4.何かが始まればいつか終わりが来る
理解と感情は別物であるべき
月曜の放課後、社会科準備室に向かう。
リュックを背負ったコウがあたしに手を振る。
「ごめん、掃除当番で遅れた!」
理科室掃除をしてから来たら、10分くらい経ってしまっていた。
「不可抗力だし気にしてないよ。入ろうぜ」
「……鍵持ってるの?」
「鍵なくても開くんじゃよ」
コウは『よいせ』と呟きながら、引き戸を持ち上げてガコガコ揺らし、準備室を開けた。
「どうぞ」
「……つ、使っていいの?」
人気のない場所だから、話すのにはうってつけだろうけど……
「ツッチー先生から許可もらった。それよか、目撃されたらマズイ。早く早く」
「わ、わ……」
二人で入ると、コウは戸を手早く閉じて、あたしにソファを勧めた。
「座っていいよ?」
「……コウ、やたら手慣れてるわね」
「理数授業のたびにここ来てたからなあ」
完璧な藪蛇。
(コウ自身は気にしてないらしいけど、充分な境遇だから、反応に困るのよね……)
「荷物も置いていいよ」
「ありがと」
ソファに座り、そばにカバンを置く。
コウと向き合う。
「……あたしから、言いたいこと、言うわ。いい?」
「うん」
深呼吸をして、ずっと伝えたかったことを口に出す。
「あたし、コウのこと好き」
「……」
ぽかんとしているのが見えたけど、言い切る。
涙が流れてしまう前に。
「言っておくけど、弟とか幼馴染として好きって意味じゃないからね」
ここだけ勘違いされたくないので伝えておく。
「わ、わかるけど……」
目線を送る。
コウはあたしの『聞いてほしい』というサインを読み取って、黙っていてくれる。
「気付いたら好きだった」
「……」
「いつから好きかは覚えてないけど、中学一年の時からは、確実に」
おばあちゃんに『コウちゃんのこと好きだものね』とからかわれた時、意地になっておばあちゃんと喧嘩して、コウに慰められて……そこで気付いた。
好きだということに気付いても、そのことを自分で認められたのは最近だった。
「…………。返事、聞かせてください」
頭を軽く下げる。
コウも息を深く吸って吐いてから、答えた。
「ごめん。好きな人いるんだ。佳奈子の気持ちには応えられない」
「……うん」
平気かと思っていたのに涙が出た。
コウはじっと佇んでいる。
「ありがとね。……京のこと好きなんでしょ?」
「っ……」
真っ赤になった。
あたしはコウに真っ赤にさせられたことは何度もあっても、コウを赤面させたのは一度もない。これが初めてだ。
これだけで、コウがどれだけ京のことが好きかが、よくわかった。
「……うん」
耳まで真っ赤なまま、それでも頷く。
こういうこいつだから好きだった。
「知ってるわ。……ごめんね、ズルいことして」
「ズルくないだろ」
「あはは……」
アイコンタクトだけで意図を読み取れたり、表情からお互いの考えてることをわかったり。
こんなに息が合っているのに、あたしたちはただの幼馴染だ。
コウがあたしに釣られたように笑い始める。
ひとしきり笑ってから、改めて向き合う。
「……佳奈子、居なくなったりしないよな」
「大丈夫よ」
「そか」
「……?」
リュックから、紙袋が出てきた。
袋の中からは箱が出てくる。
「八つ橋?」
「うん。陸部の争奪戦で、多めにもらえたから」
「そうでしょうね……」
後輩たち相手に大人気なく本気で走り回ってたし。
「終わったらちゃんとみんなで分けたよ」
「……そうなの。なんでここで八つ橋なの?」
「お前が好きかなって。お前の修学旅行の土産、これだったじゃん」
「…………」
好きだ。
でも、その時のあたしが八つ橋をたくさん買って帰ったのは、おばあちゃんに食べて欲しかったからと、こいつがあんこ好きだからだ。
優しくて誠実で、いっそ残酷なコウ。
それでも好きだと思えてしまうのだから、ズルい男だ。
「あたしのことはどう思ってた?」
「……俺も、お前のことは好きだよ。でも、たぶん大親友とか、姉妹に向けるような感じだって思う」
「そう」
だろうなぁって、心の片隅でずっとそう思ってた。
「つまりは、友達で居てくれるのよね?」
「おうよ」
「…………。これからは、あんたのお姉さん代わりに見守っていってあげる。あんた鈍感だし」
京も鈍感だけど。こいつはそれに輪をかけて鈍感だ。
「そりゃありがたいですがね。なんで佳奈子はお姉さんぶるんだか」
「いいじゃない。……年上なんだし」
コウが噴き出して、堪え切れなくなったように笑い始める。
あたしもなんだかおかしくて、また笑った。
八つ橋を食べながら話し合う。
「翰川先生たち、すき焼きするのいつが都合いいのかしら」
あの日のすき焼きの具材は、おばあちゃん家の時停装置に入ったままだ。
「火曜にミズリさん帰ってくるらしい。先生からも言われてたんだけど、水曜日の夜がいいって。そっちは?」
「あたしとおばあちゃんはいつでもいいわ」
「わかった」
ふと思い立って、相談してみる。
「紫織と美織も誘っていい?」
「いいと思う。ルピネさん帰ってきたらしいし」
ルピネさんは魔法の学府に出張に出ていたそうで、昨日の夜、七海姉妹のいるマンションに帰ってきたらしい。
「メールしてみるわ」
スマホでメッセージを送ると、数秒後に紫織から返事が来た。続いてルピネさんからも。
「……『喜んで』だって。三人参加決定」
「おー。良かった。そのう、佳奈子さん。三崎さんは……」
「京はあんたから誘いなさいよ」
自分の力でアプローチしてみせろ。
「うぐう……」
顔が赤い。
コウも純情ねえ。
「わ、わかった」
メールを打ち始めたものの、ああだこうだと文面を悩み始めた。
「……」
今日、京に謝りに行こうと思ったのだけど……都合が悪いというので明日の予定になっている。
明日こそは、きちんと謝罪して、元のように仲良くしたい。
「そういや、シェルさんいつ帰ってくるの?」
「明日の夕方だって」
朝に『明日17:30。土産持参し訪問』とだけメールが来た。
「そっか。良かったな」
「?」
「佳奈子、シェルさんのこと好きじゃん」
「……」
「あ、えーと。俺でいう翰川先生みたいな意味で」
こいつは翰川先生のことを深く敬愛している。
「あんたと一緒にしないで」
あたしはそこまで高邁な愛情を持てない。なぜなら、コウより心が汚れて荒んでいるからだ。
「だいたい、あの人あたしのこと着信拒否してるんだけど?」
「連絡先交換したら必ず着拒するらしいから……」
なんなのよあの鬼畜。
「なんで着拒に気づいたんだ?」
「……電話かけたのよ。びっくりして悲しくて、八つ当たりでオウキさんに電話かけたわ」
「何やってんのか……っつーか、佳奈子すごいな。あの妖精さんに電話って」
「優しかったわよ」
「いや、相談役にあの人を選ぶことがすごいなって」
「シェル先生の目上だからに決まってるじゃない」
他にも選ぶ動機は色々あったけど、主にはそれだ。
「……なるほど」
「お世話になっちゃった。オムライス作ってくれたのよ」
あ、そうだ。
コウに聞きたいことがあったんだ。
「おばあちゃん、オムライス好きでしょ? だから、あたしも作りたくてレシピ教えてもらったの」
「おおー」
「で、メールで送ってもらったんだけど……チキンライスが、酸っぱくなるのよ。ケチャップの酸味が移ってる感じ? みたいな……」
食べられないわけではないものの、食べ続けるには今ひとつな味になってしまう。
オウキさんが作ってくれた、甘みと塩気のバランスが見事でバターの香り漂うチキンライスからは程遠い。
「レシピある?」
「うん」
画面に表示して、スマホを手渡す。
「……ものっそい美味そう」
「でしょ」
オウキさんは完成品の写真と共にレシピを送ってくれている。
「これだと、炒めた具材にケチャップを絡めて……そこにご飯投入してるな」
「でも、味見するとケチャップが足りなくて……少し足すの。そうすると酸っぱくなっちゃう」
「混ぜる前に、フライパンの端にケチャップを出して炒めるといいよ。酸味飛ぶから」
「!」
酸っぱい原因はそれか! 直に混ぜちゃってた!
「あと、作ってて温かいうちは味が薄く感じるけど、少し冷めたら味が落ち着いて濃くなるから。焦って足す必要はないよ。……ほんとは具材に絡めた時点で多めにできたらいいけど、それだと味の調整難しいもんな」
「ありがとう!」
さすがコウ。一家に一台の家事得意男子。
「良かったら、作る練習にも付き合うよ。俺もこれ作って食べてみたいし」
おそらく、この時点であたしより上手くオムライスを仕上げるだろう。
でも、家事の上手さは経験値の量。オウキさんから教わった。助けを求めることは恥ではないということも。
「勉強会ついでにお願いするわ」
「おう」
――*――
東京に戻って病院で薬をもらっていたら、拘束が予想外に長引いてしまった。
ようやっとの思いで解放された俺は、リナリアの故郷のオランダにやってきていた。なだらかな丘陵地帯一面に広がる白い墓石群の中を歩いていく。
「……ここかな」
リナリアにもらった位置座標を確認し、一つの墓石に刻まれた文字列を見る。
『Eumirea Valacepiss』
妻の名だ。
「……」
およそ150年ぶりに話しかけることができて、とても嬉しい。
「ユミア、来たよ。……遅くなってごめん」
雨を浴びたまま来てしまったが、彼女の前では今更だろう。
花を手向け、冷たく湿った白い墓を指でなぞる。
「子どもたちは元気にしてる。俺がいなくてもちゃんと生活してるよ」
言葉に詰まる。
「座敷わらしちゃんから、父さん母さんのとこ行けって言われてるんだけどさ。逃げていいと思う?」
返事はない。
だが、もし妻が生きていたらこういうだろう。
約束は守れと。
「逃げたら、変わらないもんね」
手を合わせて、妻の冥福を祈る。
「……また来るね」
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