好きに行ってよかった」

 出会った当時はカルが兄だとは知らなかったが、そうでなくとも、父さんに伝えていればカルも一緒に墓に行くことは出来たはずだ。

「今までごめん。あとでメールに座標と、住所送るから。……俺の故郷のオランダ。ちょっと山道だけど、父さんなら大丈夫だろ」

「ありがとう」

「うん」

「次の休日に行くよ」

「……うん」

 反射的に謝ろうとして、しかし飲み込む。

 謝っても母は蘇ったりしない。

「カルはアスとのあれこれがあるから、落ち着いたころに行くようにしてもらおう。住所は俺から伝えておくよ」

「頼む」

「わかったよ」

 父はアイスを再び持ち上げ、なんとかして味わおうと頑張り始めた。

(なんで、あんなにすごい職人なのに、アイスごときに手間取ってんだろ……)

 ガラスも木工も金属も、分野と素材がなんであろうとも見事な作品を作り上げるというのに、父さんはアイスに手こずっている。次第に涙目になり始めた。

「不良品なんじゃないの、これ……手が冷たい……」

 そんな単純構造の商品に文句つけるなよ。

 アイスなんだから冷たくてなんぼだろ。

 ……様々なツッコミが思い浮かんでは消えていく。

 しばらく暖かな目で父を見守っていたが、さすがに可哀想になってきたので、アドバイスすることにした。

「父さん」

「うう……なに?」

「そのアイス、傾けるんじゃなくて、吸うと出てくるよ」

「……………………」

 悪魔に火を伝えられた人類はこんな顔をしたんじゃないかと思えるような顔をして、父は嬉しそうにアイスのチューブの口を吸った。

「バニラアイスの味がするよ!」

「だろうな」

 パッケージに書かれてるしな。

「いいねー。美味しいねー」

「……うん……」

 父は無邪気だ。妖精ど真ん中の精神構造をしている。

「工房に冷凍庫常備しようかなあ。炉の周りって暑いんだよね」

「いんじゃね?」

 適当に頷いておく。父さんが工房と呼ぶのは、寛光の魔術工芸科にある炉と自分の教員室のことだ。

 炉の周囲に冷凍庫を置けるだけのスペースがあったか、配線があるのかさえ気にしない。

 どうせそこらのことは、父さんにねだられたひぞれあたりが考えるだろうし。

 程よく融けてきた抹茶味のアイスを吸いながら、上機嫌な父を見てそう思った。

「京ちゃん、たくさん話せてるといいね」

「……そうだな」

 パターン持ちは、自分の記憶を押し込めがちだ。

 たまに、何かの拍子で記憶と感情が噴き上がって、動けなくなってしまうことがある。

「札幌にいるうちに、これからも何回か来ようと思ってる。あいつ、勉強には余裕あるしな」

「いいと思うよ。1日じゃ語り尽くせないでしょう。京ちゃんが望むだけ連れてきてあげたらいい」

 ふと思ったが、父さんは、母さんのお墓の前で何を話すんだろう。

「…………」

「……ん。中身残ってるのに出ない……ねえ、リナ。これやっぱり不良品じゃない?」

「メーカーに文句言え……俺に言われても知らねえよ」

 父さんの前では感傷も無駄になる気がする。

「……ひぞれに頼んで文句言おー」

「あんたはいじめっ子か?」

 ひぞれは、この世界で『メーカー』と言える業界のあちこちにパイプを持っている。そんな立場からクレームを出せば迷惑きわまりない。

「微妙に中身が残るのも醍醐味の一つだと思うぞ。融けきったアイスをすすって終わりだ」

 縁日のラムネで取り出せないビー玉みたいな。

 まあ、その時は爆薬でビー玉取り出してケイに怒られたんだけど。

「そうかな」

「たぶん」

 人の感覚を理解することは難しい。

 俺のスマホが振動し、着信を知らせる。

『終わりました』

 涙声の一言で切れた。

「行ってあげなきゃね」

「ああ」



 ケイは、椅子に座ったまま、顔をタオルで覆っていた。

「……ごめんなさい。電話、切っちゃって……」

「気にすんな。話せたか?」

「はい……!」

 軽く手を引いて、ケイを立たせる。

 椅子はもともと俺の持ち物だ。触れるだけで《武器庫》に戻せる。

 タオルとお供えセットを回収して、肩掛け紐で背負う。

「あの、オウキさんは……?」

 目立つ緑髪はどこにも誰にも見当たらない。当然、俺にも。

「帰ったよ」

 ここまで来る途中で、父さんは『思い立ったが吉日だよね』とひとこと言い残して消えた。

 俺の故郷の世界に転移したんだろう。

「……そうでしたか。お見送りできなくてごめんなさい」

「いいんだよ。あの人、自由人だし」

 思えば、じゃんけんで勝って行きの運転手を引き受けたのも、それが狙いだったんじゃないか。

 ……いや、どっちかっていうと、悩んでたからこそ、自分の決断がどっちに転んでもいいように、帰りの運転を俺に任せたのだろう。その方がしっくりくる。

 俺なんかよりずっと頭の切れる人だ。

「留守番組も心配だし、帰るか」

 カルは《ドジっ子》属性を持っていると家族の間で評判だ。アスがフォローするとは思うが、何かやらかしていては困る。

「はい。先生、荷物持ちますよ」

「いいから、お前は水分摂ってろ」

 まだ涙の跡が残っている。

「う……じゃ、じゃあ。将来、車の免許取ったら、先生を乗せて……」

「お前ほんと面白いよな」

 面白くて妹のように愛おしい。

 今度、俺の妹も紹介してみるか。

(ルピナス姉さんにもカルにも会ったし、兄さんとサリー姉さんも紹介したら、フルコンプ達成……?)

 それぞれ、違う世界あるいは違う国で暮らす俺たちと全員会ったことのある奴は少ない。

「先生、どうしたんですか?」

「あ、悪い。なんでもない」

 タイミングが合えば紹介してみよう。



  ――*――

「……父さん、母さんの墓参りに行くって」

「じゃあ、夕飯は、リナと京とワタシとカル。多めに作るね」

 指折り数える彼女が可愛い。

「今から作るのかい?」

 まだ夕時にも差し掛かっていない時間だ。

「ひーちゃんに、唐揚げというお料理を、教わったの。味がしみた方が美味しいんだって。なので、今から作って漬けておきます」

 ふんす。

 動作のすべてが可愛い。

「カルは座っててね」

「え……いや、僕もお手伝いを」

 父や姉が作ってくれたこともあり、唐揚げの作り方は知っている。

 下味となるタレを醤油や酢、お酒とすりおろしニンニクとショウガで作り、適当なサイズに切った鶏肉をつけ込む。

 揚げ物は僕には出来ないけれど、そこまでの手順なら何とかなると思うんだ。

 僕だって一応レプラコーンの血が入ってるんだし。病院では細かい作業も出来たりするし。

「カルは座っててね」

「す、すりおろしたりするんだよね? 鶏肉切ったり」


 目の前に転移してきたアスが、有無を言わさない迫力で告げる。

「カルは、座っててね?」

「――はい大人しくしてます」


 こくこくと頷いていると、アスが満足げに頷いた。

「美味しくなるように頑張るから、見ててね」

「……うん」

 ほんわか笑ってキッチンに戻っていく。

 今から彼女が奥さんになってくれた将来像を思い浮かべると、非常に心が温かく、心臓がけたたましくなった。

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