糸を追いかけて
美織に勉強を教えていると、いつの間にか私の人差し指から金色の糸が伸びていました。
「ふゎ⁉」
こ、これは縁の糸……⁉
でも私、いま何も集中してないです! 美織の理科に集中してました!
「お姉ちゃん、それ、どうしたの?」
私のスペルの特性は、美織にも伝えてあります。
「わ、わかんない。……こういうときは、ルピネさんにお電話……!」
長らく出張に出ているルピネさんですが、電話が通じるかもしれません。
……しばらく経っても出ないので、症状をメールで連絡しておきます。
「うちからシェルにかけてみる」
美織も自分のスマホを取り出して電話をかけてくれます。
「通じない……! タウラさんにかけるね!」
タウラさんとはルピネさんの双子の弟さん。頼れる美織の教導役さんです。
『もしもし?』
スピーカーモードにしているようで、私にも聞こえますし私も参加できるようにしてくれています。出来た妹です。
「こんにちは! 美織です」
『おや、こんにちは。どうかしましたか?』
いつも優美で気品のあるタウラさんです。
「シェル先生がどこに居るかわかりますか?」
『父は大学の諸用を終わらせ、母と末っ子たちと旅行へ』
末っ子は双子で、まだ小さいと聞きます。
家族旅行だなんて素敵ですね! 楽しんできてほしいと思います。
「くっ……さすがシェル……家族愛に満ちてる」
『いま家族LINEに母から着々とフランスの風景が上がってきています。スイーツの画像も。昨日はフランスを探索したと聞きますからね』
「ローザライマ家、家族LINEあるんだ……」
シェル先生を家長とするローザライマ家は意外と平和で、ご家族皆さん仲良しです。
『末っ子二人がケーキを分け合って食べる写真に和みスタンプが連打されて……僕もフランス行こうかな』
「見捨てないでくださいタウラさん‼︎」
『いえ、行きませんよ? いくら末っ子が可愛いとはいえ……私情でそこまで動くなんて』
危うい気がします。
『ナパージュが見事ですね。美味しそう……』
「……ナパージュってなに?」
『砂糖水とゼラチンを合わせたもの等で、ケーキにのった果物にツヤを出すことです。……パヴィが父上の膝で寝てる……僕も末っ子に癒されたい……』
タウラさん、いつも朗らかに見えますが、実は疲れているのでしょうか。
「あの……タウラさん、大丈夫ですか?」
『紫織ですね。こんにちは』
「あっ、ご、ご挨拶遅れまして……」
『いえ。構いませんよ』
電話の向こうでため息をついたのがわかりました。
『疲れているわけではないんですが。……僕はもう玄孫以降も成人して久しい。ちびっ子といえるのは実の弟妹くらいで……ああ、母上に甘えて……父撮影とは珍しい!』
ちょっとぶれているのもまた愛嬌だとか、興奮気味に呟いています。
やっぱりけっこう疲れてますよね?
『写真ラッシュも落ち着いたことですし、そちらの話に移りましょう』
「見てても大丈夫ですよ?」
慣れないスペルを使いながら、糸の性質がどのようなものか、繋がった先はどこの誰なのかを探ってみましたが……害はないと判断しました。
ただし、私はまだまだひよっこですし、タウラさんに糸の色と感触を伝えて、本当に害のないものなのか教えて頂こうかと。
心情的には、電話を掛けた時ほどまでは急いではいません。
『お気になさらず。いきなり縁の糸が現れて驚いたんですよね』
「…………」
思わず美織と顔を見合わせました。
『糸の色はおそらく金色。その糸の意味は幸運です』
「幸運……?」
『出会えるべき時に誰かと出会えることは幸運。糸の方角は掴めるようになったでしょう? 車に気を付けて、糸の先を追ってみると良いですよ』
「……追いかけてもいいものなんですか?」
シェル先生からは『あなたは未熟ですから、糸がいきなり現れた時はまず俺かルピネ、タウラに相談しなさい』と言われています。
『父のそれは、いきなり結ばれる縁の糸にはロクでもないものが多いからこその忠告。金の糸は滅多にないものですから、伝えなかったのでしょう』
いつものように、柔らかく苦笑しているのだと思います。
タウラさんがいつものタウラさんに戻ってくれて安心です。末っ子ちゃんたちの癒し効果凄いです。
『受験生に勧めるのは僕としても少し躊躇われますが……追いかけると、あなたや美織にとって良いことがある。それだけは断言します』
忙しい間を縫って電話に応えてくれたタウラさんにお礼を言ってから、電話を切ります。
お財布等をカバンにまとめて、美織と一緒に外に出ました。
「追いかけるんだね」
「うん。気になるから」
私は受験も合格圏。気持ちには余裕もありますし、糸の先はそれほど離れてもいません。家に帰ってからでも勉強は出来ます。
ジョギングのお陰で体力もついてきてます。シェル先生たちに感謝です。
「辿り着いたら、帰り道でどこか食べて行こっか」
この糸の方角なら、安くて美味しいうどん屋さんが途中にあるはず。
「お風呂はどう? 帰ってからお湯溜めるのも面倒だし……」
「それもいいね」
銭湯の方向もほぼ同じです。佳奈子ちゃん曰く、銭湯にくっついた食堂はお値段が良心的で量が多めだそうです。
「……。佳奈子ちゃん、だいじょうぶかなあ」
「? 佳奈子さん何かあったの」
「あ……えっと。……お互い、失恋したんだけども」
「へ?」
「佳奈子ちゃん、恋してた男の子とお隣さんで幼馴染だから……折り合いつけるのが難しいみたいで」
「…………」
美織とあれこれ話しながら、糸を追いかけて歩いて行きます。たまに高い建物の向こうに糸が伸びていることもありましたが、指で撚りをかけると動いてくれます。
長らく歩いて行くと――糸の終わりが見えました。
それは、6階建てのマンション。
「京ちゃんのお家?」
エレベーターを上がっていって、603号室のインターホンを押します。
「紫織⁉︎」
「京ちゃん!」
玄関扉を開けるなり、京ちゃんが驚いて抱きついてきました。
いい匂いがします。
「お、お邪魔します」
私から離れた京ちゃんは、美織も優しく抱きしめました。
「いらっしゃい、美織ちゃん」
「ふゎ……」
美織も京ちゃんの良い香りを感じているのでしょう。
平和な光景です。
「ケイ。誰来た……ああ、七海姉妹か」
京ちゃんを追いかけてきたと思しきリーネアさんが私たちに会釈します。
「こんばんは」
「こんばんはです!」
リーネアさん、良い人なのですが、なんだか独特の気迫のある人です。
「その、いきなり訪ねて……」
手土産も何も用意していません……何か買ってくるべきでした。
「別にいいよ。それより、その糸は何か教えてくれ。うちの客人が悲鳴上げやがるもんだから」
糸は床を這うようにして、部屋の中へと伸びています。
縁の糸は神秘持ちでも意識して集中しなければ見えないはずですが、目の良い方が居たのですね。
だからこそ、リーネアさんも集中して見ようと努めたのでしょう。
「害はないんだよね?」
京ちゃんもこそっと質問してきて、優しい二人だと思いました。
「あ、それはもう。実はこの糸は……」
これまでの経緯を、タウラさんのお話含めて説明します。
「ふうん」
妖精さんの口癖を呟いて、頷きました。
「とりあえず入れ」
リーネアさんと京ちゃんに招き入れられ、お家にお邪魔です。
「お邪魔します」
「おっ、お邪魔します」
意外と人見知りな美織はリーネアさんから隠れるように私の後ろにくっつきました。
「美織。リーネアさんは京ちゃんの教導役さんですよ。いい人です」
「そ、そうなの?」
「はい」
廊下のドアからリビングに入ると、揚げ物の良い香りがします。
「あ……き、来た」
糸が繋がっていたのは、キッチンに立つリーネアさんによく似た茶髪の男性。
そして、シェル先生にそっくりな女の子。
「……」
女の子は恐怖に顔を歪めて、男性の後ろに隠れます。
糸はふっと消えていきました。
「あのシェル似の可愛い生き物はアステリア。俺に似てる物体は俺の兄貴」
「ちょっ……先生。確かにアスさんは可愛いですけど、お兄さんを物体って」
「俺より外見年齢高いやつなんて呪われろ。……ちょうど揚げ終わったとこだし、お前らもついでに食べていってくれ」
アステリアさんは京ちゃんに抱きつきながら、私たちの方を伺っています。
「アスさん。唐揚げ美味しいですよ。温かいうちに一緒に食べましょう」
「……」
頬ずり。
京ちゃんに頬ずり羨ましい。
アステリアさんに頬ずりされるの羨ましい……!
「アス。食事はきちんととらなきゃダメだよ」
カルミアさんに叱られると、アスさんは赤い顔でもじもじして、カルミアさんの隣の椅子に戻りました。
「可愛い……」
先程リーネアさんはアステリアさんを『可愛い生き物』と表現していましたが、確かにこれは……
背丈が小さく、それでいて女性らしい彼女は小動物感がすごいです。
そしてカルミアさんと恋人さんです。
「……ん」
唐揚げはとっても美味しいです。
美織の密かな好物ですので、美織は感動気味に味わって食べていました。
「アスさんが作ってくれたんだよ。美味しいよね」
「うんっ。美味しいです!」
京ちゃんの言葉に、美織が何度も頷きます。
アステリアさんがもじもじしていて可愛いです。これはもう、可愛いという概念の擬人化と言っても良いでしょう。
「……アス。大丈夫だよ」
「ん……わかってる。頑張る」
仲良しな二人と、地味に唐揚げを取り合っている京ちゃんとリーネアさん。
あの幸運の糸の意味は、今日この夕食の席に座れたことです。きっと。
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