三人目と
「今日はお泊まりしても良いだろうか?」
「いいですけど……ミズリさんは?」
「東京に移動だ。火曜には札幌に戻ってくる」
ミズリさんは忙しい合間を縫って翰川先生と共にいる人だ。以前『ひぞれのために作った会社なのになぜひぞれとの蜜月を引き裂かれなければならない』と絶叫していた。
「飛行機で?」
「いや、ミズリは特殊な転移を使える。東京札幌往復程度なら一瞬だ」
「……すごいな」
すごい人のはずなのに、していることは翰川先生のストーカーだ。
「僕のミズリだからな」
自慢げに胸を張る彼女。
できればこのまま、ミズリさんの正体に気づかぬまま清らかな心でいてほしい。
「彼はいつも僕のことばかり。自らを顧みてほしい。帰ってきたら、ミズリをたくさん甘やかして疲れを癒してあげるんだ」
「いいっすねー。エプロンしてお料理してあげたらいいと思いますよ」
「それはいいな。いつもあまりしてあげられない分、手料理を食べてもらうのも幸せだ」
ミズリさん鼻血噴きそうだな。
「あの……」
「なんだ」
「翰川先生って」
思えば、ずっと聞きたかった。
「どうして《僕》なんですか?」
なぜか聞いてはいけない気がして、出会ってからずっと飲み込み続けた質問。
女性でありながら《俺》と名乗るサリーさんとも出会ったが、本人曰く育て親のオウキさんを真似て言いだしたそうだし、『《俺》は女性が使う一人称ではない』とわかってからも信念として貫いている。初志貫徹の女性である。
だから、翰川先生にも何か理由があるのではないかと、この質問をするチャンスをうかがっていた。
実を言うとミズリさんにも仕事があるから、翰川先生と二人きりになる時間はこれまでたくさんあったのだが、勇気が出なかった。
今日になってようやく口に出せたのだ。
(泣いて喚いて恥はかいたし、失うものはない)
「……」
レモン色の瞳が、俺をじっと見据えている。
「……知りたい?」
「や、まあ……はい」
翰川先生は、レモン色の瞳にオレンジを瞬かせて笑う。
「《僕》じゃなきゃダメよ。――《私》は埋まっているもの」
「…………」
その声と笑みには、ぞわりとするような妖艶さがあった。どちらかというと子供っぽい翰川先生とは真逆だ。
別人なのに別人ではないような。奇妙な感覚。
火花は面積を増して――レモン色を消滅させる。
「そんなに気になったのね」
指先まで優雅なその仕草。女性らしさが前面に出ていて息が詰まる。
それもそうだ。翰川先生ほどの美女相手に、俺みたいなやつが緊張せずにすんでいたのは、彼女が緊張感を与えないほどあけすけで無邪気だったからである。
出会って2か月でようやくわかった。
「……」
「興味を持ってくれてありがとう」
彼女はゆったりと俺に近づき、オレンジ色の瞳を撓ませた。
「驚いた?」
「……心臓飛び出すかと思いました」
口からデロンと出そうだった。
「まあ、怖い」
くすくすと笑う姿さえ別人に見える。くすくす笑うのは翰川先生もよくしていたのに。容姿の変化は瞳の色くらいなのに、翰川先生ではないとわかる。
これは理屈ではないのだ。
「えっ、と。……その。なんの、用でしょうか」
どもりながら問うと、謎の女性はどこか寂しげに笑った。
「お話がしたかったの」
「……」
悪意はない。この人は、先生を大切に思う同士だ。
そう直感した。
「あなたは、誰ですか」
「この子の……母親みたいなものかしら」
「…………。内側にいる過保護な人」
「?」
「あ、いや。前に……鬼の人がそう言ってたんで」
先生が鈍感な理由として言いかけていた。
内側にお母さんが居れば、守られているのも当然だ。
「……ミズリ変態なんだもの。ひぞれがショックを受けちゃうでしょ?」
「それで正解だと思います……」
あれを直視するのは、完全記憶の彼女にはかなりキツい。
「あの変態はどうでもいいわ。そんなことより、お礼よ、お礼」
「お礼?」
お母さんはふわっと笑って俺の手を取った。
美人過ぎてヤバい心臓飛び散りそう脳も爆ぜそう。
「あなたがこの子をたくさん楽しませて喜ばせてくれたから。……気難しい子なのに、優しくしてくれてありがとう」
「俺の方が、もらってばっかりでした」
寂しささえ教えてもらった。
一人がこんなにも寂しいということを思い出させてくれた。
「気難しくなんてないですよ?」
彼女の周りの人たちの方がよっぽどだ。
「……この子、誰にでも優しいけど、心を完全に許すのは苦手なのよ。あなたに懐いてからは、あなたのお友達にも懐いて。札幌を楽しんでいたわ」
「いろいろ……知ってるんですね」
「当たり前よ。だって、私はひぞれの内側から見ているんだから」
「……」
お母さんと名乗る彼女の正体はわからない。人工生命の翰川先生に、生物学的な『母』は存在し得ないのだから。
しかし、質問も躊躇われる。
戸惑っていると、彼女が苦笑した。
「……優しい子ね」
胸に手を当てて、祈るように呟く。
「この子には、私の魂が使われているの」
「!」
「色んな種族の遺伝子を掛け合わせたってネットに書いてあったでしょう?」
「……はい」
ネットの百科事典ではそうだった。
なのだが、三崎さんとの話題作りのために学んだ生物では、遺伝子はデリケートなものだとあって、『色んな遺伝子を混ぜるなんて、植物ならともかく人間に近い生命体で成功するのか?』と思っていた。
「あれは正しくないの」
「ですよね」
それも当然だ。
「色んな種族の魂のカケラを混ぜ合わせて作ったのよ」
「…………は、い?」
「魂さえあれば体を作り出せたの。あの研究所には、それだけの技術はあったから」
翰川先生の誕生方法が想像以上に魔法寄りなことに驚いている。
「……これ以上は駄目ね。ひぞれの気持ちを無視しては話せない」
俺は首を横に振ってから頭を下げる。
「話してくれてありがとうございます」
「これを話さないと私がひぞれと一緒にいる理由がわからないじゃない。気にしないで」
柔く笑う。顔の造形はそのままなのに、『可愛い』より『美人』が前面に出ているのが不思議だ。
少し眉をひそめて、俺の額を指でつつく。
さっきから心臓に負担がかかり過ぎてヤバい。
「言いたいことたくさんあるのよ。あなたにも、この子にも。一応、ミズリにもね?」
お母さんとしては、娘の夫が娘の大ファンの変態だったら気が気でないだろう。
「でも、私はもう居てはいけないの。私の命はこの子のものだから」
「……言いたいこと、聞きますよ」
「あら、そう? ……時間がかかってはひぞれに悪いから、一つだけにしておくわ」
少し嬉しそうに微笑む。
それから、表情を凛として俺に言う。
「京ちゃんのことは大切にするのよ」
「あっ……それは、もう。でもですね。俺じゃあ、大切にする云々の段階には、」
「言い訳無用よ。リナの大切な生徒なのだから、下手なことすれば頭を撃ち抜かれるわ。紳士的にアプローチなさい」
「も、もちろんです」
「本当にお付き合いするとなったら、リナリアの許しをもらうこと」
「それももちろん……あの、リーネアさんと知り合いで……?」
リーネアさんの本名はリナリア。しかし、あだ名でなく本名を呼べるのは彼の家族親戚と親しい友人くらいだと聞く。
「ええ。友達ね」
「……」
別に彼女の存在が秘密というわけではないようだ。
ならば、俺にも彼女に聞かなければならないことが出来た。
「翰川先生はあなたのこと知ってるんですか」
内側にいることも。
「ええ。……入れ替わってしまうから、直に話せたことはないのだけれど」
寂しそうなのはそれのせいか。
「お母さんだってことも?」
「…………」
頷いた。よし!
「なら手紙書いてください。いま。入れ替わっちゃう前に!」
「て、手紙?」
「悲しいことを忘れられないけど、嬉しいことも永遠に忘れないんですよ。この機会を逃す手はないでしょう!」
「え、あ」
「ほら、便箋ありますから」
白無地で悪いが、便箋は便箋だ。
「こんなことになるなら、もっとお洒落なやつを用意しとくんだった……!」
「……いえ。書くわ。……ひぞれへの手紙を書く」
ふんす! とやる気を見せて、俺から便箋とペンを受け取る。
テーブルに広げたところで、赤い顔で俺を振り向く。
「……み、見ないでね?」
「見ません。それは翰川先生が見るんです」
「…………」
お母さんは花開くように笑った。
「ひぞれがあなたを好きな理由がわかったわ」
顔が熱くなりながらも一礼して、彼女をリビングに残して自室に移った。
30分が経ったくらいの頃、お母さんの声に呼ばれてリビングに戻る。
「……」
テーブルに突っ伏して、翰川先生が眠っている。
これはお母さんではなく先生だと俺の直感は言っている。今日は直感が大活躍だ。
「先生。先生」
「んにゅむ……りんごもう一個……」
「寝言まで可愛いなちくしょう。……起きてください、先生」
軽く揺すると、先生がレモンの瞳を見開いた。
「ふあっ」
ぱっちりお目覚めだ。
「……あ」
俺と目が合って、顔が赤くなる。
「んむう。寝てしまうとは……」
「…………」
先生の体で隠れていたところに、封筒入りの手紙があった。
俺の視線で存在に気付いた先生が拾い上げる。
「……」
封筒には『Dear Hizore, from mother』と書かれている。
「おかあさんだ」
先生は驚いてから、嬉しそうに手紙を持ち上げる。
このままスキップして踊るのではないかと思うほど大興奮して、愛おしげに手紙の『mother』を指でなぞる。
「おかあさん」
「……」
喜ぶ様子が見られただけで、彼女と出会えて良かったと何度でも思える。
涙を流しながらも彼女は笑う。
幸せそうに。
「キミはいつも僕の夢を叶えてくれる」
「だいすき」
今日も彼女のお陰で心臓がつらい。
「お母さん、僕と交代したんだな」
「……はい。俺にいろいろ教えてくれました。さすが先生のお母さんです」
「ふふふ。そうだろう。……僕はお母さんみたいな女性になりたいと思っている」
「憧れの人なんですね」
「うん」
手紙をぺんぎんさんバッグに丁寧にしまう。あとでじっくりと読むつもりだろう。
「……光太。父君の連絡を教えてもらえないか?」
「へ? 父さんの?」
「東京に戻ったら、キミのお父さんにお会いしたい」
「……わ、わかりました」
スマホを出して、先生に連絡先を見せる。
彼女の記憶なら一瞬見せるだけでも充分だ。
「ありがとう」
「なんで会う必要が……?」
「これでもキミの家庭教師だ。挨拶くらいしておきたい。それに、僕はキミにお世話になり過ぎだ」
「……」
真逆だと思う。
「先生、好きです」
「ありがとう。僕もキミを敬愛している」
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