デートを
俺はキッチンに立ち、食卓に座る先生に告げる。
「晩御飯はラーメンです」
「わー☆」
先生が拍手してくれる。
「スープが出来合いで申し訳ないけど、待っててください」
「うん」
「具は昨日漬け込んでおいたチャーシュー。ネギ。もやしなど」
「楽しみにしている。お願いします」
「ういっす」
具材を刻んで分けておく。
「先生、味噌と醤油どっちがいいすか?」
「究極の選択……!」
「どっちも二つずつあるんで、どっち選んでもいいですよ」
並行で沸かした湯に、軽く揉みほぐしてからザルとともに麺を投入する。箸で麺を揺らして次の工程へ。
「……醤油!」
「了解っす」
もう一つ鍋で湯を沸かし、昆布や豚ひき肉で出汁を取っていく。鶏ガラ粉末も追加。
スープの素をどんぶりに開けて、卵黄を溶き入れかき混ぜ、出汁で割る。
麺の湯を切り、スープに投入。
「できました」
「わーい!」
キッチンカウンターにどんぶりを置くと、瞬間移動でテーブルに移動する。
コップと箸、飲み物も移動した。
「働いてもらってしまったな」
「休日くらいお返しさせてくださいよ」
翰川夫妻には、弁当を作って持たせてくれたり、夕食や朝食をご馳走になってしまったりと世話になりっぱなしなのだ。
「エビがカラッと揚がっていて良いな」
「豪華な気持ちになれるんで、たまにやります」
安売りされたボイルエビを油に通して軽く揚げた。今回はチャーシューと並んでおかず枠だ。
「先生はラーメンの具では何が好きですか?」
「もやし。味がしみるとまた美味しい」
「俺ももやし好きです。
単価の安いもやしは貧乏人の味方だ。麺とともに茹でてしまうと楽なこともあって、俺の家でも登場回数は多い。
「そう考えると、ラーメンには満足感を求めたいということになるな」
この会話を皮切りに、ラーメンの具と味と麺の是非について議論する。
「……棒麺ってどう思います?」
「僕はあれはあれで好きだな。だが、あんまり味が濃かったり辛かったりすると食べられない」
「俺、ラーメンといえば縮れ麺だってずっと思い込んでて……テレビで見て『あれは素麺だろ⁉︎』って衝撃を受けたんです」
「情報から隔絶されているとそういう印象になるのか。北海道ラーメンといえば縮れ麺だものな」
「美味しいんなら、いつか食べてみたいです」
「うちの大学は掲示板に『全国ラーメンマップ』を作っているので、ラーメン店を紹介することも紹介されることもできるぞ」
「寛光大学はどこを目指してるんですかね」
ファンクラブのサイトを作ったりラーメンマップを作ったりとよくわからない。
皿は先生が洗ってくれた。
「美味しかった」
「良かった」
「では、勉強タイムだな」
「……ういっす」
教材を広げようとして、ふと思い出す。
「あ、先に風呂溜めてきてもいいですか?」
「給湯器をコードで遠隔操作したので、先程からお湯を溜めている最中。問題ないぞ」
「……。ありがとうございます」
頼れる先生だ。
頼れる先生はスパルタで、しかしわかりやすく勉強を教えてくれた。
「解ける問題から解くんだぞ、光太。寛光は大問ごとに問題作成者が違うから、『大問1だけ東大京大レベルで難しい』という現象がたまに起こる」
「起こっちゃいけない現象じゃないですかそれ」
偏差値があてにならない大学って、受験者にも大学側にも良くないことだと思うんだ。
「数学科みたいに大問番号で作成者が固定のところもあるんだが……多くの科目はローテーション式で、僕たち教員にもその年の難易度はわからないくらいだ」
「把握しなきゃいけないことってあると思うんですよね……」
「社会人の中でもアウトローな大学教員を甘く見るな。新入生オリエンテーションは僕以外みんなサボるぞ」
「新入生が可哀想だからやめてあげて?」
というか、俺も(合格すれば)新入生になる。その時もブッチされるんだろうか。
聞いてみると彼女は大きく頷いた。
「可能性大だ」
「……どうなんですか、そこらへん」
「本来出席しなければならないのは、学長とそれぞれの学科の学科長全員だ。学科長が出られない場合、代理でその学科の教員が来てもいい」
つまり、代理さえ立たずに欠席する、と。
「……毎年見事にサボられるので、僕はプレゼンの腕が上がってしまった」
人を振り回す側に見える翰川先生だが、彼女の周囲の人々もかなりのもの。意外と苦労性だ。
「『僕は物理学科なのに、どうして一人でほかの学部学科の魅力についてプレゼンしているのだろう』と考えてしまうと精神に辛いものがあるので、無の心でいるのが大切だ」
「……頑張ってください」
「ありがとう……」
翰川先生の愚痴や経験談は面白く、勉強の合間の休息になった。
勉強はここまでにして、風呂からそれぞれ上がってきてアイスを食べる。三崎さんのくれたジェラートだ。
「……京を思い出すとなおさら美味しいな、光太」
「わざとですか先生……」
確かにそう思うと味わって食べようとなるが。
「ふふ」
「……さっきの話なんですけど。学長さんはオリエンテーション来てくれないんですか?」
口ぶりでは先生がすべてこなしているように聞こえた。
「機材操作と教員分の空き椅子の回収などしてくれているよ。彼も裏方サポートが板についてきてしまっている。……英米文学科なのにな」
「…………」
ここまでくると、サボリも冗談のレベルではない。
「学科長さんたち説得しないんです?」
「していないと思うか?」
「……すみません」
ため息をつきつつも、述懐する。
「実は一回だけシェルを騙し討ちで参加させたことがあるんだが、泣きながら飛び出して行ってしまって……」
全身全霊で嫌がっているのが又聞きでも伝わってくる。
「その印象だけでシェルのことを『気弱で幼い教授』だと勘違いした新入生が大変なことになったので、数学科から出てもらうことは諦めた」
うわあ。
「オウキにも参加してもらえないか頼んだのだが、『おじいちゃんたちを差し置いて俺が出るなんてとてもとても(笑)』と半笑いで言われた」
「……」
「そのほかの学科からものらりくらりと……」
本格的に可哀想なのだが、俺にはどうしてあげることも出来ない。
(……合格できたら知り合った教授さんとかに伝えてみようかな)
俺が入学して来年ということになってしまうが、変わらないよりマシだろう。
「諦めた」
「切ないっすね……」
「仕方のないことだ。寛光の教員は僕含めみんな社会不適合者だからな。キミも安心するといい」
「どこでどう安心しろとおっしゃる?」
「いや、『こんな人たちでも社会人やれてるんだ』みたいな……」
「悲しいなあ! ってか、今から俺そこに行こうとしてるんですけど‼︎」
「? でもみんな優しい人だよ」
彼女の人物評価ほどあてにならないものはない。
顔を両手で覆っていると、先生が明るい声で言う。
「感極まったんだな」
「もうそういうことでいいです……」
ため息を吐いて、気持ちを振り切る。
先生も、手紙を読みたいだろう。
「ちょっと待ってて」
「?」
自室に戻り、目当てのものを引っ掴む。
「先生、これ使って」
電気消して本を読む時用のスタンドライトを差し出す。
「暗闇でも光が目に優しいから、手紙読んで読み返してができますよ」
眠る前に読み返したいと思っても、これで大丈夫。
先生は息を詰まらせてから、優しく苦笑する。
「光太は本当に……よく出来た素敵男子だな」
ライトを受け取った。
「どうも。……このライトは神秘あり?」
「無しだな。ここのメーカーは神秘を使わなくてもできると判断したものは無しで作るというこだわりが強いところだ」
「知ってるんすね。さすが」
電源ケーブルも渡すと、先生は『今日は幸せな夢が見られそうだ』と喜んで客間にライトを設置しに行った。
先生にお母さんがいて、愛されているということが、すごく幸せなことだと思う。
彼女が幸せで良かった。
茶の間に戻ってきた彼女は『寝る支度をしたら手紙を読ませてもらう』と伝えてから洗面所に向かった。
俺は茶の間で再び勉強道具を広げて、自分に喝を入れる。
「……よし」
勉強しよう。
一人で問題を解いていると、人に教わったことを再確認し、理解したのだとわかるようになってきた。問題で詰まることがほとんどなくなってきたからだ。
「みんな、すごいなあ」
翰川先生も、シェルさんも、リーネアさんも。佳奈子や三崎さん、紫織ちゃんも。自分にできないことができる人たちはすごい。尊敬する。
「……」
翰川先生が泣き顔でリビングに水分補給しにきたので、天然水のペットボトルとタオルを渡しておいた。お礼を言いながら客間に去っていく。
安らいで眠ってほしいと思う。
「……ん?」
ピコピコ音のメール着信。佳奈子からのメールだ。
『from: 佳奈子
昨日はごめん。
明日の放課後、空いてる?
話がしたい』
すぐに返信を打つ。
『to: 佳奈子
明日の放課後すぐ、社会科準備室の前で待ってる。
俺は佳奈子に言いたいことあるし、お前からも俺に好きなこと言ってくれていい。
どんなことだろうとちゃんと答えるから』
また仲直りしたい。
明日が来るのを楽しみに、俺は勉強を続けた。
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